episode4
1話 健康食堂のオーナー
(あの人がリィナのおじいさん……)
レオンやリィナの会話から出ていた祖父というのが、大柄なあの老人なのだろう。口の周りに髭をたくわえ、顔には深い皺があるが、背筋はピンとしていて、精悍な雰囲気を覚える。
――この健康食堂のオーナーであり、健康食を世界に広めようとしている人物。
それだけで橙也の興味は、リィナの祖父に向かうのだった。見た目からもそこらにいる年寄りとは違うが、孫娘の頭を撫でている姿は優しいおじいさんにも見える。
「どうした、リィナ。今日はやけに嬉しそうじゃないか」
「えへへ、実はね……」
そう言ってリィナは祖父を連れながら橙也の元へやってきた。
「おじいちゃんが理想とする料理をつくれる人が見つかったんです」
「なに……?」
ギロっという鋭い視線を送られ、橙也は身が固まる。
(う、まるでライオンみたいな目だな……)
だが、リィナの祖父はすぐに柔和な笑みを浮かべ、
「私はゴトフリート。リィナの祖父であり、この店のオーナーだ。うちの店に足を運んでくれて、ありがとう」
そう言いながら握手を求めてきた。
橙也が握り返すと、ゴトフリートは小さく驚いたような顔になる。
「手を握るだけでわかる。なかなかの料理人のようだ」
顔付きが変わるのを見て、橙也は期待と不安が混じる気持ちになった。
§
(私はつくづく頑固者だと思う……)
彼――ゴトフリートの性格は、その見た目通りに頑固な部分はとことん頑固で、他のことは大雑把だ。
元々、職人気質であり、一度決めたことは誰になんと言われようと推し進める。そのせいで様々なトラブルに遭うこともあったが、料理に対する真摯な態度は誰からも信頼される人物だった。
そんな彼は、ある出来事から健康食を求めるようになる。
――何よりも。
その結果が閑散としたこの店内で起こった、家族同士の仲違いだ。孫娘のリィナは自分の考えを理解し、ついて来てくれるが、苦しい思いをさせてしまっているのは申し訳ないと考えている。
だが、王宮料理団を抜けて数年経つが進展はないに等しい。そんな状況にもかかわらず、リィナは「理想とする料理をつくれる人が見つかった」と言ってきた。にわかに信じがたいことだが……。
リィナはゴトフリートのことを目の前の橙也に紹介する。
「おじいちゃんは、元々王宮料理団の団長だったんです!」
「だ、団長ですか……!?」
レオンのことで知っているのか、王宮料理団という名前に、橙也は驚きの声を上げる。
(だいたいの事情は聞いているのか……)
橙也の反応も気にせず、ゴトフリートは、複雑な顔を、誇らしげな孫娘へと向けている。
「今の私は団長ではないし、国王とも仲違いしている……。ただの料理好きな老人にすぎないさ」
言ってしまえば都落ちなのだが、孫に話したい内容ではない。そのあたりはぼかしてあるのだ。
だから彼女の真っ直ぐな尊敬を、正面から受け止めることができない。
また、健康食堂を開いたように、食材に関する知識もこの世界ではトップクラスだ。
加工や処理の問題で、この店はあまり流行っていなかったが、ずっと包丁を握っていた。
そんな知識も経験も名声もあるゴトフリートの勘が目の前の料理は何か違う、と訴えかけていた。
「これ、食べてみて下さい!」
そう言って孫娘から差し出されたスープをゴトフリートが受け取る。
「よほど自信があるようだな」
孫娘から差し出されたものとあって、彼は何の疑いも持たずにそのスープを口にした。
「これはっ……!」
驚愕の表情を浮かべ、彼は孫娘を見た。
美味しい。
最初に出た感想は、そんなシンプルなものだった。
孫娘は普段から、試作品を食べてみてほしいとせがんでくる。はじめは今回もそうかと思ったが、先ほどの話の流れからすれば、彼が作ったものだと考えるのが妥当だろう。
しかし、本当に?
正直なところ、健康の観点を調理に取り込もうなんて料理人は少数派だ。特にこんな若い料理人が興味を持つなんてまずありえない。リィナは特例なのだ。
そこまで思考し、考えてもすぐに答えの出ないことは一度避けておき、再度味の検討に入る。
味がいいということは、バランスの偏った料理なのではないか。一瞬そうも考えたが、舌の上に広がる味は、それを否定していた。
ゴトフリートの知識と舌はこの料理に使われている食材をある程度把握できていた。
だが、いや、だからこそ信じられない。
使われている食材とこのスープの味が結びつかない。
体にいいものはまずい。
それは元王宮料理団団長の彼にとっても当たり前の常識だった。
彼自身、健康食堂は体にいいが相応にまずい、というスタンスで運営している。孫娘であるリィナの料理も彼のものと大差ないはずだった。
だからこそ客がいない。
これといって食事に関する知識を学ぶ機会のないこの世界では、普通の人がカロリーや栄養に気を使うことはない。そもそも、その発想や前提の知識がないのだ。
ゴトフリートのような一流の料理人でさえ、残されている僅かな資料から得る知識と、あとは様々な過去の料理人達が残した経験、そして自身の場数で少しずつ埋めていくしかないのだ。
そんな中でこの料理は、そういった常識を離れていた。それこそ失われた、古代の技術が用いられているのだろう。
使われている食材が把握できるからこその衝撃。
いったいどんな魔法を使ったのかわからないが、もしリィナが作ったものだったら健康食堂の安泰は間違いないと安堵しただろう。
体にいいからまずい、ということは受けいれているし、味がいいだけの料理を出そうとは思わない。住民のほとんどが食で体調管理をするつもりがないのもいやというほど実感している。
だが、店が繁盛してほしい、と思ってもいるのだ。
そしてみんなに健康になって欲しい。
最初から理にかなった食事をとっていれば、病気になる確率はぐっと減る。
ゴトフリートは自分が正しいと思っている。
確かに、かつてある天才料理人がもたらした膨大な知識は時とともに失われ、ゴトフリートはじめ先人たちが体感して残してきた経験則は必ずしも正解じゃない。
例えばりんごを食べている人間は風邪をひきにくい、という事実があっても、りんごのなにが風邪から守ってくれるのか、どのくらいが適量なのか、というのはわからない。
量が足りなければ風邪をひくかもしれないし、多すぎれば他の不調を招くかもしれない。そのあたりを確かめるすべはなかった。
かつては分かっていただろうそれらの知識も、数百年前の断絶によってほとんどが失われてしまっている。
王宮が本腰を入れて解明に乗り出せば、実験を重ね少しずつでも進むのかもしれないが、意固地になった今の王は特に、美食を貪ることに余念がない。
しかし細かいところはわからないながらも、健康に気を使った食事のほうが罹患するリスクを減らせるのは確かなのだ。
そう信じて進んできたが、健康食堂は流行らなかった。
話は単純だ。
みんな難しいことはわからない。でも、目の前の料理がおいしいかどうかはわかる。この見知らぬ青年が作ったのは間違いないだろうが、孫可愛さ故に、あえて彼女に問いかける。
「リィナ、このスープはお前が作ったのか?」
ゴトフリートの問いかけに、リィナは嬉しそうに首を横に振った。
「それは、このトーヤさんが作ってくれたものなんです」
そう言って、隣の橙也に手を向ける。
「……本当に、あなたが作ったのか?」
「え、ええ……そうです」
「そうか……」
驚きが半分と、やはり、という納得が半分。
この料理はゴトフリートの何歩も先をいっている。昨日まで同じ健康料理しか作れなかったリィナにしては、一足飛びに成長しすぎなのだ。
かといって、では他のものなら作れるのか、というのも疑問ではある。
リィナは決してダメな料理人ではない。半ば孫バカである自覚のあるゴトフリートだが、そこまで甘いわけではない、つもりだ。
知識や経験といった面ではまだまだだが、十分な技術はある。
でなければ店を任せたりはしない。
いくら流行っていないとはいえ、料理には真摯でなければならない。
「リィナ、何故この方が、うちで料理をしていたんだ?」
厨房を使わせた事自体は、別に構わない。この問いかけは、誰かもわからない人間の料理を、客に出してはいないよな、という確認のものだった。
「あの、それは……さっきお兄ちゃんが来ていて……言い争いになっちゃって」
「またか。レオンももう少し、調理以外のことを考えられるといいんだがな」
レオンがリィナと言い争いをするのは、今に始まったことではない。彼女が兄と同じ王宮料理団、そこまでいかずともこの世界での「まっとうな」料理人ではなく、ゴトフリートのような健康料理を目指してからはしょっちゅうだった。
「それで偶然居合わせた橙也さん達に、審査をお願いして勝負になったんです」
「レオンの考えそうなことだな」
巻き込まれた橙也たちには保護者として済まなく思うが、孫同士の料理対決、二人共それだけ料理が好きなのだと思うと、嬉しく微笑ましい気持ちになってしまう。
「そのあと、お兄ちゃんが、橙也さんも料理人だからって、料理を作ってもらうことになったんです。もちろん、私とお兄ちゃんが食べるためです」
「まあ、それならいいだろう」
勝手に店の食材と厨房を、店のものでもないレオンが許可して使わせたことについては不問とした。
ゴトフリートにとってはレオンも可愛い孫なので、やっぱり甘いのだ。
店としての問題が片付くと、改めて気になるのはやはりこのスープと、それを作ったとされている料理人。
このあたりでは見慣れない黒髪に、のっぺりとした顔つき。穏やかそうな顔をしているが、腕のあたりの筋肉は料理人のそれだ。
リィナの態度から見ても全く嘘はないのだろう。
だが、逆に気になるところがある。
「これほどの料理人……いったい、どこから来たのだ?」
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