9話 試食2〈サイド:レオン〉



「まさかこの白い塊……トーフが!? それがこのスープのキーになっていたなんて……!」


 レオンたちは豆腐を食材として使用することはない。だからこそ、驚くのだろう。


「豆腐はさっぱりした味であり、何よりあまり噛まなくても食べやすいという利点があるんだ。野菜の歯ごたえとスープの汁気を考えた時、バランスがいいと感じてね」


 実際、風邪をひいた時のタンパク源の供給元に豆腐があげられることも少なくない。

 食べやすさ、食材の身近さ、どれをとっても日本人には取り入れやすい食材だからだ。


「豆腐をこんなふうに使うなんて……」

「俺の故郷……日本(ニホン)ではそんなに珍しいことじゃないよ」

「だからといって、オレたちに出すのは勇気がいるんじゃないか?」

「たしかにどれくらい受け入れられるかは不安だった。だけど、俺が今までした料理と別物を出すことはできなかったし、それで勝負したかったんだ」


 今日、この街を訪れたと言ってたし、準備だってできなかったはずだ。

 こんな突然に料理をしろと言われて、これだけの料理を出すことができた。


(こいつ……何者だ……? いや、それ以上に……)


 レオンができるはずないと、目指しもしなかったものを、突然現れたこの男はやってのけた。


 レオンはこの世界で一流の料理人だ。


 祖父、父共に王宮料理団であったこともあり、レオンもまたその道を期待されていた。


 レオン自身も自然とそれを受け入れていたし、相応の才能もあった。


 老人たちが語る在りし日の祖父ならともかく、父や落ちぶれた今の祖父よりは優れていたし、事実若くして王宮料理団に入団し、エリート街道を進んでいる。


 実力に対する自負もあった。


「認め難くはある、が……」


 橙也の用意したスープは華やかさこそないが、たしかに美味しい。


 これほどの腕を持つものが、何故知られていないのか。


 誰ともしれぬ謎の料理人であったが、料理は肩書きや家名でするものではない。


 レオン自身、代々王宮料理人を排出している家に生まれていたが、コネで入団したわけではない。


 一流の血と環境には恵まれたが、結局のところすべてを踏まえた上で美味しい料理を作る腕があったからだ。


 コネだ、生まれだ、才能だと言われることが多いが、努力をしていなかったわけではない。


 いや、むしろそうやって僻んでばかりの無能よりも、遥かに努力してきた。


 御託など必要ない。ただ出された皿が美味いかどうかだ。


 それが、レオンの信条だった。


 だからこそ、自分の舌に嘘をつこうとは思わない。


 誰であれ作り上げた料理こそが全てだ。


 橙也の腕は自分より上だった。少なくとも、今は。


「健康と味の両立か……」


 およそ信じられないものだったが、たしかにこの料理はそれを満たしていた。


 調理過程は目にしている。


 使われている食材についてはもちろん、それを調理する橙也の手際もずっと見ていた。


 単純な調理技術で言えば、多少期待を込めて五分かも知れない。


 しかし食材に関する知識、扱い方の面では、明らかに自分より優れている。


「……今回はお前の料理が一番だ」


 皿を空にしたレオンは立ち上がる。


 これまでは実現できる人間がいなかった。だから無理だと決めつけていた。


 人は空を飛べない。月に降り立つ方法なんて、想像すらしようともしない。


 そんなものは妄想やおとぎ話でしかないからだ。


 味と健康の両立は、これまでその類いの夢物語だった。


 だが、その実例が示された今。


 人間が空を飛ぶところを見せられた後なら、「どうすれば飛べるか」を真剣に考える可能性も出てくる。


 何より、たどり着いている人間がいるのだ。


 レオンはまっすぐに橙也を見つめる。


「今回はお前の料理が一番だと認めよう。だが、オレはお前のことは認めない」

「お兄ちゃん!」

「リィナは黙っていろ。最高の腕だと称される王宮料理団のオレがそう簡単に敗北を認めるわけにはいかなんだ。次会う時までに、オレはもっと最高の料理をつくってやる」


 それがどういう料理なのか、まだレオンにはわからない。

 しかし、突如現れた男が不可能を可能にしてしまったのだ。


 究極は何かわからないが、新たな価値観を受け付けられた気分である。


(まだオレは学ぶべきことがある……)


 これまで使い道のなかった食材もどきたち。

 それを組み合わせて化けさせることができれば、そこにはこれまでなかった美味があるかもしれない。


 突然現れた料理人が出した、このスープのように。


「リィナ」


 レオンは妹へ声をかける。


「お前がつくって料理、オレのためだったんだな。気がつくことができなくてすまん」

「いいんです。お兄ちゃんが知ってくれただけで嬉しいんだから」

「これもすべてあいつのおかげか……」


 レオンは燈也を見る。


「だが、俺はあいつを認める気にはならない」


 それは意地のようなものでもあった。燈也を認めてしまったら、自分自身のすべてを否定することになってしまいそうだから。


「まあ、この料理だけは認めてやるか」

「お兄ちゃん!」

「このスープは、確かに健康に良く、味も良かった。だが、それはあくまで今回この男の作った料理がそうだったというだけだ」

「本当に素直じゃないんだから……」

「それに、リィナが健康食堂をやっていけることにはなっていない。だからオレは、お前がここを継ぐことにはずっと反対だ」


 そう言ってレオンは橙也の方へ向く。

 その目には尊敬と、いつか追いつく、という決意が込められていた。


「名前を教えてもらえるか?」

「橙也。朝山橙也だ」

「トーヤか。覚えておく」


 その名前を噛みしめるようにして、レオンは呟いた。


「次はオレも更に美味いものを用意しよう」


 そう言い残して、レオンは店を去っていった。


 橙也はその後ろ姿を、眩しいものでも眺めるかのように見送った。

 レオンがいなくなると、店の中は静になる。


 そんな中、リィナが唐突に声をあげた。


「トーヤさん!」

「な、なに……?」


 彼女の声に驚いていると、リィナがずいっと身を乗り出す。


 彼女の顔が近くて橙也は後ずさるが、そんな事は気づかない様子でリィナは続けた。


「トーヤさんの料理はすごいですっ! こんな料理は初めてです!」

「そ、そうか……」


 日本人にはなかなかないぐいぐいくる感じに、橙也は戸惑ってしまう。


「是非おじいちゃんに……この食堂のオーナーに会ってください! おじいちゃん、きっとすっごく喜ぶと思うんです!」


 困った橙也が助けを求めるように桃香達へと顔を向ける。ドラコは我関せずとばかりパイプをくゆらせていた。レオンの作った美味しい肉料理を食べてご満悦の様子だ。神であるためか、栄養バランスは問題ないらしい。


 橙也からのヘルプを受けた桃香が腰を上げ、橙也とリィナの方へと来る。


「そのおじいさんはいつ帰ってくるの?」

「多分、そろそろだと思います」


 話を振られたリィナは桃香へと向く。

 その隙に橙也は彼女達から距離を取った。


「そういえば、ここ結構広いけど、お店ってそのおじいさんとリィナだけなの?」

「はい。二人でもやっていけるので……」


 そういうリィナの表情は、あまり明るくなかった。

 店の状況を見れば、その曇顔も察しがついてしまう。

 この大きさのお店だと、席が埋まれば二人で回すのは難しいだろう。


 しかし、先ほど橙也達がきた時も客は誰もいなかった。


 二人で回せてしまうというのは、そういうことなのだろう。


 若干気まずい思いをしていると、ドアの開く音がして全員の視線がそちらへと向く。


 ドアから入ってきたのは大柄な老人だ。その彼はさっと店を眺めると、橙也と桃香の姿に一瞬驚いたようだった。


 この辺りでは見慣れない姿だ、という自覚はあったので、橙也はその視線にも、特に何かを思うことはなかった。



「おじいちゃん!」



 リィナはその老人の元へ走り出したのだった。

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