8話 試食〈サイド:リィナ〉
(トーヤさんのつくった料理、どんなものなんだろう……)
見た目はただの野菜スープ。
しかし、燈也は美味しく健康的な料理をつくる、という熱意があった。
その気持ちに動かされ、スプーンを手にしたのだ。
(私と燈也さんが目指しているものは同じ。だったら、私との違いはなんだろう……?)
そう思い、リィナは野菜スープを口にしたのだった。
「――ッ!?」
口の中に野菜の甘味と、コンソメの深みが広がる。
甘さと塩気が絶妙なマッチングで濃すぎず、薄すぎず、ちょうどいい味付けになっていた。
野菜をふんだんに使うと、スープの味に奥行きがでる。これは、ある程度煮込んでスープに味を移すイメージでないとだめだということ、そういった食材の旨味が、調味料の使いすぎを防ぐ効果もある。
「おいしいですっ!」
正直、ただの野菜スープだと高を括っていた。
野菜を煮込み、適当に味付けをすればいいだけだと思っていたのだ。
だが、燈也のつくったスープは決してそんなことがない。
高級料理として出していいほど、味も抜群だ。
ほろほろと崩れるじゃがいもや、口の中で蕩ける玉ねぎ。
(なんというおいしさ……! 栄養バランスを考えられているのは、材料からわかるけど、それをここまでおいしくできるなんて……!)
味と栄養価の両立ができている。自分が目指していた理想がそこには詰まっていた。
料理は、ただの野菜スープ。
しかし、材料はどこにでもあるものを使っているのに、これだけ考えられた料理にすることができている。
(この人は一体……)
リィナは何も言えずにただ考え込むだけだった。
「リィナ、どうなんだ?」
憮然としていたレオンもリィナの様子が気になるようだった。
「こんな野菜スープ、食べたことないですっ! お兄ちゃんも食べてみたら?」
「ふ、ふん……なぜオレが……」
素直に食せないところが、レオンの玉に瑕な部分だ。普段は妹想いで優しい兄ではあるが、料理に関しては自分の主張を曲げようとしない。
弱冠二十五歳という若さで、王宮料理団に一員になれたのだ。
その才能は抜群のものだが、それ以上に並々ならぬ努力があった。
そのせいで、常に自分が正しいと思うになってしまった。
(だから、お兄ちゃんはおじいちゃんのやりたいことを否定するんですよね……)
祖父の退団は突然のことだった。
祖父を目指してきた兄からしたら、裏切られたような気分なのだ。
(おじいちゃんから美味しくて健康的な料理をつくってみたい、と言われた時、私は目の前が明るくなったような感じがしました。だけど、いくら研究を重ねても成果は出ず、気が付けば“まずくてもいいから健康的な料理“を追い求めるように……)
そのせいで、なおさら、祖父と兄の関係は悪くなっていた。
兄の考えを理解できないわけではない。
だが、もしかしたら偏った考え方なのではないかと疑問に感じるのだ。
もし今よりもずっと良くなる未来があるというのなら、それに向かって努力していく必要がある。
そう思った時、リィナは祖父の手伝いをしようと思った。
しかし、それは簡単なことではなかった。
王宮料理団が管理していた古い文献が、その手掛かりなのだが、文字が読めずにどうしても手詰まりに。
脇に書いてあるメモ書きはこの国と同じ言葉だったので、そこから解読していくことしかできなかった。
そのため、闇の中を手探りで歩くようなものだった。
だが、この突然現れた青年がつくる料理は、それらの問題を解決してしまうような出来栄えだ。
だからこそ、リィナはレオンに食べてもらいたい。
「お兄ちゃん、食べて下さい。これでもし納得できないなら、おじいちゃんを説得してこの店をやめてもいいですから」
それは覚悟のあることだった。だが、その覚悟をかけていいほどの料理が目の前にある。
「リィナ……本気か?」
「本気です。その覚悟をこの料理にかけてもいい……」
「お前がそこまで言うなら」
妹の覚悟を感じとったのか、スプーンを手にしてレオンは一口飲んだ。
「――ッ!? どうしてだ!? 使っていた食材は……!?」
レオンは確かめるように、もう一度スープに口を付ける。使っていた食材と、目の前の料理の味が結びつかない。
この味でどうして健康的だなんて言えるのか、使っていた食材は確かに体調不良のときに推奨されるものだったが、栄養素を損なうような調理をしてしまえば結局は不健康な料理だ。
「おかしい……! 調理も、食材も見ていたが、何もおかしなところはなかった……! なのに、なのに、なぜ……!?」
「だから、極端なんだよ、全部」
橙也の言葉に、レオンは顔を向けた。
どういうことか、と問うような目を橙也に向けている。
「たとえばショウガのすりおろし汁。ショウガは味の主張が強いから、入れすぎると全てショウガの風味に負けてしまう。それを体にいいからって使うときは大量に入れて、存在感が強いからって使わないときは全く使わない。イチかゼロだから完成品も極端なんだよ」
「そんな……」
「レオンの料理は、確かにとても美味しい」
燈也は続ける。
「こと肉に関しては、下処理も調理も完璧だったし、レオンの腕は認める。だからといってバランスの乱れた食事ばかり食べ続けることは次第に体に不調となって現れるだろう。それにこの野菜スープには意味がある」
レオンを見て、燈也は言う。
「どうして俺が野菜スープをつくった思う?」
「どうして……だと?」
レオンはその疑問に答えることができなかった。
「リィナがつくった料理……あれはレオンのためにつくった料理だったんだ」
「オ、オレのために……?」
燈也はリィナの方を向き、「でしょ?」と尋ねる。
「そ、そうです。お兄ちゃんは風邪をひいていましたので、早く治ってほしいと……」
「言い争いをしていても、オレのために?」
「どんなにいがみ合おうとも、私たちは家族です。たとえ家族じゃなくても食で人の健康を考えるのがこの食堂の意味ですから……!」
燈也は笑みを浮かべ、頷いた。
「そんな気持ちに気が付いたから、この野菜スープをつくろうと思ったんだ」
リィナの料理を見て食べただけで、彼は自分の意図を汲み取ってくれた。しかも、まるで手本を見せるように、野菜スープをつくってくれた。
それだけではない。
兄が料理を口にするこの状況だからこそ、橙也は風邪に良い材料でつくってくれたに違いない。
兄と妹、意味合いは違えど、どちらが食べても、食べた人にとって意味のある食事になっていたことにリィナは強く感動を覚える。
見ると、リィナがサラダに使用した野菜がスープにも使用されている。
(すごい……! すべてを見通し、正しいものをつくってくれた……!)
横では桃香も橙也の料理を口にしていた。
「兄さんのにんじん、工夫がされているよね?」
小さく切ったにんじんを食べて言った彼女に、燈也は頷く。
「小さく切った一番の理由は風邪で弱ってるときでも食べやすいようにだったんだけど、食材の味も俺の知っているものとはちょっと違ったからね」
にんじんはこちらでもにんじんの味だった。
だが、食べやすいように品種改良されていた日本のにんじんと、野生種に近いこちらのにんじんでは、にんじんとしての味の濃さ、クセが違うのだ。
子供が嫌い事も多いように、にんじんは元々クセの強い野菜だ。
マイルドになっているから大人になれば食べられることも多いが、もしそのにんじんが品種改良されたものでなければ、生涯好きになれない人間はもっと多いのではないだろうか。
ただ、その主張の強さもサイズを小さくし、一度に口に入る割合を減らすことで軽減できる。
小さな子向けに、刻んだ野菜を他の食材と混ぜて食べさせるのと同じ事だ。
「使った食材は、確かにこの目で見ていた……」
レオンは小さく呟いた。
「性質を考えて両立、か」
実際には様々な要素が合わさってのことであるが、たとえばにんじんとショウガ。どちらもクセの強い食材ではある。
にんじんのもたつくような甘さ。
ショウガの強い刺激と辛み。
だがスープの中で適量合わさることで、にんじんのくどさをショウガが緩和し、ショウガの辛みをにんじんがマイルドにする。
橙也が調理前に言っていた通り、性質を理解することで、それぞれの欠点を打ち消していた。
「一番すごいのは、この白い塊です。スープの食感をよくするとともに、味のバランサーになっています……!」
それは豆腐のことだった。
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