4話 レオンの料理


 二人が厨房の方へ向かった後、橙也は食堂内を見回した。


 木のテーブルにシンプルな内装。これといった飾りや派手さはないものの、食堂は綺麗でそれなりの広さだ。

 四人がけのテーブルが多いため全部埋まることはないだろうが、四十席くらいある。


「結構いいお店っぽいね。お金もかかってるみたいだし」


 同じように店を見ていた桃香がそう言った。客が入っていないことから推測すると、オーナーである元団長が自分の財産をはたいてつくった可能性がある。これだけでも彼の意志の強さというものがわかるようだ。


「それに厨房も予想より現代的だ」


 カウンター席があるため、橙也達が座るテーブル席からも少し厨房が見える。

 中は広めで、様々な調理器具があるのがわかった。この世界にどのくらいの機材があるのか不安だったが、ぱっと見はそれなりに不自由しなそうだ。


「オレ様がそういう世界を選んだからな」


 偉そうにドラコが胸を張るが、リクエストを出したのは妹だ。


(ありがたくはあるが……)


 もちろん、ちゃんと確認してみないと詳しいことは分からないが、少なくとも巨大な鍋しかなく、全部煮込んで調理する、なんて事はなさそうだ。やはり中世風といえど、地球のそれよりは文明が進んでいるみたいだった。


 また、全体的な雰囲気としても、客の少なさに反してお店には気合が入っているようで、もう少し飾ればトラットリアではなくリストランテと言っても通じるだろう。


 これまでの街並みも予想よりすばらしいものだったが、この店は更に上をいっている気がした。


「この店はかなり高い水準だぞ。ここを基準だと思わないほうがいい」


 店を見回していた二人に、ドラコが注意する。


「そうなの?」


 桃香が素直に尋ね返すと、ドラコが頷いた。


「一般的な水準は、とりあえず傾いていないテーブルと椅子がある程度だ。間取りだってこんなに広くない。十五席もあればいいところだろう」


 ドラコは続けた。


「おそらく元団長であるここのオーナーが、心血を注いで建てたんだろうな。田舎街にあるのは、単に箱代が安かったのか、他の理由があるかはわからないが」


 個人経営の大衆食堂、と考えると確かにそっちのほうが妥当な気がした。


 橙也が働いていた社員食堂しかり、チェーンや企業が絡んでくれば広さはその限りではないが、テーブルなどの調度に関しては、やはりそう高いものにはならないだろう。


「兄のほうが王宮料理人とかいうエリートっぽかったから、それが関係してるのかな?」

「確かに、妹を心配してる風だったしな」


 二人は言い争っていたが、レオンの方は道を間違っている妹を正そうとしている雰囲気だった。


 それが本当に正しいのか、独りよがりになっているのか、などは詳しく知らないし、疑問だが、多少形や表現方法を間違っていたとしても、彼なりに妹を思ってのことなのだろう。


「え? そう? 普通にいじわるじゃなかった?」


 どうやら桃香にはそう見えていなかったらしい。


 橙也は話題を変えるために気になっていることを確かめた。


「ドラコ、この国の価値観は少しおかしくないか?」

「わたしもそう思う! どうして、美味しくて不健康な料理かまずくて健康的な料理しかないんだろう?」

「一言でいえば、世界が違うから……で終わるんだが、もしかしたら王宮料理団の過去と関係があるかもな。それに、歴史も関係しているのかもしれない」

「歴史?」

「歴史と言っても古いものだが、この国をつくった初代王はどうやら濃い味付けとカロリーが高いものが好きだったらしくてな」

「たしかに、調味料の価値は今よりも高かったそうだからものによっては基本は薄味になるだろうし、食べ物自体が少ないと高カロリーのものが高級になるものわかる」


 王族の人たちが好むのも納得だ。


「そこから庶民まで広まっていったんだが、結果として濃い味付けや高カロリーといった極端なものが多くなっていったんだ。健康的な野菜スープだって塩をドバドバ入れて濃い味にするくらいだしな」

「俺たちからおかしなこともこの世界の人たちからしたら、常識だったりするのか」


 そう考えると変な話ではない。

 たとえば、日本人は卵を平気で生で食べるけど、欧米の人たちから見たらおかしなことだという。


 それが極端になったと考えれば納得がいく。


「味についてはなんとなく想像できるけど、一番変に思うのは健康食、栄養学の概念があることなんだ」

「わたしたちの世界での栄養学の歴史って浅いんだっけ?」

「うん。栄養学が発達してきたのは1910年代頃といわれていて、食と健康についての歴史からみると比較的最近なんだ。はじめは医学的・科学的な分野に関わる人が食品の持つ成分と、人体にどのように働いていくのかを明らかにしていった。昔から、食生活と疾病の関係性については多くの研究や考察がされてきたようだけど、成分を分析・測定するための機器が発達してからでなければ、立証できないことが多かったんだと思う。仮に正しい結果を予測できていても、その説を証明できる材料が無かったということだね」

「栄養素ってものすご~く小さいものだがら、科学が進歩しないと発見することすらできないってことか。ドラコ、この世界では顕微鏡とかあるの?」

「そこまで進歩はしてないはずだぜ」

「なら、余計におかしいことになるな。やっぱり、さっきの会話にあった“文献”とやらが関係してくるのかな」

「そうかもね、兄さん」

「その文献を何かの機会に見せてもらいたいよ」

「チャンスがあったらいいね」


 それからしばらく待っていると、厨房からレオンとリィナが戻ってくる。


 それぞれお盆をもっており、その上には料理が並んでいた。


 橙也たちの前に、そのお盆が並ぶ。


「オレの料理はレアステーキとエビのフライの盛り合わせだ」


 レオンのもってきたものは、見た目にも華やかだ。

 カラっと揚がっているフライの黄金色に、レアな肉の鮮やかな赤。白いパンも柔らかそうだ。


 とても美味しそうに見える。

 いや、美味しいに違いない。


 食べる前からそう確信できるほど、彼の料理は見た目と香りで食欲を刺激してきた。


「今度は私ですね。私がつくったのは優しい味付けの魚介のスープと野菜たっぷりサラダ、主食のパンです」


 リィナがもってきたのは、歯ごたえのありそうな小麦色のパンにサラダ、そして魚のスープだ。

 サラダの量がかなり多いのはカロリーを気にしてのことだろうか。あのパンならしっかりと噛むことができるし、多めのサラダでしっかりと野菜をとることができる。スープに入った魚でタンパク質をとることもでき、健康を考えたメニューだった。


(もしかしてこの料理……)


 ある可能性を思いつく燈也。リィナがしたいことが何となく見えて来た瞬間、


「先にオレの方から食べてもらおうか」


 とレオンが言う。


「御託などない、オレがつくったのはただおいしい料理だ」


 レオンは自信満々にそういった。自分の料理に疑いを持っていない、いい顔だ。


 橙也と桃香は王宮料理人の腕はいかほど、と期待して口へと運ぶ。


「おいしい!」


 料理を口にした桃香が思わず叫び、レオンが笑みを浮かべる。


 肉の火加減もバッチリだし、かかった濃い目のソースは一見主張が強いだけのものだが、その実、やや濃すぎるからこそその後に広がる肉のうまみを際立たせていた。


 エビフライもサクサクの衣の奥からじゅわっと肉汁が広がる。やけどに気をつけながら咀嚼すると、幸せが口の中に満ちていくようだ。


 技術的には申し分ない。王宮料理人というだけあって、おそらく使われている材料からして街の食堂に適するものではないだろうが、単純に料理として考えれば問題なく美味しい。


「オレの料理の味は最高だろ? このレベルの食事を毎日食べることが誰だって幸せになる。そういうところも判定に加味してもいいぞ」


 有利になると思ったのかレオンはリィナの方を見ながらそのように言う。


(確かに素晴らしい料理だ……)


 だが。


「おいしいけど、カロリー大変そうだね」


 桃香が小さく呟いた。


 レオンのメニューは肉と油と炭水化物。


 確かに美味しくはあるが、とても偏っている。


 特に専門知識のない桃香でも分かるほどに高カロリーでバランスが崩れていた。


 橙也の《未来実感》を使うまでもなく、この食事を続けていれば体調を崩すのが目に見えていた。


 ここまで極端だと、橙也としてはいくら美味しくても評価しがたいものがある。


 今日一日ならいいかもしれないが、食事というのは積み重ねだ。


 食事は体を作る元。これでいいとは思えない。


(王族の人たちは毎日こんな料理を食べているのか……)


 気がかりなのはリィナの言葉だ。


 彼女は「栄養も大事です」と言っていた。

 栄養の概念はあるが、やはり、ある種のオーパーツ的な扱いなのかもしれない。


(不思議な世界だ……)


 地球の中世においても健康の概念はあったと思う。

 風邪になったらネギを食べろとか、そういったおばあちゃんの知恵袋的な知識は蓄積されていてもおかしくはない。


 ただ、そこに科学的な根拠はない。

 あるのは、結果から導き出された経験。


(この世界の栄養学はそういうものなのか……?)


 経験から栄養という細胞レベルの概念を導き出せるかは疑問ではあるが、答えは出ない。

 そういった世界なのだろうと、ひとまずは自分を納得させておく。


「じゃあ、次はこっちね」


 橙也達は、リィナの料理へと手を伸ばした。

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