2話 異世界の食堂
(さっきの言葉はどういうことなんだろ……)
美味しくて健康的な料理なんて当たり前に存在するはずだ。
現に、管理栄養士として、そういったことを追求していた橙也には絶対にできないような難しいことではない。
(気になるけど……)
まだ男女の声は聞こえる。言い合いをしているのだろうか、内容までは分からない。
「……いってみようか。お店自体は営業中みたいだし」
「いや、でもなんか取り込み中みたいだよ?」
興味はあるが、さすがにこれ以上の深入りはよくないのかもしれない。
だが、桃香は違った。好奇心を刺激された彼女は、すでに彼女は少しドアを開けていた。
「も、桃香……!」
「いいからいいから♪ 兄さんだって気になるでしょ?」
まるで噂好きのおばさんのように、桃香は首を突っ込む気マンマンだった。
ドアの隙間から声がはっきりと聞こえ、話している中身もしっかりと聞こえる。
「いいか、お前の言う“美味しくて健康的な料理”はありえない」
「ありえます! おじいちゃんが見たっていう古い文献にはそういったことが書かれていたと……」
「誰も読むことができない古文書じゃないか。ただの夢物語だ! それに、研究をしている言うが、全く成果が出ていないだろ! 栄養と味の両立は不可能! ならば、せめて味だけは追求するべきだろ」
話を聞くに、変わった文化であるらしい。現代日本で生きてきた橙也からしたらおかしな話ではあるが、二人の真剣な言い合いから想像するに、この世界では当たり前の概念なのだろう。
――世界も違えば概念も違う。ドラコが言っていたことがわかったような気がする。
そして、そのせいで二人の意見が分かれている。
男の主張は、栄養と味の両立ができないのならせめて美味しくつくりたい、というもの。
女の方は、栄養と味の両立を目指そうとしているということだ。
「味がよくても、健康的じゃないなら続けられません」
「まずい料理など、誰も食べたがらない。いつか飢え死にすることになるぞ!?」
「そんなことはありません。栄養も大事ですっ」
女の方も食い下がらない。
「ふん、お前も料理人の端くれなら、オレのようにニーズを求めるべきじゃないのか?」
男も女も料理人らしい。それを聞いて橙也はさらに興味が出てきた。
(一体どんな二人が……)
ドアの隙間から店内を見る。服装を見るに、客ではなく店のスタッフなのだろう。
店内で大っぴらに口論なんて、と思った橙也だが、ぱっと見て他に人は見当たらなかった。
(お客さんがいないのかな……? それにしてもあの二人……)
よく見ると中にいた二人はどこか似ている。
(兄妹かな……)
二人共整った顔立ちをしており、金色の髪をしていた。
女性の方に比べて、男性の方は怜悧で強気な印象を受ける。
違いがはっきりしているというのに、どこか似た雰囲気を感じる。それが兄妹という印象を抱かせたのかもしれない。
二人とも主張を譲る気がなさそうなのは伝わってきたが、男性の方はそれだけではなく、どこか言い聞かせるような雰囲気だった。年齢の事もあるのかもしれないが、兄らしき男性のほうが料理人として上なのだろう。
「栄養があってまずいものよりも、うまいものを食べたがるのは当然だろう。ゴホッ……」
「その結果、風邪が長引いているんじゃないですか!」
咳をした男性に、女性が言い返している。
彼はすぐに呼吸を整え、なんでもないように言い返そうとした。
「風邪が長引くのはよくあることだろう。ゴホッ、そんなのはたいした問題じゃない」
そこでまた咳き込んでしまったが、主張を取り下げるつもりはないようだ。
「お前たちの理論が間違っているのは、この店に客がいないことが何よりの証拠じゃないか!」
「……ッ」
兄の言葉に、妹の方は軽く唇を噛んで目をそらした。どうやら図星で言い返せないらしい。
「じいさんの店の手伝いはやめろ。ここは近いうちに潰れる。お前の勉強熱心な態度なら王宮料理団に入ることはできるだろうし、そうすれば将来は安泰だ」
「おじいちゃんはその王宮騎士団を抜けて、この店を始めました! そこじゃ達成できないから自分でやるって……」
「その様がこれだろ? 店を初めて何年になる? 団長まで上り詰めた男も、今じゃ田舎街の寂れた料理人さ」
「う……」
そこで目を泳がせる彼女。男の言葉に対して、納得できるところがあるのだろう。困ったように店内を見渡していた。
その時、入り口付近で固まっていた橙也たちを彼女は発見する。
「あ!」
燈也は内心で「まずい」と思ったがすでに遅かった。女性はこちらに向かって頭を下げて、
「い、いらっしゃいませっ!」
燈也たちを見つけ、これ幸いとばかりに話を打ち切って橙也たちに近寄ってきた。
「こちらの席へどうぞ」
先ほどの剣幕とは違い、太陽のような明るい笑顔で接客をしてくれる。かえって、どうしたらいいのかわからなかった。
「えっと……」
「まあ、この世界の料理を食べてみるという目標は達成できそうだし、良かったじゃないか」
困る橙也の横を飛びながら他人事のようにドラコが呟いた。
先程他の人に見えない、と聞いたばかりの橙也は、非難の目だけを彼へと向ける。
「さあ、こちらへ」
女の方に案内されるまま、橙也たちは席に着く。
ここまで来たら腹をくくるしかない。あくまで料理を食べるだけだし、と思った橙也はお金のことを思い出してドラコへと目を向けた。旅行気分で異世界を見ていたが、よく考えれば橙也達は一文無しだ。
「ふむ……」
橙也たちを見た男の方は、まずは二人の顔を、次に橙也の手を確認する。
「ふっ、クセでな。相手が料理人かどうか見ちゃうんだよ。……お前、包丁を握ぎるだろ?」
料理人であるかを問いかけていることはすぐにわかった。
橙也は恐る恐る頷く。
「やっぱりな。こんな店に興味が出るのは変わった料理人くらいさ。で、さっきの話……聞いてたんだろ?」
鋭い眼光で見つめられてしまったら、嘘をつくことはできない。
「ま、まあ……。ですけど、お取り込み中でしたら、帰りますよ」
「逆だ。ぜひ、協力してもらいたい」
嫌な予感がする。
「どちらの料理が優れているか、お前に決めてもらいたい」
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