むくちくん

逆立ちパスタ

むくちくん

 転勤族の子供の一年は忙しい。春は珍しいと知らない同級生に囲まれて質問攻めにあい、夏は仲良しグループに入れず孤立する。秋からようやくクラスに馴染めたと思えば、冬にはまた新しい転校先が決まって年度末にはお別れだ。

 そんなことを小学校から繰り返し続けて早七年。きっと僕の人生はこういうものだと決まっていたのだろうなんて思い始めた今日この頃だ。

付け替えたばかりの新しい学ランのボタンを退屈しのぎにいじっていると、職員室から教師が出てきた。丸眼鏡がよく似合うおじいちゃんだ。

「待たせたね。それじゃ行こうか、門脇くん」

「はい」

 僕は名前も良く覚えていない担任に連れられて校舎の中を歩いた。正直新しい担任がおじいちゃんでよかった、とこっそり安堵のため息を吐く。今まで会ってきた中で一番苦手なのが若い熱血教師だ。大して望んでもいない馴れ合いを強要してくる面倒くさいタイプで、そういう教師が担任だった場合の一年は最悪だ。仲良しごっこが嫌いな僕にはとことん苦痛な時間が待っている。その点、おじいちゃん先生は基本的に口を出してこないから楽だ。

「門脇くん、着いたよ」

 先生の声にはっと顔を上げると、そこは教室だった。下げられたプレートには二のAと書かれている。今日から僕が所属するクラスだ。薄っぺらいスライドドアの向こうからは騒がしい話し声が聞こえてきた。

「それじゃあ私が呼んだら入ってきてね」

「分かりました」

 頷いて見せると、先生は満足そうに笑ってゆっくりと教室に入る。扉が開いた瞬間、先ほどまであれほどうるさかった教室が一瞬で静まり返った。慕われているのか、恐れられているのか判断が難しいところだ。

 先生は静かな教室に連絡事項をいくつか言い渡し、やっと僕の話題に移った。

「それじゃ門脇くん、入ってきなさい」

 先生の言葉を合図にして、僕は教室のスライドドアを開けた。クラスはおよそ三十人。全員の遠慮ない視線が刺さるのも、もはや春の恒例行事と化してきた。

 黒板の前で先生がチョークを差し出している。僕はそれを受け取って、黒板に自分の名前を書いた。転校生がやる定番のシチュエーションだなんて思いながらチョークを置いて、適当に自己紹介をする。

「えーと、門脇流石です。さすが、と書いてながれって読みます。よろしくお願いします」

 頭を下げると、少しの間をおいてまばらな拍手が起きた。変な名前だから自己紹介は嫌いなんだよ、と下を向いてこっそり眉間に皺を寄せた。

「君の席はあっちだよ門脇くん。窓側一番後ろの席」

 先生が指さしたのは、これまた転校生定番の席だ。僕は教壇から降りて席まで大股で歩いた。席に座ると、先生は何事もなかったように授業を始める。まだクラスの雰囲気が掴めていない僕は、一体どんな一年になるのか想像もつかなかった。

 休み時間は、やっぱり人が集まってくる。

「門脇くんって前はどこの学校にいたの?」

「今ってどこら辺に住んでる? 二丁目の公園の方?」

「門脇くんが前に住んでたところってどんなところ?」

「流石って面白い名前だね」

 最後のは質問じゃなくてただの感想だろうとツッコまずにはいられなかったが、全て顔に笑みを張り付けて返事をしておいた。

「門脇クンって言うんだよな、転校生」

 突然背後からそんなことを確認されて、僕は驚きながら振り返る。声の主は仏頂面の男子学生だ。髪の毛の色がほかの子に比べて若干明るい。よく見たら両耳にも小さいがピアスが付いている。厄介事に巻き込まれるのは嫌だが、無視するわけにもいかない。

「うん。名前聞いてもいいかな?」

「俺か? 俺は矢口了平。了平って呼んでくれ」

 思ったより普通だし、なんならほかの人よりフレンドリーだ。ちゃんと自己紹介もしてくれたし。

「じゃあ、了平くん」

「あぁ。んで、門脇クン。お前学校来たばっかりだろ。案内してやるよ」

「本当? 先生には職員室から教室までしか教えてもらってないから助かる」

「拓ちゃん先生適当かよ」

 頭痛を我慢するように眉間に皺を寄せて額を押さえる了平くんは、次の瞬間には笑顔を見せて僕に手を差し出した。

「まぁ俺に任せとけ。うちは無駄に校舎広いから迷わないよう近道とかも教えてやるよ」

「ありがとう。広いってのは僕も思ってたんだ」

「なになに? むくちが転校生案内するの?」

「むくちに任せときゃいいか」

「おう。行ってくるわ」

「無口?」

 僕がちょうど隣にいた女学生に聞くと、あぁ、とその子が教えてくれた。

「矢口のあだ名。みんなあいつのことをむくちって言うんだよ」

「へぇ」

 寡黙なヤンキーとは、またキャラの立ってる奴だ。少年マンガとかでよくいそうなタイプ。

「行くぞ門脇クン」

「あ、うん」

 いつの間にか教室の扉を開けていたむくち、いや了平くんを慌てて追いかけた。いってらっしゃーい、と間の抜けた声が教室から聞こえてくる。去年の学校よりずっと居心地のいいクラスなのかも、と少しうれしくなった。


「ここが第二理科室だ。科学の実験器具が置いてあるのがここの教室の奥にある倉庫だから科学の長野に頼まれたらここに来ればいい。鍵は職員室にあるけど長野は大体開けっ放しで放置してるから多分そのまま入れると思う」

「はぁ」

「廊下の突き当りのドアが美術室だ。美術担当の西尾がよく昼寝で使ってるからもし美術で分からないことがあったら行けば会える。あいつかまってちゃんだから質問あるんですーって言えばすぐ答えてくれるしお菓子とかくれるからな」

「なるほど」

「そこの階段上がった先がコンピューター室で、学生証がないと入れない。一応パソコンはネットも繋がってるけど履歴が全部残るからばれたら面倒くさいぞ。あそこを管理してる魚住は神経質ですぐにガミガミ説教してくるからな」

「ほう」

 寡黙なヤンキーなんて言ったが、あれは嘘だ。何だこいつ、いつまで喋っているんだ。息継ぎをどこでしているのか分からないほどずっとしゃべり続けている了平くんを見ながら僕は若干げんなりしてきた。一体誰がこいつに無口なんてあだ名をつけたんだ。もしかして皮肉だったのか。

 僕の沈んだ顔を見て、了平くんはまたしゃべりだした。まだ話すことがあるのかこいつは。

「なんだ、門脇クン体調悪いのか? 疲れた顔してるけど。あ、保健室も案内しよう。使わないに越した事は無いけど、白鷲先生は優しいから保健室で寝てても怒らないし居心地いいぞ。たまにお茶出してくれるしな」

「そ、そうなんだ……」

「白鷺ちゃんって呼ぶと超機嫌よくなるんだよ。ちょろいところも可愛いんだよな」

「可愛いんだ……」

「まぁめっちゃマッチョだけど」

「マッチョ⁉」

「うん。白鷺ちゃんオカマだし」

 保健室の優しい白鷲ちゃん、と聞いて勝手に白衣の天使を想像していたが予想は大きく外れたらしい。つかオカマかよ。

キャラの濃い人物が多い学校だ。今までずっと面白みのない学校でなんとなく過ごしてきた僕には刺激が強すぎる。オカマの校医も強烈だが、僕にとっての一番は校内の案内を申し出てくれた目の前の無口とか呼ばれているヤンキーだ。

「そういや門脇クン、昼飯はどうすんの?」

「えっ、あ、購買あるって聞いたから買おうかなって」

「マジか。じゃあ購買行こうぜ。俺も今日母ちゃんから持たされた弁当食っちゃって昼飯ないんだ」

 あっけらかんと笑う了平くんを見て、僕は不思議に思った。僕が座っているのは窓側一番後ろの席だ。クラスメイトの様子を後ろから一望できる特等席なのだが、今日の授業中に早弁をしていた生徒なんて見ていない。

「でも、授業中に早弁してなかったよね」

「おう。登校中に食ったからな」

「登校中⁉」

「弁当食べながら歩くのってすげえ神経使うんだよ。だから進むのに時間がかかって仕方ないんだよな。だから俺いつも母ちゃんに弁当はおにぎりにしてくれって頼むんだけど全然聞いてくれなくてさあ。なんか手にべたべた米粒が付くの嫌なんだとさ」

 本当に変な奴だ。そしてやっぱりよくしゃべる。

 僕は購買に向かう道すがら、意を決して了平くんにどうしても気になることを尋ねてみた。

「あ、あのさ。聞きたいことがあるんだけど」

「おう。何でも聞いてくれや」

「その、なんで了平くんはみんなから無口って呼ばれてるの?」

 すると、了平くんは眉を上げて教えてくれた。

「なんだ、そんなことか。案内で分かったと思うけど俺、よく喋るだろ? だからみんながむくちって呼ぶんだよ」

「でも、無口って静かな人のことでしょ? 君にはちょっと似合わないあだ名のような気がしてさ……」

 語尾が口の中に消えてしまい、俯いてしまった。見た目がヤンキーの了平くんがじっと無表情でこっちを見るとやっぱり怖い。ごめん、と謝ろうとしたとき、納得したような声を了平くんが発した。

「あー! お前、もしかして俺のむくちってあだ名のこと「口が無い」の無口だと思ってるのか?」

「えっ、違うの?」

「違う違う! それじゃただの嫌味になるだろ」

 了平くんは腹を抱えて笑い転げている。僕はそんなにおかしい事を言っただろうか?

「門脇クン、お前面白いな。名前の通りさすがじゃん」

「あ、それながれって読むんだけど」

「ながれか。難しい名前だな」

 まだ笑いの波が収まっていないのか、滲んだ涙をひぃひぃ言いながら拭っている了平くんは、何回でも言うが本当に変な奴だ。

「それでさ、どうして無口なの?」

「俺のむくちは口がたくさんあるんだよ」

「はぁ?」

「だから、六口! 口が六個ある程喋ってうるさいからむくちなの!」

 一瞬何を言われたのか分からない。ぽかん、と間抜けな顔をした僕を見て了平くんは面白そうに笑った。

「二年A組、矢口了平。あだ名はむくち。趣味はお笑いを見ることで特技はノンブレスで喋ること。よろしくな、門脇クン」

 白い歯を惜しげもなく晒した、歯ブラシのCMに出てきそうな笑顔だ。僕がそれに応えようとした瞬間、チャイムが鳴った。

「あっ、やっべ」

「お昼買い損ねた……!」

 男子高校生にとって空腹は死活問題だ。だが授業に出ないわけにもいかない。どうしよう、と慌てると了平くんが僕の腕をつかんだ。

「購買行ってなんか買ったら保健室行こうぜ。白鷺ちゃん紹介してやるよ」

「え、でも授業」

「いーんだよ。どうせ最初の授業なんて初歩ばっかだから一回ぐらいさぼっても追いつけるって」

 急かすように僕の腕を引っ張る了平くんに、僕は降参の苦笑いを送って足を上げた。

新しい友達はちょっと悪くて、かなり変で、すごく面白い奴だ。代り映えしなかった今までの学校生活とは違った一年になりそうだ。そんな淡い期待を胸にした僕の第一歩は、今日踏み出されたばかりだ。


 しかし、本当に了平くんは良くしゃべる。これなら六口じゃなくて矢口、やぐち、八口じゃないか。

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