第15話

 牧村は、駅の改札を出てから、止まらずに走っている。アパートへ1分でも早く帰りたい。


 1ヶ月前の午後、父から都内の高級ホテルへと呼び出された。

 呼び出しには慣れていても、高級ホテルなど初めてで違和感があった。案の定、とでも言うのか、大企業の令嬢との見合いがセッティングされていた。とてもではないが、断れる雰囲気ではなく、かといって見合いなど気乗りがするはずもなく。


 相手の令嬢の本気度など知らない。だが、きっと彼女にも他に想う男性がいるのだろう。牧村と同じ、“この場を適当にやり過ごそう”という雰囲気。

 2人だけの時間を作れらた際、どちらからともなく、「断りたい」と言い出してお別れした。


 しかし、それだけでは終わらなかった。

 見合い後には「大きな商談がある」と言い出し、パスポートとアメリカ行きの航空券を渡された。



 1ヶ月前、予告なしに渡米してしまったのだから、美緒は心配しているかもしれない。――と、思いたい。

 洗濯物は室内干しだから問題ないが、冷蔵庫の中が若干怖い。とにかく、帰りたかったアパートはもう目の前。


 出張中、美緒に国際電話を掛けようかと思ったのだが、電話番号を知らないことを思い出して断念。手紙は得意ではない。たかが1ヶ月なのだから、連絡が取れなくても辛抱しようと、毎日仕事に打ち込んだ。


 駅から走り通しで、息が上がる。

 一刻も早く、美緒に会いたい。


 外階段を駆け上がり、美緒の部屋のチャイムを鳴らす。

 何度も押してみるが、反応はない。そういえば、窓明かりも点っておらず、人の気配がない。


 でも、留守のはずはない。バイトも、19時には終えているはずなのだ。もしかしたら、シフトを変えたのだろうか?

 21時を示す腕時計に目を落とし、もう一度チャイムを鳴らそうとして気付いた。


 (表札が無い――…!?)


 部屋を間違えるはずはない。隣は確かに、自分の部屋なのだから。


 ふいに、父親と弟の真也の顔が脳裏を掠めた。

 美緒が部屋に来ていたときに、偶然、真也が訪ねてきた…。


 その直後から身に起きた、不自然な出来事を考えれば判るはずだ。

 

 (一体、彼女に何をしたんだ―――)


 父親の真一朗は、いつも口うるさく『お前の相手は私が見つける』と言っていた。

 どんな手段を使ってでも、自分の意のままにしようとする、ワンマンな考えを持っている人だ。


 「俺は、彼女を守れなかったのか…」


 誰もいない部屋の前で、膝から崩れ落ちる。


 まだ美緒に、本当の想いを打ち明けていない。

 2人の関係は終わったように見える。だが本当は、何も始まっていなかったのだ。

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