12杯目 因縁とカプチーノ

「ここは……?」

 古びた街並み、ピンク色の空、足首あたりまで浸水した地面。明らかに現実とは違うのに、不思議な安心感がある。本当にどこだろう

「あなた……真白、よね?」

 名前を呼ばれて振り返ると、紺色のワンピースを着た女性が立っていた。どことなく私にも似ている気がする

「やっぱり!私の娘、真白じゃない!」

 は?

「私よ私!水城みき麗華れいか!アナタの母親!」

 私に似た雰囲気、なんとなくある見覚え……なるほど、母親なら納得がいく。でも──

「生まれてすぐに16年も私を『いらない子』扱い、腫れ物扱いして、今更母親ヅラですか?笑わせないでください。せっかく気持ちよく自殺できたんですから」

 ティターニアで学んだこと。それは思ったことはしっかりと伝えるということ

「私は、一度たりとも貴女を母親と思ったことはありません」

「……そうよね、真白にとって私は憎悪の対象でしかないものね」

 私の右手が、禍々しい獣のように変貌を遂げる。それを振り上げると、お母さんは何かを察した

「ごめんね真白。貴女を愛していたわ」

 刃のような爪を振り下ろす。お母さんは黒いモヤになって消えた。そこにひとつも罪悪感や後悔はなかった

「お母さんごめんなさい。愛なんて私にはわからないのです」


 妙に重たい瞼を上げると、見慣れた顔が心配そうに私を覗き込んでいた

「みどりさん……?どうしたんですか」

「主様には妾の気持ちなど分かるまい、大莫迦者め。……おかえりなさい」

「ただいま帰りました、みどりさん」

 私の右手を取り頬に当てる。安心したのかその目から一筋の涙がこぼれた

 小袖ちゃんが皆を呼びに行っている間に何が起きたのか全部聞いた。私の魂には復讐に囚われた蜘蛛の女王、アラクネがいて、そいつがバンシーの仇討ちをしたことを。アラクネ状態の私が人を殺しても、それが特赦となってお咎め無しになることも教えて貰った

「ああそうだ、主様、アラクネからの伝言だ。スカートに入っているメモを読んで欲しいとの事だ」

 そのメモは、一見するとよく分からない記号の羅列。でも何故か何が書いてあるのか理解出来る。例えるなら、英語検定1級を所持してる人が、英文をまるで日本語のように読み解くような感じ

「……みどりさん、今何月何日ですか?」

「4月7日だ」

 あの日……バンシーが死んでから、もう1ヶ月が経っていたんだ。その間私はずっと眠っていたと言うの?

 メモにあるように、前を向くには充分な時間があったよね


 部屋に入って来たのはリンクさんのみ。小袖ちゃんに支えられながら歩み寄ると、パン、と小さく乾いた音がして、左の頬が熱を帯びた。リンクさんに平手打ちをされたのだと気付くのには数秒のラグがあった

「ヒアの使い魔共はアンタの絶対的な支援者だ、反対意見なんて言わない。かと言って従業員かぞくのうちマスターとハートは接客してるしシュートは大学へ行ってる。だからアタシがヒアを叱らなきゃ駄目なんだ」

 視線を合わせるリンクさん。反射的に目を逸らしたい気持ちになったけど、逸らしてはいけない

「事の顛末はカーミラさんから聞いたよ……『ヒアちゃんはお休みですか?』って問い合わせがこの1ヶ月で大体20件、全部違う人だ。中には団体さんもいた。この意味がわかるかい?」

「えっと……」

「水城真白は望まれて生まれなかったのかもしれない。でもね、ヒアを必要とする声は沢山あるんだ。自己犠牲の精神は正義ってモンに付き物だし聞こえはいいけど、それ故に心配したり悲しむ人がいる事実を忘れてはいけないよ」

「……はい」

 1ヶ月も寝たきりであれば、普通の人間ならば立つことすらままならない。でも幽霊の特権なのか数分もすれば元通り歩けるようになった。よし、お店の手伝いをするとしよう


「ヒア、カウンターA席のお客様にカプチーノ作ったげて」

「はい」

 濃いめにコーヒーをドリップしてる間に牛乳を温め、泡立てる。カップにコーヒーを注いだら泡をスプーンで抑えながらホットミルクを入れて泡を乗せる。ココアパウダーをトッピングして一口サイズのクッキーをソーサーに添えて出来上がり

「お待たせしました、カプチーノです。ごゆっくりどうぞ」

 コーヒーの苦味と牛乳の甘み、ホイップ部の優しい口当たり、そしてアクセントのココアパウダーが織り成す絶妙で繊細なハーモニー。美味しくないわけがない

「ありがとう、頂くわ……あら、貴女、以前どこかで合わなかったかしら?」

「そうでしょうか?」

 買い出しにはあまり行かないし、休みでお出かけすることも少ないからそれはないと思うけど。だけどその予想は別の方向で外れてしまう

「貴女……真白よね?水城真白、私の娘!」

 正夢になったのか。アレが。夢で見た時とは容姿がまるで違うけど

「私よ私!水城麗華!貴女の母親!」

「やめてください……!!」

 肩をしっかり握られ身動きが取れない

「なんで真白がこんなド田舎にいるのかは聞かない。だから一緒に帰りましょう?ね!?ね!?」

 分からないのはこっちの方だ。16年も腫れ物扱いしてきたくせに、なぜ今更手中に収めようとするのか。しかもこいつは新しい居場所ティターニアを侮辱しやがった。アラクネ化するには充分な理由があったけれど、今暴れるべき時ではないと理性が語りかける。とにかくこの手を振り解いてバックヤードに逃げないと、何されるかわかったもんじゃない。でも私の力じゃ振り解けないし……どうしよう

「そこまでッスよお客さん。従業員に手を出さないで欲しいッス」

 後ろからシュートくんがお母さんを引きはがす。ありがとう、これで私も発言できる

「私は水城真白ではありません。ヒアと申します」

「でも、貴女のことをミキって……」

 クラスメイトが呼んでたのを聞いたのかな。厄介だ

黄界島きかいじま魅姫みき。それが本名で、あちらの女性店員の妹です。少なくとも私は貴女を存じ上げません」

 偶然私はリンクさんと髪の色や質が似ているし、体型がもうちょいグラマラスになったら瓜二つになると本人が言ってた。水城真白は死亡届が提出されているからお出かけの時はリンクさんの妹、魅姫という設定で通している

「そう……ごめんなさい、感情的になってしまったわ」

「よかったらお話だけでもお聞きしましょうか?」

 自分でもお人好しが過ぎるとは思うけど、それ以上になぜ今更母親ヅラするのかが知りたかった



 私には真白という娘がいたの。去年の秋、学校の屋上から飛び降り自殺をしたと校長から説明があったわ。でも、原因の一端は私にもあるの

 18年前、真白を身篭って間もない頃、夫は蒸発した。シングルマザーとしてこの子を育てるんだって決意したはずだったんだけど、職場の同僚が助けてくれて、蒸発したアイツと離婚、数カ月して同僚と結婚をした。

 真白が生まれた時は血は繋がってないけど2人でしっかり育てようって決めてたの。でも結局私も彼もお互いにゾッコンで真白のことを蔑ろにしていた。6つにもなれば家事全般、自分でこなせるようになってたし心配はほとんどしてなかったわ。ぶっちゃけただの居候としか思ってなかった


 去年の秋、彼女の訃報を聞くまでは


 話を聞いた時、色んなことがフラッシュバックした。初めておっぱいを飲んでくれたこと、初めて立ち上がったこと、パパより先にママって呼んでくれたこと……育児が大変だけど楽しくてやりがいがあった、あの日々を

 不思議なものね、それ以降真白のことが恋しくて堪らないの。でもあの子はもう帰ってこない。私はなぜあの子を愛さなかったのかって後悔がずっと今も私を苛み続けてるの



「ごめんなさい、こんな話何も知らない貴女に話しても仕方が無いのに」

「いえ、構いません」

 自分でもお人好しが過ぎるとは思う。クズな親にも関わらず、何らかの形で救済をしようと試みているのだから

「私にも仕事があるので長い時間というのは無理ですが──」

 でもまあ、人間として腐り切ってないだけマシか。私も、この人も

「数分だけでも、私を水城真白と思ってお話しませんか?」

 許す許さないは別として、私達には対話が必要だ

「ねぇ、お母さん。今の私は真白だよ」

「真白…真白ぉ……」

 喋った内容は私が死んでからのこと。週に一度は墓参りと掃除をし、家では私が持っていたネックレスに毎晩懺悔をしていると言っていた。今日ティターニアに来たのはバンシーが死んだ日に知人の紹介で来店していて、あの日飲んだカプチーノの美味しさを忘れられず、もう一度来たとのこと。あの日淹れたのは確かリンクさんのはず。ということは擬似姉妹がお母さんにカプチーノを提供したことになるのか。なんか複雑な気持ちだ

 私が話したことは、ちょっと変わったお客様のこと。アヤシじゃなくても面白いお客様はいるからね

 親との会話が、こんなに楽しいとは思わなかった。普通の家庭に生まれて、普通に喫茶店でバイトしてたら、家に帰って夕飯を家族と一緒に食べながらこういう会話をしたのかな。今となっては至極どうでもいいけどね

 数分が経過して、私もそろそろ仕事に戻らなきゃいけなくなり会話は終了。帰る直前に今日の記念にと十字架のピアスを貰ったけど、彼女の姿が見えなくなってからすぐに捨てた

 私はお母さんをこれからもずっと許さない。許せるわけがない


 水城真白は、もうこの世にはいないのだから

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