11杯目 アラクネは赦さない

 小鳥のさえずりで目が覚める。現在朝の5時30分、普段より1時間は早い起床だ

「……あれ、なんで机で寝てたんだろ」

 言ってから思い出した、今日の予習をしてたらそのまま寝てしまったんだった


「おはようございます」

 キッチンは1階の喫茶店スペースにしかない。だから普段の食事は店舗部分で食べるか昼食は持って上がって共用スペースのリビングで食べる。今は開店前だし店内ここで食べよっと

「やぁヒア、よく眠れたかい?」

「はい、お陰様で」

 今日はリンクさんがお弁当作ってくれてる。何のおかずを作ってるのかわからないけどお出汁のいい匂いがする。よし、時間はたっぷりあるから私は朝ごはんを作ろう


 食パンに牛乳を染み込ませ、砂糖を混ぜた卵を浸す。フライパンにバターを入れ弱火で熱し、さっきのパンを投入して、焼き目がつくまでじっくり焼く

 焼き目が着いたらひっくり返し蓋をして、反対側にも焼き目をつけて出来上がり

「フレンチトースト出来ました」

「道理でさっきからいい匂いがすると思ったよ。アタシはまだかかるから先食べな。学校の用意もあるだろ?」

「では……いただきます」

 ふわふわでとろとろな食感、優しくて蕩けそうな甘み。これはうまい。メープルシロップを掛けたらまた違う甘さが。たまんねえ

「ほらヒア、コーヒーだ」

「ありがとうございます」

 ……のんびりしすぎたかな。ちょっと急がなきゃ


 その後は何事もなく放課後。今後のことで相談があるからと理事長のカーミラさんと共にティターニアに

 複数枚の書類にサイン、アヤシの種族を記入する。ここはとりあえず半妖ってことにしておいた

「書類の方はこれでOKだ。では改めてゴーストリファイン学園について説明を行うよ」

 大前提として、アヤシは年齢を重ねても死なない限り歳をとることはないし、知能レベルが上昇することもない。それでも生前勉強が好きだったり訳あって出来なかった人、或いは生まれついてのアヤシが勉強をしてみたいといった意見が募り出来たのがこのゴーストリファイン学園だ

 頭が良くなるわけじゃない。それでも学友と過ごせる時間は多分宝物になる。この学校でならそう思える

「ミキ!理事長!」

 青ざめた表情で入店してきたのは、羽の生えた妖精のクラスメイト、ハーピーちゃん。どうしたんだろう

「バンシーが……バンシーが!!」


 案内されるままに保健室へ。そこにいたのは必死で治療をするドクター、そして──

「バン……シー?」

 例えどれほどズタボロに切り刻まれたとしても

 例えどれほど血肉で醜く変貌しても

 例えどれほどその目が血走っていても

 その呼吸ひとつ、か細い声ひとつで、横たわっているのがバンシーだと理解できる。理解出来るだけだ。彼女の容態から明らかにこの外傷は誰かに付けられたものだろう

「ヒア……そこ、に……いるの……?」

「いるよ、バンシー!ここにいるよ!」

「ウチ……やっと分かったんだ……あの日の涙の、本当の意味」

 息も絶え絶えに、虚ろな目で話を続ける

「ウチはバンシー。家人かじんにいずれ訪れる死を嘆き涙を流す……それ以外で泣くことはないんだ」

「それって……」

「あの日の涙は、ウチの死、そのものだったんだ……ヒア、理事長、ドクター……みどり先生。皆の悲しみが伝播したものってこと」

 悲しさだけに有効な、彼女の未来予知。いつ、どこで、誰が……そこまでは分からない。あの時は本当に嬉し涙だと思ったのに。そういう意味を込めてバンシーを握る手を少し強める

「でも、嬉しかったんだ……あの日助けてくれた喫茶店のお姉さんと友達になれて。学校でたくさんの友達を作れたこと……ここ数ヶ月、嬉しいこと続きだったんだ」

 淡い緑色の光が収束する

「治療ならもう終わったぜバンシー……お前はもう、頑張らなくていいんだ」

 窓を開け煙草を吸うドクター。背中しか見えないけど、心做しかその肩が震えているように見える

「ありがとうドクター。……ねぇみんな、わらってよ。かなしいかおでおわかれしたくない」

 治癒で多少喋れるようになったものの、呂律はほとんど回ってない。それが余計に悲しくて、とてもじゃないけど笑えない

 そして

「さよならみんな……だいすきだよ」

 まるでドラマのワンシーンのようにバンシーの手が私からはらりと落ちて、バンシーは、光の粒となって消えた。その場にいた誰もが彼女の死を嘆いた

 私はバンシーの名を泣き叫び、カーミラさんは声を殺して泣いた。ドクターもきっとそう。みどりさんや小袖ちゃんは私をあやすように抱きしめてくれてるけど、やはり泣いている

 短い間だったけど、バンシーは初めて出来た友達だ。だから余計にその感情が高かった


 そんな中、私はふと気付いてしまった。ベッドの上に不自然に光るカッターの刃の存在に

「……ねぇみどりさん。貴女の能力、モノに対して使ったことは?」

「試したことは無いな」

「そう」

「ヒアちゃん……まさか」

「そのまさか、だよ」

 なぜ残ったのかなんて考えずに、カッターの刃に全神経を注ぎ込む。きっと無機物でも魂はある。ならば教えて、お前の持ち主を

 そして頭に浮かんだのは──


「ねぇロッソ、放課後何してたの?」

「やぁ水城さん。どうしたんだい、こんな所まで」

 学校の屋上、今いるのはロッソと私、理事長にみどりさんと小袖ちゃん。案内してくれたハーピーちゃんは危ないから帰ってもらった

「ロッソだったんだね。バンシーを殺したのは」

「なーんだ、バレちゃったか。そうだよ、俺が殺した」

「なんで」

 こみ上げる怒りを抑えつつ聞く

「そりゃだって、それが俺だからだよ」

「どういう意味?」

「まだ分かんないの?ロッソ・コスタクルタなんてのは偽名だよ……切り裂きジャック、と言えばわかるかな?」

 合点がいった、というのが率直な感想。普通に殺すだけなら首をぶち切るか心臓をグサッとすればいい。でもバンシーは全身に切り傷があった。なぜ?その答えが目の前のこいつだ、切り裂きジャックだ。一撃死ではなく、全身を切り刻むことで殺す手段を用いる

とどめを刺さなかった理由も、偽名を使ってまで学園に潜入してた理由も……この際どうでもいい。私がお前を殺す」

 弔い合戦なんてバンシーは望んでないだろう。だからこれは、私の勝手な復讐。私の大切を奪ったことへの復讐だ

「どうやって?キミ、変則剣道で俺に一度も勝てたことないでしょ」

「勘違いしないで。あなたを殺すのは──」

「だめ……駄目!ヒアちゃん!」

「止めないでよね小袖ちゃん。みどりさんも、主からの命令だよ。カーミラさんも……お願いします」

 改めて宣告する

「ロッソ……いいえ、切り裂きジャック。あなたを殺すのは、私の憎悪だから」

 友達の命を弄んだ罪、しっかりとお前の命を持って償うがいい

 瞬間、私の意識は途絶えた


 ────────


「私の憎悪だから」

 ヒアちゃんがそう言った瞬間、ヒアちゃんを覆う憎悪の瘴気が強まった。ああ、なんとなく理解しちゃった。今のヒアちゃんは、ヒアちゃんじゃない


「ん~……やっぱ若い女の身体っていいわねェ」

 その影は蜘蛛にも似ていた。ああ、最も恐れていたことが起こってしまう

 長い黒い髪が薄紫色に変わり、手首につけていたヘアゴムでポニーテールに纏める。両手の甲には蜘蛛の刺青タトゥーが。……奴が来た

「再び相見あいまみえたこと、心より光栄に思います。アラクネ様」

「あら、カーミラちゃん?久し振りね!それにアタシ、アンタ達もよく知ってるわよ?八咫烏の架佐みどり、それと小袖の手……だったかしら?」

「なんで小袖たちのことを……?」

「この子のナカに居たから。それ以外に理由はないわよ──さて」

 ロッソに、切り裂きジャックに向き直る

「あの餓鬼を殺せばいいのよね?──あぁ、安心しなさい、コレが片付いたらこの身体は真白に返すわよ」

 考えてみたらそりゃそうだ、『彼女』はアラクネだけど、元はと言えばヒアちゃんそのものだ。小袖やみど姉よりも近い場所にアラクネはいた。魂に憑依したということは使い魔なんかよりも結び付きが強く、過去も感情も共有している

 ヒアちゃんが持つ生まれたての憎悪と、それに魅入られたアラクネの幾千年に渡って積み上げられたドス黒い憎悪。そのふたつが混ざったということは、文字通りアラクネは、ヒアちゃんの身体は『憎悪の化身』と呼ぶに相応しい

「死ね。アタシ達を怒らせたことを後悔する間も与えないわ」

 恐らく、5秒もかからなかった。ただの悪霊たる切り裂きジャックには何が起こったかすらわからなかったと思う。気が付けば身体は倒れ、首が飛んで、地面から現れた闇の茨によって地獄へと連行されていた。そんな感覚じゃないかな

 何があったのかと言うと、彼の周囲に蜘蛛の巣を6つほど張り巡らせ、蜘蛛の糸で作った短刀で巣を飛び交いながら切り裂きジャックの首を切り落とした。死した悪霊は身体ごと地獄へと連れて行かれる。その一連の流れがたった5秒で呆気なく行われたんだ。小袖とは格が違いすぎる。小袖が同じことをしようとしたらどれだけ上手くいくよう見積もっても1分は掛かる。その間に反撃をくらってしまいそうだ

「カーミラちゃん、紙とペン貸して」

「はい」

 何かをスラスラと書いて、その紙をスカートのポケットに仕舞い込み、ヒアちゃんが目覚めたら確認するようにと告げるアラクネ何を書いたんだろ。すると、右耳に手を当てた。隙間から蜘蛛の糸が体内へ侵食しているのが見えた

「アラクネ!ヒアちゃんに何を!?」

「怒鳴らないでよ小袖の手。アタシと真白専用の暗号の読み方をインプットしてるのよ」

「暗号?」

「そ、秘密の暗号ってヤツ。伝言程度ならアンタ達を使えばいいのは分かってるわ。でも、自分だけ、二人だけの秘密にしたいこともあるでしょ」

 そう言って見せてきたのはグラゴル文字にも似た記号の羅列。確かにこれは読み方を知らないと意味がわからないね

「小袖の手、アンタは確か真白と対等な立場にあるのよね。いいわ、耳を貸しなさい。何を書いたか教えてあげる」

 そうして彼女から伝えられたのは、とてもじゃないけど復讐に囚われたアヤシとは思えないものだった。次の通りだよ


 麦は踏まれることで強く根を張る。貴女にとって今日の出来事がどれほど深い絶望であっても、貴女が折れてしまえば悲しむ者がいる。どうか、ゆっくりでいいから、少しずつ前を向いて。貴女の笑顔を待っている者が、少なく見積もっても10名はいる事実を忘れないでください

 あなたの深い悲しみに、亡くなった友の魂に安らかな眠りがあらんことを。────アラクネ

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