第7話 1章02……幼なじみは才色兼備の委員長肌だけど、その拳は平らでしかもリンゴすら握り潰す。
……ピシリ、と一瞬で、教室内の空気が凍った。
それはもう、生徒も教師も関係なく。
はてさて、ここは『晴れの国』を自負するO県の県庁所在地のしかも駅近の好立地ではなく、シベリアか南極大陸だったかな? と錯覚させられんばかりの気温を体感させるほどのもので。
幹本人は満足げに「ふふん」と鼻を鳴らしていたが、拳を下ろしてようやく気付いた教室内の空気には、「あれ? おかしいなぁ……」とばかりに意外そうな顔をして首を傾げていた。
その中、一番にシベリア気候から解凍された人間が大きな音を立てて椅子から立ち上がり、教壇へとカモシカのような美脚で駆け寄り、まだ首を捻っている幹の頭を「スパーン!」と平手で叩いた。それはもう、恨みと憎しみと恥ずかしさの籠った渾身の力で。
「わーーーーっ! こんっっっのバカ幹ッッ!! 最近やけに大人しくしてると思ったら、アンタは入学初日からなんてことを口走ってんのよ!」
その人物――まろくて白い頬を怒りで赤く染め、本来のくりっとした大きな瞳がいまは般若のようにつり上がっている。
幹と初めて出会った頃からほぼ毎日長く艶のある黒髪を後れ毛も無く綺麗に纏めている二本のおさげにを振り乱しながら激昂している少女の名は
幹の自宅の隣家に住んでいて、幼稚園、小学校、中学校、そして高校……と、十年間以上学校どころかクラスも一緒という腐れ縁の幼なじみであり、お互い気の置けない仲の人間だ。
「いってぇ……! おい、何すんだよ、舞子!」
「アンタの頭の中身の無さを叩いて直してあげてるんじゃない! 単純構造のポンコツな機械は斜め四十五度の角度から叩いたら直るのが定石なのよ! この大馬鹿!」
「バカはそっちだろ! おれは自分の素直な気持ちと将来の夢を吐露しただけだ! この純粋な瞳を見ろ! こんなにも素直な人間が信用出来ないなんて、おまえはなんてちっぽけな心の持ち主に育っちまったんだよ! まったく、幼なじみとして悲しいぜ……」
「――んなっ!? なんで逆にあたしが責められるような感じになんなきゃいけないのよ! こん……の――バカ幹、アホ幹、ブタさん幹!」
「待てよ舞子! それだと最後のは『ブタ三匹』に聞こえるじゃないか、心外だ!」
「そう聞こえるようにわざと言ったのよ、ブタ三匹分の脳味噌しかないウスバカゲロウ馬鹿! 中学三年時の担任の先生に『悪いけど、吉田くんは推薦するにはちょっとね……』って言われて推薦受験することすら出来なかったアンタに、推薦合格決まったあたしが付きっきりで一般科目の受験勉強なんか教えるんじゃなかったわ!
あの時、『おれはどうしてもレベルの高いおかこーデザイン科でボタニカルアートを極めたいんだ! 花を始めとする植物最高! だから受験勉強手伝ってくれ!』って真剣な瞳で告げたのは誰だったのよ!」
「確かに、そう言ったのは間違ってないぞ。ただちょっと省略して、『おれは(女子の顔面の)レベルの高いおかこーデザイン科でボタニカルアートを極めたいんだ! 花(みたいに可憐な女の子)を始めとする植物最高!』だっただけだ! 安心しろよ、幼なじみのよしみとして当然おまえはもうハーレム要員に加えてるからさ! すでにこのクラスの他の美少女たちにかなり目移りしちゃってるけど、正妻の座は空けといてるからな!」
幹はにっかりと白い歯を見せて笑って、舞子の肩をポンポンと叩いた。
舞子は自分でもこれが怒りでなのか、それとも羞恥でなのかも分からないが、顔を極限まで赤くして、
「だ――誰がアンタのハーレムに入れられて安心や満足すんのよ!? こんの身の程知らず!! アンタのハーレムよりサバンナのライオンのハーレムに入るほうがまだマシよ! よし、さっきの平手での修理が効かなかったなら、次は拳でもう一回本気で叩いて、壊して、バラバラの状態にして最初っから組み立ててや――」
今度は固く握った拳にて幹の頭を殴ろうと振りかぶった舞子を、大井先生が困り顔で椅子から立ち上がり間に入って止めた。
「ちょ、ちょっとちょっと君たち。痴話喧嘩はそのくらいにしておきなさい。絵師さんもエジソンみたいなことがやりたいんなら、機械科に入ったら良かったかもね? それとも人体解剖したいなら進学系の普通科高校を受験して、大学進学で医学部の医学科を目指すしかないかなあ。それにね、まだみんなの自己紹介が終わってないんだから。入学式の直後から救急車を呼ぶ事態になるのは……先生、ちょっと勘弁して欲しいかなあ……」
そう語る大井先生の目は幹でも舞子でもなく、どこか遠くを見ていた。
「おおっ、先生からもやっぱりおれたちってそういう関係に見えますか? ちなみに舞子の家って病院で医者一家なんですよ。でもって舞子の曾祖父ちゃんはこの県の大学病院で働いてたこともあって、現在そこの教授たちの中にも後輩や教え子が結構居るって聞いたから、お願いすれば医学生たちの授業の解剖見学ぐらいはさせてくれると思いますよ。美大のアート系の科に進学すると、人体の筋肉の付き方を学ぶために実際そういう見学授業もあるって聞きますし」
「ほお。そうなのかい? 私は普通に文学部に進学して現国の教員免許を取ったんだけれど、美大生や美術専攻学部の子たちも華やかに見えて大変だったんだねえ」
「でしょ? だから実はおれたち、小さいころはよくおままごとでは夫婦役だけじゃ飽き足らず、おいしゃさんごっこでは『やみいしゃ』に『きかいだしのかんごし』やら『かんじゃやく』をやってたぐらいの仲でして……」
「ちょっと口に牛糞でも詰めて黙ってなさい馬鹿幹! 先生も変なことを言わないで下さい!
……でも確かにまだ自己紹介の途中でしたね。えっと、もう教壇に上がってしまったことだし、順番が前後しますが私がちょっと先に自己紹介をしてもいいでしょうか」
こほん、と空咳をした舞子に、二人が夫婦漫才をしている間にようやく凍結状態から解凍されたクラスメイトがパラパラとした拍手を寄こす。
「……ありがとうございます。私の名前は絵師舞子です。好きなデザインは……というか、好きな作家でありデザイナーは『アルフォンス・ミュシャ』で、嫌いな人類は吉田幹がナンバーワンでありオンリーワンです」
「ちょ、待てよ。おれのことはデザインと全く関係ないよね!? てか最後のそのイイ言葉はもっと良い場面で使えよ! 日本人のほとんどが知ってる伝説的な元アイドルグループとその名曲の作詞家に対する侮辱だぞ!?」
まだ席に戻っていなかった幹が思わずUターンして舞子にツッコミを入れる。
さり気に幹は、舞子の口を止めようとした言葉の初めに、その“伝説的な元アイドルグループ”の中でもカリスマ性があって一番人気のK氏がとあるドラマで発した台詞でしかないのに、いまではすっかりその彼の代名詞ともなっているようなそれをチョイス。
しかも分不相応にキムタ……いや、そのK氏を意識した感じの口調に変えて口にするぐらいの余裕はあったようだ。
「性別ぐらいしか同じじゃないのに、似てないモノマネとかしてんじゃないわよ。不快でしかないのに。アンタはあたしにとって、いろいろと『元々特別なオンリーワン』なのよ。あ……それと、私のこの世界で一つだけの汚点は、こいつの隣の家に同じ年齢で、しかも少しだけ私が遅く生まれたことです。むしろこいつが私よりも一年ほど遅れて生まれてくるべきでした。間違っても『先輩』などとは呼びたくありませんから」
「おれの人生全否定!? おれだっておまえを『先輩』なんて呼びたくないよ!」
幹の必死の形相でのツッコミもいなしつつ、舞子は自己紹介を続けた。
「……というわけで、私はこいつとは特段何の関係もありませんので、以後よろしくお願いします。気軽に話し掛けてきて下さい。また、中学校では生徒会長をやっていましたので、このクラスでもまとめ役に就けるといいなと思っています。ここまで数えて十六年間の私の人生で全く関わり合いのない男子ではありますが、このクラスを超えて学校全体に迷惑を掛ける懸念と予知にも近い予感がある、この幹……いえ、現時点でのこの国における未成年犯罪者の実名報道は禁止されていますので、イニシャルではM・Yくんの監視をする面で」
最後には特に力を込めて、アルカイックスマイルで言いきった舞子に、教室中から拍手が湧き起こった。
「待ってくれよ舞子! いつの間におまえったら、これまで幼なじみのおれとの十六年間の微笑ましい思い出を忘れてんの!? まさか黒いスーツ姿にサングラスを掛けた二人組の外国人に、『ピシャッ!』っていう眩しい光でも当てられたとか!? ここ最近、うちの近所でミステリサークルとかが確認された情報は入ってないぞ!?」
幹がまだまだツッコミを入れているが、舞子は素早く一礼するなり、
「(黙らないと耳を引きちぎるわよ。片方だけあれば充分でしょ)」
幹だけに聞こえる声量且つドスの利いた声で忠告をし、一人だけ憤慨して顔を赤くしていた幹がすぐさま蒼くなったのを確認するなり、舞子は幹の片耳を千切れんばかりに引っ張って席へと連れ戻って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます