最終話 巨大メカ出撃! さらば、サイコブラック<前編>

 サイコブラックが、汐里しおりとレッドを演算した結果、導き出された未来。

 それは。

 巨大なブルドーザー――正確には、ワインレッドを基調として極彩色に塗りたくられたショベルドーザー――が、街を蹂躙している光景だ。

 コマツD75S-5ショベルドーザー(総質量二一・二トン 全長六・二メートル 全高三・二八メートル)をベースにして、コンクリートと鉄板を重ねた複合装甲でゴテゴテに装飾されている。

 操縦者のイメージカラーのつもりか、ロボットものっぽい模様が描かれているのが、悪い冗談のようだ。

 二・五メートル幅のバケットで、邪魔な街路樹や標識に鉄拳制裁を食らわして無差別に破壊している。

 かつて、これとほとんど同じ事件があった。

 キルドーザー事件。

 二〇〇四年、アメリカのコロラド州で、まさにこれと同じようなカスタマイズを施されたブルドーザーが破壊の限りを尽くした事件があった。

 なるほど、戦隊ものは番組の後半に巨大なメカを持ち込むのがセオリーだ。

 結社のテクノロジーでも人型ロボットはさすがに実現出来なかったのか。

 実在するシャベルドーザーを使うことで、一応、戦隊ものとしての体裁を繕ったらしい。

 流石に現代日本の往来でこんなものを進撃させていては、目立ってしかたがない。

 ただちに警察が殺到し、この秘密メカに停車を勧告する。

 だが、道を塞ぐように布陣されたパトカーを、秘密メカはショベルで張り倒したり、キャタピラで踏みにじったりして強行突破した。

 アメリカのケースでは、特殊部隊でさえ、改造ブルドーザーにまともなダメージを与えられなかったのだ。

 法のしがらみで発砲すらままならない日本の警官では、なおさらどうする事も出来ないだろう。

 警察や軍隊が無力なのは、特撮の様式美だ。

 それに、この巨大メカの行き先は知れている。

 そこから何キロも離れていない、“こはく”だろう。

 自衛隊にしろ機動隊にしろヒーロー結社にしろ、これを処理できる組織が現場についた頃には、奴等は目的を果たしてしまう。

 破滅的な未来を観ながら、

 サイコブラックは、戦隊との戦いの全てが汐里の掌の上だった事を、改めて思い知らされた。

 レッドを後回しにした結果がこれだ。

 奴こそが、真っ先に潰すべき駒だった。

 未来シミュレートの映像で、鈍重な重機が軽業師のような躍動感と共に建物や車両を粉砕している。

 これだけの腕前を持つ重機オペレータが、ヒーロー結社の支援のもとに秘密メカを手に入れ、なおかつ自分の保身を全く考えなければ……。

 こうなる事は、自明の理だった。

 そして、蹂躙のキャタピラは、閑静な住宅街の上り坂を踏みしめ――。

 この先の映像は、見たくもない。

 サイコブラックはシミュレートを強制終了。

「正気か? 貴様ら、“こはく”を破壊できたとしても、結社の連行は免れんぞ」

 サイコブラックの声は重苦しさを帯びている。

《え? 何で師匠がわたし達の次やる事がわかるの?

 さては……偽ブラックの事と言い、何かズルしてますね?》

 今さら勘づいたらしいが、もう遅い。

 汐里にとっても、サイコブラックにとっても、だ。

「そうか……道理で、ブルー達の暗示が簡単に解けたわけだ。

 他の三色は、保身する意義を失ったレッドがこの破壊行為に及ぶ為の布石でしかなかった。

 僕は、レッドが狂う最後のトリガーを引く為に、貴様に利用されたんだ」

 レッドは、五人と言う居心地の良い世界を手に入れる。

 死後の世界に対して真摯で強固な思想を持つ、筋金入りクリスチャンの彼が、共に天国へ連れ立ちたいと思える程に、強い絆の五人が。

 それを、サイコブラックが破壊する事で。

 戦隊の喪失は、レッドから一切合財の希望を摘み取り、俗世を耐え難い地獄へと変えてしまった。

 結社に拉致され、二度と陽の目を見られなくとも、彼にとってはむしろ望むところだろう。

 こんな世界には一秒だって居たくない。早く天国へと旅立ちたい。

 そして。

 三人の運命共同体に裏切られた時……ただ一人、ホワイトは彼を見捨てなかった。

 ホワイトだけだ。

 ホワイトだけが、レッドに残された現世での希望。

 この最愛の女性と手を繋いで天国に行けるのであれば、この地獄の世界にも、数ミクロンの希望は持てる。

 ただレッドを壊すだけなら、ホワイトも一緒に裏切れば良かったのだ。わざわざサイコブラックを利用せずとも。

 ホワイトは、レッドをか細い糸で吊り下げるように、そのヒーローとしての力を破壊行為に転化してのけたのだ。

しざまに言えば、なんだって他人のやる事を“悪”に仕立てあげられますよね。

 師匠のそれは、私情まじりの偏見。

 わたしとレッドにとって、“こはく”破壊は正義です。

 例え、どんな犠牲を払おうともね》

 自分が何をしようとしているのか、果たしてこの女はわかっているのだろうか。

 サイコブラックには、到底理解できない。

《あの蓮池さんが好き勝手に仲間を増やして、大きな勢力ができて。

 師匠、その後の事って真剣に考えた事あります?

 それがもとで、誰かが命を落としたら。

 誰かが大事な誰かを永遠に失ったら。

 蓮池さんにもコントロールできないような狂信者が、誰かに消えない傷を負わせたとしたら。

 被害者のその悲しみは、どこにぶつければ良いんですか?》

「まだ起きていない事をやり玉に挙げての救世主気取りか。

 少なくとも、僕から見れば、今、確実に破壊行為に及ぼうとしている貴様の方が危険に見える」

《ありがとうございます。

 師匠にそう言ってもらえると、ますます励みになります》

「レッドと共に、その重機に乗る気だろう?

 そんな事をすれば、貴様も連行されるぞ」

 せっかくレッドを操り人形にしたのだ。

 “こはく”を破壊するにしても、汐里がその道連れとなる義理は無いはず。

 ――ふふっ。

 と、汐里は、どこか思い出に浸るように微笑んだ。

《何でかなぁ。

 もちろん、レッドは大切な人だから一人ぼっちにさせられないし……戦隊、やっぱ楽しかったですしね。

 もし、わたしが誰かに騙されて泥水を食べさせられたとしますよ?

 でもね。わたしがそれを“とても美味しいカレー”だと認識したのであれば、どうでしょう?

 仮初かりそめの気持ちでも、実際に脳がそう感じたのなら、本人にとっては本物なんです。

 わたしも、レッドも》

 戦隊への気持ちは、意外にも本物だったらしい。

 どこか、晴れ晴れと、汐里はそう言った。

《それにまあ、わたしが直接“こはく”に手を下せば、師匠はもっともっと、わたしを蔑んでくれそうだし。

 師匠、あの店が気に入ったんでしょう?

 いえ、正確には“気に入った”と言うデータを自分に入力した。

 らしくないですよ》

「……」

《その気持ちは、偽物ですよ。

 あなたが、自分以外の何かに執着を持つなんてありえない。

 ただの自己中だったら、変わりようもあったでしょう。

 でも師匠のそれ・・は、壊れてるんじゃなくて、最初から備わっていない部品と同じなんです。

 最後の最後、土壇場であなたは、“こはく”より我が身を取ります。

 わたしたちを追ってくるのは勝手ですけど、多分、無駄に終わりますよ?》

 確かに。

 ヒーローの法で縛られたサイコブラックに、ヒーローとしてのタガが外れたレッドとホワイトを止める事は難しい。

 この命を護るために、自分の自我さえ殺してきた。

 それがサイコブラックという男なのだから。

 それでも。

 こいつらにただ屈する事もまた、サイコブラックの流儀が許さない。




 さて。

 自宅に戻った白井は、荷造りにいそしんでいた。

 別段、夜逃げするわけではない。

 むしろ、最大級の脅威に立ち向かう為の、前準備である。

 伽藍がらんとした倉庫には、白井謹製の“成果物”が、山のように眠っていた。

 

  ・お馴染みのスモークグレネード。これ一つで巨大メカがどうにかなるとは、到底思えないが。

  ・三号桐ダイナマイト……広範用途の膠質ダイナマイト。最悪、松長汐里ごとディエス・イレ出版のビルを解体する為にため込んでおいたもの。

  ・手作りクレイモア……旧式の圧力鍋にパチンコ玉を詰めて作った、自作の対人地雷。ヒーロースーツ相手にはいまいちかも? かさばるし。でも持ってく。

  ・モロトフカクテル……またの名を火炎瓶とも言う。ショベルドーザーの、どっかの機関を熱損させられないだろうか? という淡い期待が込められている。

  ・テルミット爆弾……アルミ粉末と錆びた鉄で作れるリーズナブルさが売り。しかし、瞬間的に三〇〇〇度もの高温を実現できる為、なかなか侮れない。

  ・手榴弾……改造人間004番が生前・・ヤクザだった頃の遺産だ。こんな物を日本でお目にかかるとは、世も末だ。

  ・漂白剤爆弾……漂白剤と塩酸を混ぜて作るお手軽塩素ガス。一応持っていくが、相手が重機の中に居る上にヒーロースーツ持ちなので、使い道はなさそうに思える。

 

 ――あなたは最悪の爆弾魔にもなれる。

 以前、サイコシルバーにそんな事を言われたっけな。

 “最悪の”というのは一言多いが、その先見性には脱帽ものだ。

 ――僕自身ですら、爆弾以外に攻撃手段がなくなる日が来るなんて思わなかったもの。

 剣呑極まりないそれらを、ぎゅうぎゅうに詰め込んだバックパックを背に、白井は立ち上がる。

 彩夏への連絡は……まあ、要らないか。

 “こはく”が破壊された時点で、何もかもがおしまいだから。

 なのに、いたずらに不安になるような事を教える必要も無い。

「よし、行くか」

 牧歌的ですらある独り言を口にしつつ白井真吾・・・・は部屋を出る。




 “こはく”の事務所。

 今しがたも、連日続いたサンクトゥスの記事に対する問い合わせに追われていたところだ。

 それがどうにか片付いて、彩夏はようやく小休止に入れた。

 彩夏は知る由も無いが――サイコブラックの手によって戦隊が壊滅したのが、昨日の夜の事だった。

 それから半日程度経つが、明らかに敵の手が止まったのは、彼女にも感じられた。

 まずあからさまだったのは、今朝はドローンが現れなかった事。

 そして、その更に前日から、薬品や捨てネコと言った嫌がらせが、ぱたりと途絶えている。

 その全てに神経を張り巡らせていた彩夏だから、今の状況が、格段に楽になっている事は一番良くわかっていた。

 それに。

 サイコブラックと別れてから、ただ一度だけ送られた、彼からの連絡。

 結局、彼が言う“偽サイコブラック”というものは、影も形も現さなかった。

 サイコブラックが敵だったと仮定して。

 嘘の情報で攪乱かくらんを狙った……にしては、嘘の吐き方が雑すぎる。

 むしろ、逆ならまだわかる。

 偽サイコブラックの存在を隠すように、本物サイコブラックが陽動に回るなど。

 そうすれば、あるいは、彼が言った通りの“明日実の喪失”は現実となっていたかもしれない。

 と、すれば。

 偽サイコブラックが実際に行動に移る前に、サイコブラックが偽者を排除した。

 そちらの可能性の方が、遥かに高いだろう。

 戦隊のドローン使いにしても、捨てネコ使いにしてもそうだ。

 戦術的に、このタイミングで彼らが手を休める意味は、よほどの事情が無ければありえない。

 ――私はまた、彼に救われた?

 彩夏は、漫然とそんな仮定を浮かべた。

 あんな不義理な別れ方をしたのに、何故。

 そして。

 ――どうして? 全然嬉しくない。

 ヒーローに救われる、ヒロインになる事。

 それが、彩夏にとっての、人生を通しての宿願だった。

 だからこそ、時に他人を欺き、敵を利用し、親しい人間を裏切ってでも、それを求めてきた。

 今、サイコブラックが陰ながら助けてくれた事は、まさにその望みを満たして余りあるものだ。

 ――まだ、仮定の域を出ないから?

 違う。

 それならそれで、もしかしたら、という期待が胸を沸かせるものだ。

 だとすれば、何故――。

「蓮池さん。あなたは、ここで変わるべきだ」

 温和で、けれど自分に対する自信に裏打ちされた、陽性の声。

 銀色のヒーローが、勝手に上がり込んできていた。小脇にタブレット端末を抱えている。

 服装さえまともなら、ペット用品のやり取りに来た営業マンに見えただろう。

「サイコシルバー?」

「あなたが変わるには、このタイミングしかない。

 さもないと、あなたは一生そのままの、人間ロボットだ」

 いきなりオペコットスーツなど着こんで勝手に入り込んできて、藪から棒に、何を言っているのだろうか。

「あまり時間がありません。順を追って説明します。

 まず第一に。

 サイコブラックは、この店を狙っていた五人+一人のヒーローのうち、四人を倒しました」

「……っ」

 ある意味、今一番聞きたくなかった言葉かもしれない。

「第二に。

 残った二人の戦隊が、改造した重機で、この“こはく”を破壊しようと、向かって来ています。

 今、この時に、です。

 すでに何台ものパトカーが廃車にされました」

「……」

「鉄板とコンクリートによる複合装甲で補強された重機。

 今の日本で、機動隊と自衛隊以外にまともな手段でこれを止める手立てはありません。

 それも、恐らく間に合わないでしょう。

 だから――」

 ――いやな事を言う人。

 彩夏は、サイコシルバーの声を振り切って事務室を退出しようかと考え出す。

 けれど。

 できなかった。

「――だから、白井さんが、これを止めに向かっています」

 そう言いながら、サイコシルバーはタブレット端末を起動した。

 映し出されたのは、無理矢理装甲を糊塗されて歪んだフォルムに、赤く塗りたくられたショベルドーザーの姿。

 もうすでに、癇癪を起した子供のようにアームを振り上げて、暴れまわっている。

 これだけ鈍重で目立つマシーンであれば、警官以外の誰も近寄ろうとはしまい。

 それだけが――まだ一人の死傷者も出ていない事だけが救いか。

 そこへ。

 一台の、見覚えのあるバイクが一条の矢のように飛んで来た。

「今、白井さんにある思考は“こはく”を守り抜くことだけ。

 この重機の襲撃を知っていて、あなたに“こはく”から避難しろと連絡してこなかった意味がわかりますか?」

 これに関して、彩夏は返答を迷わなかった。

 そんなの、わかりきった事だから。

「連絡、するまでも無いから。

 自分があそこで必ず重機を食い止めると、彼は確信しているから……」

 何という事だ。

 彼を巻き込むまいと、ヒーローとしての彼を切ったのに。

 白井は、彩夏の意思を離れて、彼女のヒーローで在り続けているのだ。

 ――嬉しくない。

 ――ヒーローに護られているのに、全然嬉しくない。

 ――どうして?

 だが、今はそんな不測の事態で自分の幸福度を落とす時では、

「それですよ、蓮池さん。

 あなた、もうその考え方はやめなさい」

 サイコシルバーが、彩夏の胸の最奥を、無遠慮に突いてきた。

 彩夏は静かに首を横に振った。

「不可能です。貴方、“今から腕を一本増やせ”と言われて、それが出来ますか?」

「それは屁理屈だ」

「では、敢えて失礼な事を言わせて貰いますよ?

 貴方が、貴方のその善意の押し付けが止められないのと同じ様に、私は私の根幹を変える事は出来ない。

 私も貴方も、最初からそう言う風に出来て居るのですから」

「俺は良いんですよ。否定される謂れは無い。

 だが蓮池さん。俺のそれは許されるが、あなたは駄目だ。

 だから俺は、何としてでもあなたの目を覚まさせます。

 そして、彼の暴挙も止めて見せる。

 俺自身も、自分を犠牲にはしない」

 子供じみた陳述だ。

 男子というのは、いつだってこうだ。

 いくつになっても、ヒーローでいようとする。

 だが。

 彩夏は結局、席を立つことが出来ないでいる。 




 サイコブラックの愛車だったバイクが、一直線に“秘密メカ”へと突貫する。

《そこのバイク、止まりなさい! や、やめなさいッ!?》

 警官隊の悲鳴も、虚しく霧散するだけ。

 激突の直前、乗り手ライダーである黒い服の男が軽々と宙を舞った。

 華麗な体さばきで受け身を取ると、間隙無く立ち上がって身構える。

 見事としか言いようのない身のこなしだった。

 無人となったバイクの直進に“秘密メカ”の剛腕も迎撃が間に合わなかった。

 激突。

 固体のような衝撃波と黒煙を凄まじい勢いで放射させ、バイクは木端微塵に四散した。

 だが、秘密メカを包囲していた警官たちに怪我は一切ない。

 元々、あんな改造重機を相手にしているのだ。バリケードに隠れて充分な安全マージンを取っていたおかげだろう。

 よかったよかった。

 しかし、問題はバイクの方にある。

 燃料が燃えただけ、にしては、凄まじい爆発力だった。

 それもそのはず。

 バイクには爆薬が積んであり、最初から“簡易ミサイル”として用いるつもりだったのだ。

 これで決着がついてくれれば――と思ったが。

 煙が徐々に晴れていくにつれて、ショベルドーザーの威容が少しずつ浮かんでくる。

 塗装がはがれ、装甲がブサイクに凹んだのみで、ほぼ無傷だ。

 サイコブラックの愛車は無駄死に、という事になる。

 その運転手だった黒い服の男――カラテマスターこと改造人間004番は、能面のように冷酷な表情のまま、何かを取り出した。

 それは手榴弾だ。

 少しの感慨も無くピンを引き抜くと、三秒待つ。

 そして、来客に驚いた様子のショベルドーザーへと容赦なく投擲とうてきした。

 深緑色のパイナップルは、一瞬にしてその姿を消失させると、凄まじい破裂音と濃淡様々な色が織り交ざる煙と爆轟刃をまき散らした。

 先の“人力ミサイル”に比べれば、手榴弾の炎煙などあっさりとしたものだ。すぐに晴れる。

 ショベルドーザーは……やはり無傷だ。

 哀れ、改造人間004番の将来はここに確約された。

 数年前、奈良で同じようにヤクザが手榴弾を爆発させた事件があった。

 その時の判決は、懲役二〇年ちょいだったと思う。

 まあ今回の場合、状況から他人を助けると言う意味での正当防衛かどうかが裁判の焦点となろう。

 まず間違いなく過剰防衛とされるだろうが、奈良の事件よりは酌量の余地が認められるだろう。

 頑張れ、004番。負けるな004番。

 ――ちびっこたちも、君の前途を応援しているぞ。

 と。

 001番に運転させた軽自動車で、白井真吾がようやく現場へ到着。

 生身の、白井真吾がだ。


 サイコブラックに変身するつもりは、

 もう無い。


 なぜか?

 サイコブラックのスーツを着用して、バックパックに詰め込んだ物を使えば、間違いなく結社に処置されるからだ。

 なら。

 ヒーローにならずに爆弾を使えば良い。

 さらば、サイコブラック。

 こうして白井は、自分に与えられた特権を何の感慨も無く捨てたのだ。

 ヒーローでは無く、一般人・白井真吾としての犯罪行為に対して、ヒーロー結社が介入する権限は無い。

 正道な司法の裁きを受ける事になろうが、まあ最悪、レッドとホワイトを直接殺したところで、死刑の可能性は低いだろう。

 状況的に、無軌道な破壊行動に及んでいるのは奴らの方だ。

 十中八九、過剰防衛とされるにしても、酌量の余地は充分にある。

 それに、万が一法廷で危なくなれば、心神喪失を装ってどうにか乗り切るつもりでもいる。

 結果、生身で強化ショベルドーザーに立ち向かうハメにはなるが……まあ、メリット・デメリットの適当な落としどころと言えよう。

 しかし。

 サイコシルバーは以前言った。

 結社は、定型外人格者を管理・処断する為にヒーローを作った。

 スーツによって彼らの行動を監視し、スーツが悪用された時に、連行の口実が出来上がる。

 けれど。

 そこには、一つの大事な問題が抜け落ちている。

 結局、ヒーローがヒーローの力を使わずに凶行に出た場合どうするか、と言う割と大事な問題が。

 強大な力で危険人物の目を眩ませ、極端な行動を縛る。

 そう言う意味においては、完全に無駄とは言えないだろうが……。

 しかし結局、今回の白井のように、結社に消されるリスクよりも一般人として法の裁きを受ける事を選んだ場合。

 “狂人の反社会的行動を抑止する”と言う目的は、完全には果たせていないことを意味する。

 ヒーロー結社が、その程度の穴を今日の今日まで見過ごしてきたと言うのか?

 白井は、そこに解せないものを感じたが……あまり興味が無かったので、すぐに忘れ去ってしまった。

 少なくとも、暴走する改造ショベルドーザーの前で考える事では無い。

 ちなみに。

 サマーディ・システムをもらった時、南郷に一つ訊いてみた事がある。

「念の為確認するけど、サマーディ・システムのゴーグルはヒーロースーツ扱いなの?」

「いいえ。これはあくまでも、俺個人が勝手に作ったプログラムですので、スーツの機能には含まれません。

 つまり、あなたがこのシステムを何に使おうが、結社に介入する権限はありません」

「ああ、よかった」

 本当によかった。

 サマーディ・システムありなら、生身の白井でも、まだどうにかなりそうだから。

 晴れやかな気持ちで、颯爽と軽自動車から降りた白井は、

「ひ、ひぃっ、僕、嫌ですよ!

 あんなのに立ち向かうの、無理ですよぅ!」

 情けなく上擦った声と、挙動不審な動作を演出する。

 周りの警官の目に触れるように。

「つべこべ言わずにやれ、この野郎」

 打ち合わせ通り、いかつい男の001番が、白井の尻を蹴り飛ばす。

「ひっ!? 命だけはァッ!」

 こんな大声で叫んだのはいつぶりだろう、と白井は淡々と考えながら、命乞いの声を張り上げる。

 かわいそうに。

 このせいで、全てが終わった後の001番も塀の中へぶち込まれるのだろうか。


 秘密メカのコックピット内。

「主よ、憐れみたまえ……主よ、憐れみたまえ……」

 リピート再生するかのように呟くレッドは、流麗とすら言える手捌きでハンドルとレバーを操る。

 複合装甲に閉ざされて視界が見えないので、外付けされた八台のカメラが目の代わりだ。

 ――おお神よ、なんとSFじみた景観でしょうか。

 ホワイトは、レッドに寄り添いながら、そんな事を考えた。

 コックピット内に八台の監視モニタがずらりと並ぶさまは、確かにSFや特撮でありそうな構図だ。

 さて、それよりも。

 こうなった以上、彼女に出来る事はそれほど多くないが、後方や側面のカメラをフォローしてやる事くらいは出来よう。

 少しでも、レッドの支えになってあげたいという、乙女心だ。

「いやー、似合ってませんよ師匠。わざとらしすぎです」

 マイクを通して、醜態を演じる白井に勧告してやる。

 ボケにはちゃんと応じてあげるのが、人としての優しさだと、ホワイトは思う。

《おら、いいからさっさと爆弾ぶちかませよ》

《あひぃっ!?》

 脅されて仕方なし、と言う風に、白井は何かを投げつけてきた。

 ブラックコーヒーのアルミボトル。

 四つ、素晴らしいコントロールでショベルドーザーの周囲に転がったそれらから、白い煙が勢いよく吹き出す。

 煙幕はたちまちモニタを満たした。

 何も見えない。

 煙を振り払う事すら出来ない。

 そんな、蟲毒のような煙に視覚を冒された中。

 ガラス瓶の割れる音が、一発、二発、三発、四発、五発。

 恐らく、火炎瓶だろう。

 燃料に引火したり、カメラやキャタピラあたりに熱損を与えられれば、逆転のチャンスと考えたのだろう。

 が、甘い。

 秘密メカのパイロットたるもの、そういう脆弱な部分こそを躍起になって補強するものだ。

 レッドは、操縦者としても整備士としても超一流の男なのだ。

 次に、刺すような破裂音の後、花火のような燃焼音がスピーカーから流れてきた。

 煙で目を封じられたホワイト達には知る由もないが、テルミット爆弾が命中した音だ。

 レッドはむなしく――しかし熟達した手捌きで、レバーを操る。

 ドーザーはもがくように旋回し、暴れまわる。

 だが、白井を叩き潰せた手応えは一向に感じられない。

 そうして、煙がようやく晴れる。

 ドーザーが何かを踏んだ。

 くぐもった音と微細な振動が、コックピット内に響く。

 

 001番に投げさせたテルミット爆弾は、惜しくも装甲の一部を抉ったのみ。

 004番に設置させた自家製クレイモアも、ちゃんと踏んでは貰えたが、効果なし。

 煙から這い出した巨大重機は、今だご健勝のようだ。

 テルミットの火山噴火のように粘っこい炎を纏った車体は、ダメージはおろか風格すら感じられた。

 燃え盛る秘密メカは、完全に白井をターゲットに定めたようで、時速三〇キロ程度でこちらに向かってくる。

 よかった、この上“こはく”の破壊を優先されていたら、追い付けなくなる所だった。

 正直な所、001番に運転させていた軽自動車では、パトカーの残骸を突破できない。

 周りで着々と増え続けている警官隊にしても、もう見逃してはくれないだろう。

 そんなわけで、白井に残された手と言えば。

「001番、004番。今までご苦労様。どっかその辺の警察のお縄につくと良い」

 お暇をくれてやると、二人は回れ右をして警官のもとへ走りさって行った。

 ははははは。

 何も知らずに自ら破滅へと殺到する様は、レミングのようだ。

 とりあえず被害計算。

 バイクに続いて、改造人間二つをロスト。

 ヒーロースーツすら無い白井に残された装備は、サマーディ・システムと、三号桐ダイナマイト、そして白井自身の命が一個だけ、となった。

 ディエス・イレ社のビルを解体する予定だった爆弾だ。

 改造重機くらいは行動不能に出来る、と信じたい。

 だが、それをしてしまえば。

 白井もまた、立派な犯罪者の仲間入りとなる。

 手製のスモークグレネードまでなら許されただろうが、それだけで重機一つを止められるくらいなら苦労はない。

 まあ。

 白井は、コスト管理を重んじる男だ。

 だから、ここまでに、違法な爆薬は改造人間に使わせてきた。

 だが、この桐ダイナマイトを適切に敵機体へ配置するには、誰かが生身で飛び移るしかない。

 それにはサマーディ・システムのサポートが必要不可欠となる。

 死ぬかも知れない暴挙に出たあげく、その見返りが前科ってのも嫌な話だが仕方がない。

 こいつらに“こはく”を破壊される事と比較すれば、まだ小さな損害だ。

 ――サマーディ・システム、起動。

 ――使用ソフト・精神エミュレータ。

 自分の魂に取り込むべき、他人の情報を検索。

 白井には、アメリカ人の知り合いにピーターと言うやつがいる。

 テキサス生まれの、おおらかで、気の良い男だ。

 そして。

 現役SWATでも最高の戦士として名高い。

 ちょっと、そのセンスをお借りする。

 ピーターは良いやつだ。

 自分の精神をコピーされたとしても、著作権料を要求するような無粋はしまい。

 ――ダウンロード開始。

 白井の意識に、ピーターの経験則をインストール。

 これでよし。

 手が付けられない猛牛のような重機が、どんどん薄のろ亀に見えてきた。

 駆動部の動きが、透視するように読み取れる。

 あの程度なら、簡単に飛び乗れそうだ。

 さらに万全を期して、ホワイトとレッドの情報から、未来シミュレートを起動。

 やつらの動きを、先んじて予知出来るようにした。

 では、お仕事開始だ。

 SWATの超兵士と化した白井真吾(未来予知機能搭載)は、バックパックからダイナマイトの箱を取り出すと、重機に向かって走り出す。

 象が蟻を避ける必要はない。

 クジラがプランクトンの為にいちいち道を譲る必要も無い。

 ショベルドーザーが、生身の白井を恐れる要素は一つもない。

 ただ我が道を行くように、真っ向から白井を轢き潰す勢いで突進してくる。

 接触――の寸前。

 白井は横跳びに、ショベルドーザーの軌道上から逃れる。

 だが、強化ドーザーのパイロットは、闘牛よりは賢いらしい。

 滑らかに車体を旋回させ、ショベル部を横凪ぎに振るってきた。

 それはとっくに予知していた事だ。

 転がり、受け身を取り、間隙かんげきなく立ち上がり。

 白井は高らかに跳躍。

 そうして外壁に取りつくと、要所要所にダイナマイトを設置してゆく。

 特に、ショベルの関節部とキャタピラを重点的に狙った。

 機体そのものを全壊させる必要は無い。

 要は、“こはく”に行けなくすれば良いのだ。

 それが叶わないとしても、最低でもアームをもいでやれば、破壊が遅れる。

 “こはく”が全壊する前にヒーロー結社が間に合ってくれるかもしれない。

 これだけ入念に外壁を固められては、ラジエータ、各駆動部、カメラ、中の人間ども……のような重要な臓器を狙うのも難しい。

 だが。

 より完璧な乗員の保護を追求したのか、操縦席は内部から溶接されているらしい。

 つまり奴等に、設置されたダイナマイトを除去する手立ては無い。

 暴れ狂う重機をロデオのように乗りこなしながら、白井は持てる爆発物の全てを費やして、秘密メカにあらぬデコレーションを施してゆく。

 そして。

 ついに、手持ちの爆薬は底をついた。

 あとは、一息に着火するだけ。

 それで、全てのケリがつく。

 白井は、用済みと言わんばかりに強化ドーザーから飛び降りると、迅速に距離を離す。

 その手には、起爆スイッチ。

 十二分の長さを取った電線で、起爆スイッチと全爆薬とは繋がっている。

 あとは、押すだけだ。

 この瞬間。

 白井の顔に、人間らしい情動は一切見られなかった。

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