巨大メカ出撃! さらば、サイコブラック<中編>

 ――思えば。

 スカウトされて、ヒーローになってから、今日まで。

 どうして、一日も休まずヒーローとしてやってきたのだろう。

 白井は、何となく自問してみた。

 いや、もう長い事疑問に思って居た事だ。

 ヒーローの活動は、ヒーロー本人の自主性に任される。

 能動的に誰かを護る必要はないし、嫌なら何もしなければいいのだ。

 スーツを悪しき事に使わない限り、ヒーローはどこまでも自由な身分。

 かつてサイコシルバーに指摘された通り、“生きる為には力が必要”だった事も確かだ。

 だが、それならば、力を得た時点で充分に目的は達せられていた。

 力とはあくまでも所有するものであり、無理をしてまで行使するものではないのだから。

 それでも彼は、ヒーローで在り続けた。

 こうして、護衛対象に否定されてもなお“こはく”を護るヒーローを演じ続けている。

 おかしい。

 彼の心のどこかで、コストが釣り合っていない! と訴える声がする。

 なのに、白井は、自分の内側から湧き上がるその叫びを、酷薄に黙殺し続ける。

 ――たぶん僕は“普通のやつ”になろうとした。

 普通のやつとは、言い換えれば、誰かに必要とされる命の事。

 生きている事を、他人に手放しで祝福される命の事。

 異物として排除されず、殺されずに済む命の事。

 少なくとも、白井はそう考えていた。

 テレビの中のヒーローは、必要とされる存在の最たるものだ。

 悪を憎み、裁くヒーロー。

 どこまでも正しく、どこまでも真っ直ぐな、無謬むびゅうの存在。

 同級生はみな、ヒーローを称賛していた。

 当時の白井少年は、ヒーローこそが普通のやつの究極形なのだと受け取った。

 だからヒーローとなる事を、二つ返事で引き受けた。

 そして、いくらかの人間を護り、救ってきた。

 救ってきた、はずだ。

 ただ。

 こうして護衛対象と別れたまま、任務を全うするのも珍しくない事だった。

 結局、誰を護ろうとしても、サイコブラックが“普通のやつ”として受け止められる事は無かった。

 ただ一人、蓮池彩夏を除いては。

 彼女だけだった。

 白井に護られて、その手口を知った上でなお、馬鹿正直に喜んでいたのは。

 誰からも必要とされて来なかった白井真吾という存在を、彩夏だけが手放しで受け止めてのけたのだ。

 何百と言う“捨てる神”に生ゴミのごとく打ち捨てられた男を拾い上げた、たった一つの“拾う神”。

 白井が生きている事を全身で肯定した、この世でただ一人の女。

 初めての事だった。

 彼女と居れば、いずれ自分は変われるのではないか。

 そんな事をちらりと考えるまでに、白井は変わる事が出来たのだ。

 ――恐らくは、アテにならない勘だが、彩夏さんがサイコブラックを切ったのは、僕を巻き込まない為だったのかも知れない。

 だから。

 こんな縁はたぶん、二度とめぐらないだろうから。

 ――護りたい。

 “護る”のでは無く“護りたい”。

 自分の思考のニュアンスがほんの少し変わっている事に、白井は気付かない。

 そんな暇はもう残されていないからだ。

 そして、自分の人生をも爆破する為のスイッチに、ゆっくりと指を添えて。


《止めなさい、真吾さん》


 久しく聞いて居なかった、涼やかな知性を感じさせる女声。

 白井はスイッチから手を離し、反射的に飛び退いた。

 その声が、ここで聴こえていいわけがない。

 だが、彩夏はここには居ない。

 サマーディ・システムから勝手に検索された彩夏の心が、白井ユーザの意思を無視して流れ込んできているのだ。

 自然、それは、彩夏の心の隠していた部分が、彼に暴かれる事を意味した。


 ――思えば。

 どうして私は、ヒーローの到来を待ち望んで居たのだろう。

 彩夏は、そう自問した。

 いや、本当は、サイコブラックと出会ってから既に答えは出ていたのかもしれない。

 ――ひっく ぐすっ

 どこかで、誰かの嗚咽が聴こえる。

 彩夏は冷然とそれを無視して、演算する。

 自分の行動が結果的に幸福度を下げては意味がない。

 彩夏は、また一つのデータを蓄えて、ロボットとしての精密さを増してゆく。

 ――彩夏ってさ、何か重いんだよね。 ――……ぐすっ……。

 対象にとって過剰なフォローは劇薬と同じらしい。

 大事な友人達を傷付けてしまったのは、とても不幸な事だ。

 彩夏は、ますます考えを最適化する事にした。

 ――他人を自分の下に置くのは気分がいい?

 どうすればいいのか。

 他人に対して不快な思いをさせる事を、してはならない。

 不快から最も遠い選択肢を常に選んでいるはずなのに、彩夏の周囲の人間は、みな不愉快な思いをさせられてばかりだ。

 ――あたしは、不特定多数の人間を友人とみなすほど、心が広くないの。 ――……けて……。

 だから友達だなんて名乗らないでね。

 そう、はっきりと宣言された記憶。 ――……か、助け……。

 けれど、沈むわけにはいかない。

 無為に沈めば、ますます幸福は遠ざかる。

 もっと、失敗例をため込んで、よりよい計算法を会得して。

 そして。

 そして。

 ――お前は気持ち悪いんだ。

 実の父にそう言われた、最も原初の暴言が、リフレインされた。


 ――誰か助けてッ……!


 女の声が、どこかで叫んでいる。

 あんなに高い声をあげたら喉が破れそうだ。

 彩夏は、彼女の身体をいたわり、心配した。

 しかし。

 我が娘を“気持ち悪い”などと言ってのける父親も、そうは居ないだろう。 

 父親とはいわば、“ヒーローの原型”なのではないかと、彩夏は考えていた。

 父に憎まれ、他の家庭の父子と比較対象する機会があったからこそ辿り着いた、一つの答え。

 そうだ。

 自分の、幸福追求の“悪癖”と、ヒーローの到来を求めて重ねた過ち。

 この二つが微妙に噛みあっていない事を、彩夏はサイコブラックと出会って初めて気付いたのだ。

 ただ単に、父性の代替としてヒーローを求めたのか?

 と言われると、それは違うと確信できる。

 この人生の中、彩夏を最も庇ってくれたのは実の母親だ。

 それにした所で、半ば嫌々、生んだ責任があるからという後ろ向きな動機だったことは、彩夏にも伝わっている。

 そう。

 それは、父性という概念よりもなお、原始的なもの。

 彩夏は、その経緯ゆえに“無償で護られる”事を、ひどく渇望していたのだ。

 今のスタッフ達にそうしたように、誰かを護った事はあっても、誰かに護られた事が無かった。

 他の誰もが当たり前のように与えられてきたもの。

 それは“人間にだけ”許された権利だと、彩夏はそこまで思い詰めていた。


 ――とんでもない奴らだ。

 目の前の秘密メカの猛攻をかわしつつ、白井は内心で吐き気を覚えた。

 サマーディ・システムから流れ込んできた彩夏の、これまでの道。

 ただ、自分と周りの小さな世界が幸せでありますように、と願い続けてきただけの女。

 それを理解しようともせず、ただ心無い言葉を投げつけて彼女を追い詰めてきた馬鹿ども。

 一人くらい、いなかったのか?

 一人くらい、彼女を肯定してやれた奴が?

 彼女の周りには、どこまで愚物しか集まらなかったんだ!?

 その不幸な奇跡が、白井にはおぞましくてならなかった。


 サイコブラックが現れ、共に戦うようになるまで。

 彩夏は、誰にも護られた事は無かった。

 確かに、白井が南郷にさらわれた――振りをしていた時――、スタッフ達は思いがけず助けには来てくれた。

 だがそれとて、彩夏が少女のころから求め続けた無償の庇護ではない。

 彼女達のそれは、相互庇護の為の行動。

 彩夏は決して、それを否定しない。

 それは一つの、幸せの形だ。

 だが実際に、彩夏が待ち望んだ“別のもの”は。

 深い絆で結ばれた彼女スタッフ達だからこそ満たせないものだと、心のどこかで悟ってもいた。

 親にしか出来ない事。

 恋人にしか出来ない事。

 友にしか出来ない事。

 どれが、どれよりも尊いとかではない。

 それらは全く、属性の違う事柄に過ぎないのだ。

 だから。

 ――そこまでだ、罪なき女性を脅かす、恥知らずの悪党どもめッ! ――ぇ……?

 サイコブラックの気炎が思い返される。

 同時に、どこかで泣いていた誰かが、あまりの不意打ちに呆ける気配もした。

 ――正義の実行者・サイコブラックだ。

 ――貴様等が、今日まで彼女らに与えてきた仕打ち! 断じて許すわけにはいかん! ――ぁ……。

 多分、ヒーロー本人としては、業務連絡に等しい口上だったろう。

 けれど。

 その言葉で、蓮池彩夏という二十五年生きた命が、どれだけの救いを受けた事か。

 その、自分の手を汚さない狡猾こうかつなやり方は、確かにテレビに出てくる特撮ヒーローと“ちょっとだけ”違うけれど。

 ――僕は帰らせてもらう。護るべき店に。

 ――僕は正義の実行者・サイコブラック! その領分を果たせれば、後の事など知らん!

 ――フハハハハハ!

 むしろ、一見して悪の幹部のような笑い方をするけれど。

 ――今、お前が挙げた事実の中に、一つでも彩夏さんや“こはく”が責められるいわれはあったか?

 それでも、さいかにとっては。

 ――人々の幸せを第一に考えてきた彼女の、どこが悪なんだ?

 真吾あなたは、たった一つの救いでした。

 けれど。


 あの日。

 彩夏から“護る事を止めて欲しい”と宣言された日。

 "こはく"の事務所。

 松長汐里と再会したタイミングについて、彩夏に嘘をついた。

 今思えば、どうしてそんな無意味な事をしたのかもわからない。

 とにかく、それを看破された後。

 “こはく”の万一の為に、サイコブラックとはもう一緒に戦えないと告げられた後の、あの時。

 ――そうか、じゃあ帰る。

 白井はそれだけを言って、彩夏とたもとを分かった。

 ――ひぐっ ぐすっ……。

 まただ。

 またどこかで、誰かのすすり泣きが聞こえる。

 どこからだ?

 部屋には彩夏しかいない。

 その彼女は、一人淡々と、デスクワークを再開しはじめた。

 ――ひっ……ぅっ……。

 違う!?

 何だこれは!

 白井は、熟達したSWATの体術を披露しながら、顔だけは狼狽に乱れていた。

 矛盾している。

 サイコブラックを切り捨ててもなお、いつもと変わらない冷然とした顔で書類に向かう彩夏。

 同時に。

 両手で顔を覆い、背中を丸めてむせび泣く、彩夏の姿が知覚できる。

 ただでさえ細身の身体が、とても小さく、頼りなく見える。

 そんな事、有り得ない。

 この二つの事が、同時に起きるなんて、物理的にありえない!?

「くそっ、サイコシルバーめ! このシステム、バグってるぞ!?」

 所有者になじられた、当のサマーディ・システムはと言えば。

 相も変わらず、正確無比にピーターのセンスを白井へ供給しつづけ、数秒後に重機がどう動くかの未来を精密に見せてくれている。

《物のせいにしないで下さい。子供じゃあるまいし》

 そうして、不意に聴こえてきたのは。

「サイコシルバー、貴様! これはどういう事だ!?」

《結社にはかなり支援を頂きましたが、サマーディ・システムの作者は俺ですよ?

 当然、システムをジャック出来るようにするのも容易だった》

 そうだ。

 その事を念頭に入れてなかった。

 あまりにも興味が無さすぎて、見落としてたのだ。

 裏を返せば――白井は、南郷が自分を騙すとは露ほども考えなかったという事にもなる。

 そのツケが、こんな形で帰ってくるとは。

「謀ったな、貴様!」

 もはや、途中退場する悪の幹部じみた罵倒しか出てこない。

《これまで、あなたに謀られた何人もの人間が同じ言葉を叫んだことでしょうね。

 どうですか? やはり、他人の痛みを知るには自分が思い知る事が一番でしょう。

 確かに、あなたを切り捨てたのは蓮池さんの方だ。それは事実だ。

 けどね、この映像もまた、彼女の真実なのですよ。

 あなたはただ、陰から彼女を助ける、という大義名分を自分の中に創り出しただけだ。

 あなたは、彼女の真意を少しも推し量ろうともせず、身勝手に暴走した》

 ……。

 …………。

 今の映像は、ある意味で真実なのだろう。

 淡々と冷血に、サイコブラックを切り捨てた彩夏の姿。

 けれど、背中を丸め、顔を覆って泣く彩夏の姿もまた。

 彼女はずっと、その相反するものを抱え続けてきたのだ。

 二〇年余り、ずっと。

 そして。

 ――これでは、僕が最後にした事は、

 ――あの、彼女を追い込んだクズどもと、

 ――同じ。

「いや、違う。その手には乗るか!」

 目いっぱい叫び、白井は振り切った。

 アッパーカットのように跳ねあがったショベルも、サイコシルバーの言葉も。

「僕は知っているぞ! 未来シミュレートで確かに見たんだ!

 彩夏さんは、スーツの中身が僕であろうがなかろうが、ガワがサイコブラックでさえあればそれで良いんだ!

 僕は悪くない! 僕は何も悪くない!」

 それは、血を吐くような叫びだった。

 だが。

《今しがた、俺のシステムにクレームをつけておいて。今度は、そのシステムの機能を論証にしてきましたね。

 何か、彼に言う言葉はありますか? 蓮池さん》

 ……。

 そうだ。

 最初に起爆スイッチを押すなと言ってきた声は、サイコシルバーでは無い。

 彩夏のものだった。

 という事は、彩夏もこの光景をモニタしているのか。

《何も。言葉が浮かびません》

 先程の弱々しい姿からは想像もつかない、冷たい気配を――いや、これは違う。

 何というか、冷たさの中にあるものは、

《真吾さん、貴方がそこまで救いようの無いばかだったなんて、私、夢にも思いませんでした》

「何だと」

《一体、何処どこ如何どうしたら、そんな的外れでばかな思い込みが出来るのですか? 理解に苦しみます》

「僕は見たんだ! “こはく”のスタッフが皆"終わって"、それでも偽者や戦隊どもが我が物顔で彩夏さんを攻撃して!

 僕は偽者のマンションを爆破して僕も終わってやった!

 そしたら彩夏さんに、戦隊どもが殺到して行って、そこに新しいサイコブラックが来て――」

《その前提条件じゃあ当然でしょうが、このばかッ!》

「えっ?」

 これまでと打って変わった彩夏の怒声に、白井の意識が半ば刈り取られそうになる。

 何が何だか、わからない。

 あまりに矛盾して居て……。

《あなた、まかりまちがえば、偽者と心中するつもりだったの!? 信じられない!

 わたしね? 今日ほど“ばか”以外に言葉が浮かばない、自分の貧困極まりない語彙ごいを呪ったことはないですよ!

 このばか! ……、……えっと……ばっ、……ばかッ! 大ばか!》

 ああ。

 流石の白井にも、ここまで丁寧に言われれば理解できた。

 サイコブラックの姿をしていれば、誰でも良い。

 彩夏がその考えに至るまでには、あの“失敗例”のどうにもならない状況が必要だった。

 本物のサイコブラック=白井真吾を失った事も含めた、あの状況が。

 今、“こはく”スタッフは皆生きている。

 白井は、生きている。

 彩夏には、まだ未来がある。

 つまるところ彼は“フラグ”が1であるか0であるかを見誤ったのだ。

 そして、自分が結社に連行されてでも汐里らを爆殺するという手段を、得るに至ったのだ。

 なのに、今更。

 今更だ。

「このスイッチを押せば、全て片付く。“こはく”は無傷で守られるんだ。僕の使命は、護る事……」

 誰を? 何を?

 咄嗟に、主語が出なかったのは何故だろう。

《あ、あ、あなた……どこまで……どこまで常識ないんですか!?

 み、店……店なんて、また作り直せばいいでしょう!

 ヒーローなんて、世の中の裏をのぞいたら掃いて捨てるほどいるんですよ! 思いあがらないで!》

 けれど。

《けどね……真吾さん。

 あなたは、あなたの命は、ひとつしかないんですよ?》

 徐々に、彩夏の声が涙に濡れてゆく。

 ――なんだ、これは。

 ――アンタ、そんなつまらない喋りをするような女だったか?

「僕は死なない。その為に、ヒーロースーツを脱いだんだ」

《あなたが犯罪者になるなんて、いやですよわたし……》

 すすり泣きながら、かすれた声で、何の変哲も無い言葉をよこしてくる。

「――」

 その声には、いつものように綺麗にカットされた宝石のような冷涼さが無い。

 やがて、嗚咽は堰を切り、彩夏は完全に泣き崩れた。

 これまでの人生、抑えてきたその全てを放つかのように。

 ――違うだろう。こんな、ありふれた――。

 これ以上の抗弁は、何の意味も持たなさそうだ。

 白井は生まれて初めて、戦いのさなかに絶望を覚えた。

「馬鹿な、また僕は、彼女を追い込んだクズども同じことを……」

 何の罪も無い彼女を、泣かせてしまっている。

 どうしてだ?

 全て、彼女の為に、彼女の為の正義――。

 演算不能。

 あらゆる論理矛盾が白井の脳を乱反射し、短絡ショートし、暴走する。

 どうすればいい?

 あの重機を破壊すれば“こはく”は確実に守れる。

 白井の使命は、彩夏を護る事。

 彩夏を護るには“こはく”を守らねばならない。

 けれど“こはく”を守ると彩夏を傷付けてしまう。

「あ……、ぁ……」

 大きく宙を翻り、二度、三度後退。

 体操選手もかくやという身体能力を誇示しながら、白井は。

《店なんて、どうでもいい! 今すぐ帰ってきて! お願い!

 お願い……帰ってきて……》

「ああああァァァアアアアアアアあああああああああああぁああああアアアァァッ!」

 唐突に吠え狂ったかと思うと、悪の秘密メカに背を向けた。

 そして、うの体で、脱兎だっとのごとく逃げ出した。

 それは、ヒーローにあるまじき、非常に情けない敵前逃亡の図だった。


 事もあろうに彼は。

 護るべき蓮池彩夏に、敗北したのだ。

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