第010話 対決! サイコブラック<前編>
『サイコブラック主題歌 ~ハードロックバージョン~』
闇を破る 漆黒のヒーロー 彼は走る 正義の果てを追いかけ
弱き者の叫びがある限り(彼は往くんだ!)
悪しき者の企みある限り(裁きの時だ!)
さあ非の打ち所無い 平和のために いらないモノ全て 粛清するんだ!
正義の実行者 サイコブラック!
深夜の
相も変わらぬ違法改造マフラーと主題歌の爆音。
それが撒き散らされているのは、
蓮池彩夏の自宅周辺だった。
寝室。
聞きなれた曲を、思わぬ時間に、強制的に聴かされる事になった彩夏は、のろりとベッドから這い出す。
眉間を揉んで一考。
サイコブラックの十八番である音響攻撃。
自分自身は気にしなければ良いのだろうが、同時に他のスタッフの家にも同様の攻撃が加えられていると考える。
最悪、常連客の住所をも割り出している可能性すら、彩夏は考える。
彼女達のケアや、常連客の対応も、今後はハードになる事だろう。
これから数日間、彩夏は、自分の脳をしっかり管理しなければならなくなった。
下垂体、および、副腎からのホルモン分泌に気を配り、セロトニン等の脳内伝達物質は有限な物資として節約しなければならない。
窓から漏れ出す銀月の光が、彩夏の白い顔を照らし出す。
精巧な人形と見まがいそうなほど、闇に浮かぶ彼女は白かった。
さて。
彩夏は、サイコブラックを拒否した。
けれどそれは、あくまでもヒーローとヒロインの関係を絶ったに過ぎない。
別段、サイコブラックがどこに行き、法に触れない限りで何をしようが、彩夏にとやかく言う権利は無い。
“こはく”のネコ部屋。
客入りがピークになる昼下がり、部屋の片隅に黒いヒーローがいた。
それが、リンゴを滅多刺しにして、何事かぶつぶつと呟いている。
特撮ヒーローが、鬱々とリンゴを刺し続ける異様な光景。
刃物に対する恐怖。
一人、また一人と、客が退出する。
「何なの、あの野郎」
那美達が毒づくが、彩夏は意に介さない。
どうせ、この場でサイコブラックを糾弾しても無駄な事だ。
フルーツカットの実演、と言う逃げ口上でかわされるだけだから。
他ならぬ彼女が、その前例を作ってしまっていた。
サイコブラックはもう居ないもの。彩夏はますます、その決意を固められた。
取り返しのつかない事が、ついに起きた。
明日実が、恐らくヒーロー結社に“連行”された。
事の発端は、こうだ。
今や、明日実の一番の友人となっていた、前原葵。
その自室が、荒らされていた。
全くの痕跡を残さず、何も盗らず、下着を散らかしただけだが。
そこに、明日実が数時間前に無くしたと言う財布が残されていた。
彩夏や明日実からすれば、それは見え見えの手口だった。
だが、元々彩夏ですら、葵の脆さには危惧を抱いていた。
例え、明日実がそんな事をするはずがないと理解できていても、
葵は、人を信じないのではない。
信じられない体質が、染み込んでいる娘だった。
どうも、不信感とは人間に生じた“欠落”のように扱われる事が多い。
だが実際には、過去にこうむった被害を繰り返さぬよう、学習された結果が“猜疑心”というものなのだ。
二度目の空き巣が、葵の部屋を荒らした。
今度も、何も盗られていない。
だが、相手の頬を触れられる状況と言うのは。
相手に、いつでも拳を叩き込める事と同義。
また、サイコブラックの改造人間が葵の部屋に入り込むのは明らかだった。
「殺してやる」
明日実は人知れず、呟いた。
彩夏との連絡は断ち、徹底的に行方をくらませた上で。
彼女が側にいれば、今から自分のやろうとしている事を阻止されるから。
彩夏という人の事を良く知っている分、事を起こす前に彼女を引き離す事は容易だった。
それでも彩夏は、葵の家に向かう途中の明日実にたどり着いた。
そして、呼び止めた。
けれど。
振り返った明日実の、よく知った顔を目にした瞬間。
――手遅れだった。
そう悟った。
明日実の幸福はもう枯渇し、彩夏との暖かな関係が、逆に心を苛むまでになっていた。
自分ですら持て余す負の感情を内包した、今の精神状態では“こはく”には居続けられない。
それは、明日実が一番良く知っていた。
そしてもう二度と、“こはく”に戻らない事も。
こうなるともう、彩夏にはどうする事もできない。
明日実の失われた幸福は、改造人間003番の死によってしか、もはや贖えないのだと。
彩夏は不幸にも、明日実の末路を先に視てしまった。
そこから先、現場で何があったのか、誰にもわからない。
ニュースで築浪明日実・他一名の元服役囚の消息が途絶えた事が知らされたのみ。
ついに、スタッフが一人“消された”。 明日実は二度と戻ってこない。
超えてはならない一線を、サイコブラックは超えてしまった。こうなるともう、サイコブラックは完全に敵だ。
あの手この手で彩夏や、“こはく”に接触を図ってくるが、今は適度に弾くしかない。
彩夏の築き上げた“こはく”の幸福な空間を壊した張本人は、サイコブラック。
けれど今は、彼にだけ気を取られているわけにはいかなかった。
サイコホワイトこと、
クレームの電話や、同業者、関係各所からの問い合わせが連日のように殺到している。
これだけでもう、彩夏の日常業務はかなり時間を圧迫されていた。
その上で、明日実の喪失と白井への憎悪で暴走しそうなスタッフ達をケアする。
それでも来てくれている常連客に、いつもと変わらぬ空間を提供する。
更に、敵ヒーローへの対処を考える。
敵が五人いる事は、とうに彩夏も目星をつけていた。
恐らく、そのヒーロー形態は、五色のメンバーから成る戦隊もの。
サイコブラックを敵に回した上、彩夏は五人ものヒーローを同時に相手にしなければならないのだ。
それも、松長汐里を除いた他の四人の詳細が未だに判然としない。
結局のところ、されるがままとなってしまっている。
重機を操作できる者がいるらしく、彩夏の寝室も含めて、毎晩振動に悩まされている。
サイコブラックの主題歌ハラスメントに慣れてきた今、彩夏にとっては非常に地味な攻撃ではあるのだが……。
また、ドローンでの盗撮が行われている気配もある。
それによって写されたスタッフ達や常連客の姿が、昨日発売したサンクトゥスに掲載されていた。
明らかに身に覚えのない半裸の胴体に、彩夏達の顔が合成された写真すらあった。
継ぎ目の全く分からない、素晴らしい腕前の合成だ。
むしろ、細かい痣や、かすかな吹き出物さえもリアルに合成されていて、より本物の説得力を与えている。
他の画像や記事にも施された、見やすく、それでいて目を引く装飾と言い、汐里一人の仕事ではあるまい。
戦隊の中に、画像加工を本職とする人が居るのだろう。
格式を売りとした雑誌も地に墜ちた物だが、“半裸である事実”が、連日の“こはく”騒動に、論理的に結び付けられると、意外と誰も不思議に思わないようだ。
文字だけでこんな離れ業をやってのける松長汐里は、掛け値なしの名文士と言えよう。
ひどい刺激臭のする劇薬や生ゴミ、果ては生きた野良ネコなどが、彩夏達の生活圏にあふれるようになった。
近隣住民からは、自宅にも毎日のように苦情が殺到してきている。
急に縄張りから引き離され、大量の野良の山に放り込まれたネコ達も、可哀想だ。
また一つ、彩夏が対応すべき事柄が増えてしまった。
特に野良ネコの放逐に関しては、短絡的に犯人と決め付けられてしまっている。
この上。
サイコブラックの攻撃に、彩夏一人が対応しきれるはずもない。
彼女の身体は、一つしかないのだから。
那美と直子が、覚せい剤所持の罪で逮捕された。
本人たちは“知らないうちにバッグに入っていた”と容疑を否認している。
世間はそうは見ない。
ただの言い逃れとしか見られない。
薬はまたも、南郷組のシノギに使われている物だった。
再び同じミスを犯した南郷愛次を、組織も簡単に容認するわけにいはいかなかった。
次期トップとはいえ――いや、上に立つ者だからこそ、ケジメが要求されるものだ。当面“島流し”は必至と言えた。
もう、彩夏が南郷愛次と会う事は無い。
それはつまり、南郷によるさり気ない庇護も、サイコシルバーの助力も永久に失われた事を意味した。
そんな事は良い。
それよりも彩夏は、
一人のネコ好きだった男の笑顔がもう見られない事を、悲しん――、
いや。
今、自分の幸福度を落とすわけにはいかない。
スタッフが一気に三人も減ってしまった。
客も減ったとはいえ、接客以外にも仕事は山とあるのだ。
それに、残された友香の支えにもなって――、
そう、考えるのがほんの少しだけ遅かった。
嶋友香が、消息を絶った。
彩夏をして、手が届かない程に、痕跡を消し去って。
彩夏は、とうとう一人になった。
直子と那美の薬物所持に判決が下った。
懲役一年と五ヶ月の、
覚せい剤所持の初犯。
量刑相場としての、一年半という日数は妥当だ。
しかし、未使用で、入手ルートさえ曖昧だったにも関わらず、執行猶予さえつかないとは。
当然、サンクトゥスは元より、疑惑のネコカフェについては、テレビでもいくらかの報道枠が取られた。
マスメディアによる“こはく”叩きは、もはや完全に親元である松長汐里から飛び立っていた。
世間全体から見れば大したニュースにもなるまいが……それが忘れ去られたころには“こはく”も彩夏も、社会的に再起不能になっているだろう。
一年半後、直子と那美を迎え入れるまで“こはく”は存続していられるのだろうか。
現状、五人の戦隊の素性さえ掴めていないのだ。
いや、もはや敵を撃退した所で……。
彩夏は冷然とした面持ちで、しかし、唇を引き結んで、頭をフル回転させる。
この状況から立ち直る、建設的な方法を考えなければ。
そこへ。
「とうとう追い詰めたぜ!」
熱き血潮のたぎる宣告が、
平和戦隊サイコレンジャー。
五色のヒーローのうち、彩夏に断罪の言葉を浴びせたのは、やはりリーダー格であろう赤色だった。
「貴様の手前勝手な欲望の犠牲になった、大勢の人たちの悲しみと痛み、オレ達が晴らして見せるッ!」
――もう一度、サイコオニキスになるしか無いかな。
彩夏は、茫洋と、最後の手を考えていた。
――皆でピクニックに行った日の事が思い返される。
――明日実ちゃんと友香さん、思い出してくれたかな?
――那美ちゃん、直子さん、この思い出を心の支えにしてくれているかな?
――真吾さん、私は。
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