サイコブラックの弟子<後編>
アパートの一室。
ノートパソコンを滑らかにタイプする、全身白ずくめの者がいた。
サイコブラックよりは飾り気の無い、純白のオペコットスーツ。
ヘルメットもスリムで、目立った色は、黒いバイザーだけだ。
サイコホワイト。
その名を与えられし女は、作業にいそしんでいた。
時おり、膝の上に乗せた丸顔のシャムネコを撫でながら。
自宅で正義の行動を起こすとき、彼女はサイコホワイトの服装でそれを実行する。
彼女の本分は情報戦。
紙とペンで、悪を裁く。
それを噛み締めるために、サイコホワイトとなるのだ。
今回の、週刊サンクトゥスを利用した“こはく”叩きは、
それ自体に、サイコオニキスこと蓮池彩夏を仕留めるだけの威力は無い。
だが、
こはくに――あの、存在自体が邪悪な、蓮池彩夏に。
他人の心の隙につけこみ、自分無しでは生きていけないように改造する、魔女。
理論上、国家転覆すら起こしかねない、大罪人。
ジャーナリズムの正義を貫く者として――何より、一人の人間として決して許せない。
汐里が“パン”と名付けたシャムネコが、キーボードの上に乗り掛かると、喉を鳴らして甘えてきた。
焦げたような不思議な毛並を、ヒーロースーツのグローブで撫でる。
あの店主とて、ネコと触れあっている立場だろうに。
彼女には、ネコの愛しさが理解できないのだろうか。
それが理解出来ているのであれば、あんな悪の心に染まらずに済んだのだろうか。
それを考えると、サイコホワイトはただただ哀しかった。
そして、パンの隙をうかがって再び編集作業に戻る。
蓮池彩夏の欠落に同情の念を浮かべつつ、蓮池彩夏を効果的に処刑する為の文章をタイピングする。
ともあれ。
まずは、師・白井真吾を仲間にしようと思った。
彼とならば、あの巨悪を難なく倒せる気がするから。
――大切なのは、真実よりも事実だ。
そう教えてくれたのも、彼だった。
だから汐里は、ペンを武器にして戦う気高い道を選べたのだ。
はたから見れば彼を“師匠”と呼び慕う姿は、滑稽であり、軽く見える事だろう。
だが、汐里にとっての白井とは、掛け値なしの、人生の師に他ならないのだ。
それに。
元恋人としても、真吾の性格は熟知している。
彼は、理由が無ければ、何もしない。
彼に、“こはく”を護る理由はもう無い。
蓮池彩夏には、欠片の正義も無いのだから。
白井がコンビニから出てきた所を、南郷愛次が迎えた。
「ああ、南郷さん? 何か用?」
まるで、ただの友人と出くわした時のような、無感動な反応。
「どうやら、蓮池さんと袂を分かったようですね」
口を開かなくても考えを察してくれる事に関しては、話しやすい相手だと実感した。
「まあ、あっちが希望した事だから、僕には何とも。
それじゃ、他に用がないなら帰らせてもらうよ」
そして、当たり前のように南郷の前を素通りしようとする。
「俺としては、最悪なタイミングですが、仕方がない。あなたに渡したい物があります」
白井の足が止まった。
貰えるものは何でも貰うのが、彼の流儀だから。
貰うものを貰って、南郷と別れた。
かなり良いものを貰えた気がする。
今後のヒーロー活動に役立ちそうだ。
感想は、それだけ。
結社にしろ、南郷にしろ、どういう風の吹き回しかはわからないが。
南郷は、結社の在り方を変えたかったのではなかったのか。
彩夏が生き残る事を、切に願っていたのではないのか。
それなのに、これほどのオーバーテクノロジーを自分の下に運んできたのが解せない。
「おっ、師匠ー!」
背後から、聴き馴染んだ女の声が飛んできた。
何というか。
愛しの彼氏を偶然見つけたかのように装い、ちゃっかりデートに持ち込むというやり口。
学生時代から変わらないなと思った。
「勧誘に来たか」
「人の考えを先取りするの、やめて下さいって昔から言ってるじゃないですかっ」
人畜無害の顔で、汐里が白井の顔を覗き込んできた。
そして、柔らかな掌で、彼の手を包み込んで。
「ねえ、師匠。また一緒に戦いませんか?
この街に、規格外の悪が居る。それは、師匠が一番よくわかってるでしょ?」
明朗快活、やや天然。しかしそこには、いやらしさがない。
誰からも好かれる、年下系女子。
松長汐里。
「困っている誰かを救えるのは、わたしたち、正義の味方だけなんですよ?」
下からのアングル、上目遣いで懇願されると、大抵の男は色よい返事をよこしてしまうものだ。
もっとも、白井には、その手の機微がよくわからないが。
だからこそ、汐里は、彼に執着したのかも知れなかった。
「いいよ。どうせ暇だ」
情感薄く、白井は、汐里との同盟を締結して見せた。
「やったぁ! 師匠、大好き!」
手放しで喜ぶその姿に、邪気は全くない。
律動的なリズムを刻み、ペダルを回す。
極限まで軽量化された、機能美の体現。
この日の走行距離、既に一五〇キロメートルオーバー。
自転車と言う、原初の乗り物で馳せる快感。
身一つで、県を股に掛ける全能感。
汐里は、その健全な悦楽を一身に浴びながら、軽快にペダルを漕いでいた。
……サイコホワイトのオペコットスーツ姿で。
そして。
「よーし、休憩しようぜ!」
爽やかな号令を下したのは。
サイコホワイトの色違い――赤いオペコットスーツのヒーロー。
彼の後ろを走っていたのは、四人。
その自転車の一団は、俗に言う“戦隊ものヒーロー”の格好をしていた。
五色の人員から成る、ヒーローのいち形態。
サイコホワイトこと、松長汐里は、その一人に過ぎなかった。
【次回予告】
ついにサイコブラックと縁を切った彩夏。
護る者が居なくなった“こはく”を、五人ものヒーローが狙っている。
最後の最後で彩夏に拒絶されたサイコブラックが取った選択とは……。
次回・第010話「対決! サイコブラック」
……僕は、ヒーロー。ただ、それだけ。
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