サイコブラックの弟子<中編>


 さて。

 サンクトゥスの発売日。

 汐里が書いたであろう“こはく”の記事が、ちゃんと掲載されていた。

 彩夏は改めて、彼女が仕事に妥協しないタイプの人間である事を確信できた。

 ゆったりと眠るネコ達の姿の写真。

 彩夏が丹精込めて作った、イタリアンランチの写真。

 一番目立つ所に“こはく”と一目でわかる外観の写真が載っている。

 汐里はカメラマンとしても、編集者としても優秀なようだ。

 そうして、見出しに大きく、上品なフォント選びでこう書かれている。


 ――ネコカフェの現実 ~愛らしいネコ達の本当のきもちとは?~ ――


 文章全てを、丁寧に読み込む気は起きなかった。

 彩夏は、斜め読みをし、今後必要になりそうな要点だけをかいつまむ。

 本文は、例の動物愛護法改正の概要から始まる。

 そして、それをさり気なく擁護しつつ、ペットショップなどの生体販売の是非に軽く触れる。

 そうして、

 ――今後、環境省の措置次第では、ネコカフェにも改正法が適用される可能性があり、予断は許されない所だと考えます。

 真実・・、彩夏が口にした言葉を引用している。

 そうして、話の軸はネコカフェの業界に移る。

 汐里自身が自宅にネコを飼っている事実を交え、他、様々な事例からネコが自然体でいる事の素晴らしさを、さり気なく主張する。

 その後で、

 ――当店では、今居る八匹のネコが同じ時間に寝起き出来るよう、幼い頃から調整はしております。

 やはり、嘘偽りのない・・・・・・彩夏の言葉が引用される。

 ――その上で、ネコカフェと言う形態のビジネスを成立させねばなりません。

 どうやら、この“蓮池彩夏”という人物は、商魂たくましい女性のようだ。

 明日実というスタッフも増えた事だし、多少は見習わないといけないか? 彩夏はそれだけを考えた。

 そして“自然体で居られなかったネコちゃん達の末路”として、シンガポールのネコカフェで起きた、ネコの死亡事件を引用。

 国際派で、多角的な視野を持った記者だ。

 流石、サンクトゥスの数ページを任されているだけはある筆力と言えよう。

 その不吉なニュースの引用の後に“こはく”の控え室に言及。

 “疲れ切って”昼間も寝ているネコ達の画像に、効果的なキャプションが添えられる。

 ついでに、衛生面とネコの管理というネコカフェの二面性について述べたのち、彩夏の“手作り料理”の写真を載せている。

 一つとして“嘘”は交えず、真実の切り貼りによって、読み手の印象を操作するやり方。

 これは、

「典型的な、安ゴシップ誌の記事だな。

 いつからサンクトゥスは、マスゴミ・・・・になったんだろう」

 白井が、興味薄げに断じた。

「まあ、質問の内容から、予想はして居ました」

 と、彩夏は平然と言った。

「サンクトゥスは購読してたんだろう? なまじ正当なファンだった彩夏さんが、こんな記事が載る事を予想できたのか?」

「サンクトゥスだからこそ、効果的なのです。

 この雑誌の特長は、質の高い記事と信頼性にあります。

 裏を返せば、ディエス・イレ社と言う大手出版社が長年に渡って築き上げた信頼と言う物は、相当の効果を持つ筈です。

 人は、権威に判断を委ねる事も多いですから。

 だからもし、そのサンクトゥスで“思いのまま、恣意しい的な記事”を通せる権限を手に出来れば」

「普通は、こんな記事、通らない」

「松長さんが、ヒーローだとするなら?」

「可能だ」

 そう、ヒーロー結社の後ろ盾があれば、傷害を伴わない軽犯罪の類はやりやすくなる。

 サンクトゥスの編集部に結社が何らかの働きかけをすれば……違法改造マフラーを揉み消すよりは、楽に事が運ぶだろう。

 それに、この記事を載せた所でサンクトゥス自体に何らデメリットは無い。

 何故なら、サンクトゥスの信頼性は既に不動のものであるから、一億回に一回、嘘が混じっていたとしても、読者は自動的に“真実”だと受け取ってくれる。

 サイコブラックがこれまで頼ってきた、ヒーロー結社のコネが、今回“こはく”にそのまま跳ね返ってきた。

 これが、ヒーローを敵に回した場合の一つの結果だった。

「そうだった。松長も、ヒーローになっててもおかしくないような奴だった。忘れていたよ」

 今しがた思い出したらしい白井が、淡々と述べた。

「だから“師匠”だったんですね」

 彩夏もまた、冷然と述べた。

 要は――白井が自覚していたのかはともかくとして――松長汐里は、そういう方面・・・・・・で彼を師と仰いでいたのだ。

「不肖の弟子だ。これは、謙遜などではない。

 師、直々に引導を渡してやらないと」

 白井は、何ら感情を交えずに言ってのけた。

 ヒーローは、悪役が相手であっても他者を傷付けてはならない。

 当然、そのルールは汐里にも適用される。

 つまり、結社を利用すれば、

「松長は消せる相手だ」

 そう、白井は言っているのだ。

 仮にも恋人だった女を、消す――正確には“消させる”――と言う。

 眉ひとつ動かさずに。

 ――あなたは、猟奇殺人犯にもなれるはずだ。

 かつてサイコシルバーの言った言葉が、彩夏の脳裏をかすめる。

「しかしこうなるとわかっていて、どうして取材を受けた?

 僕には、余計なトラブルを増やしたようにしか見えないが」

 あくまでも“こはく”を護るヒーローとして、白井は問う。

「この程度の風評被害は、南郷さんの件で慣れて居ますから」

 汐里の書いた記事の末尾には、こう記されている。

 ――この問題の闇の深さは、本誌としても見過ごせないものがある。

 ――今後も取材を継続し、ネコ達に真の平和が訪れるまで、この問題を取り上げていきたいと思う。

 つまり。

 汐里は、マスメディアの強大な力で断続的に“こはく”を攻撃し続けるつもりだ。

 もう、彼女が直接“こはく”に訪れる必要も無い。

 一度、店主が取材を受けたと言う事実と、ある程度撮り溜めしてある素材画像を使えば、あと三回程度は記事が書けよう。

 そうすれば客の心象はもちろん、同業者の繋がりも危うくなる可能性はあった。

 ディエス・イレ社の権威は、誰もが知るところだ。

 インターネットに関心の薄い層であれば、当然、得られる情報もそこに絞られる。

 更新停止やコメント制限で、ある程度の対処が可能なブログとはわけが違う。

 ダメージ管理と先見性においては神懸かった能力を持つ彩夏が、そこを見落とすはずがない。

 その、白井の疑問を耳にするまでも無く、彩夏は静かに口を開く。

「それに答える前に。

 私から一つ、質問があります」

 あらかじめ、温めてきた問いを。

 彩夏はここで、ようやく口にする。

 一見してあっさりと。

 けれどそれは、長い間の熟慮があった上での発言。

「私が――護衛対象が希望すれば、サイコブラックの“こはく”護衛任務を取り止める事は出来ますよね?」

 事実上の、決別の言葉を、彩夏はついに音声化した。


「私の――“こはく”の護衛を、もう止めて下さい」


 当然のことだが、ヒーローが救済の押し売りをする事は出来ない。

 ヒーローとは、弱き者に望まれてこそ、その力を振るう権利が得られるものだから。

 ヒロインである彩夏に“もう助けないでくれ”と言われれば、サイコブラックは従うほかない。

 従わなくても、結社からペナルティがあるわけでもないが……護衛対象に望まれないヒーローには、もはや正義など無い。

 いよいよもって、サイコブラックには“こはく”を護る理由が無くなったという事だ。

「――そうか。やはり、サイコブラックが刺客に回る事を危惧しているんだな」

 そこは白井にもわかっていた。

 ヒーロー結社は別段、彼に彩夏の護衛をやめろとも、彩夏を倒せとも命じない。

 結社は、あくまでも現場に介入しない。

 彩夏を潜在的な危険人物だと判断したから、それを討伐する任務を汐里に斡旋した。

 そして、彩夏という女性が付け狙われているから、それを護る任務が他のヒーローにも斡旋されるのだろう。

 ヒーロー結社は、あくまでも公正中立でなければならない。

 サイコブラックが彩夏を護り続ければ、ただ単に、任務の競合する他ヒーローに狙われ続けるだけ。

 サイコブラックに、その理由は無い。

 そして、刺客に回る理由はある。彩夏は今や“悪役”だ。

 先の南郷との対決で、サイコブラックは彩夏を否定しなかった。

 全面的に彼女を擁護したとすら言える。

 だがそれは、サイコシルバーの言葉を借りるのならば、

 日本語が話せれば、発音可能なこと。

 これからの彩夏は、甘い感傷でスタッフを危険にさらすわけにはいかなかった。

「済みません。貴方の言う通りです」

 何ら弁明無く、彩夏は言ってのけた。

「何故、謝る? それは正しい判断だ」

 白井からは、ついぞ、幸福の増減が視えなかった。

 彼のこれまでの人生を思えば、それも仕方がない事だ。

 彩夏にとって白井とは、初めて出会う、“何を考えているのかわからない人物”だった。

 それは多分、まともな人間からすれば扱いづらい相手だろうけど。

 彩夏にとっては、唯一、自分が人間に戻れる相手だった。

 だからこそ、彩夏は――。

「僕が逆の立場でも、真っ先に考えた事だろうな」

 白井は席を立つと、少しの滞りもなく部屋を横切る。

「しかし、決め手は何だ?

 僕を切る事にした、直接の決め手」

 彼も、それだけは気になった。

 この前、何のわだかまりも無くピクニックに行ったばかりだ。

 それ以前に、例の工場での一件で、自分が“こはく”の全面的な味方である事はアピールできたつもりでいた。

 それ故に、あまりに急な勧告に感じられた。

「そうですね。強いて言えば。

 貴方が松長さんと再会したのは、先週、ここで彼女と会った時では無いですよね?

 その数日前に、別の場所で、貴方達は会っていたのでは?」

 思わぬ言葉で返されたが。

「何故、わかった?」

 汐里とは、確かに、こはくで取材の話が持ちかけられる二日前に再会していた。

「女の勘、と言う事にして下さい」

「……」

「そして、何故私があえて、取材を受けたかの理由ですが」

「松長が敵ヒーローである確証を掴む為か」

「はい。

 そして同時に、彼女と繋がっている貴方が、当店にとって危険である事を確信する為」

 どこまでも、体温の無い声で、宣言が下された。

「そうか。じゃあ、帰る」

 それだけを言い残して、白井は淡々と部屋を出た。

 一人残された彩夏は、顔色ひとつ変えず。

 何事も無かったかのように、残った事務仕事を片付け始める。

 ある意味で彼と彼女らしい、あっさりとした、シームレスな別離だった。

 ともすれば、五分後にはまた、白井が戻ってきそうな気がするほどに。

 だからこそ彩夏は。

 彼に身を引いて欲しかった。

 もし、彼が真実、彩夏の味方であったなら――むしろ、もう巻き込みたくなかった。

 流石の彼も、際限無くヒーローと敵対し続けて無事でいられるはずは無い。

 そして恐らく、彼はその引き際を自分で設定できない性格をしている……と思う。

 南郷愛次はまだ良い。先に述べたように、自分の身を守った上で、彩夏に協力してくれている。

 だが、白井には、はっきりとした形で別れを告げないと、自分が潰れる事も想像できないままに敵ヒーローと刺し違えかねない……と思う。

 サイコブラックについて……白井について考えるとき、いつも、確証の無い憶測にならざるを得なくなる。

 だから。

 自分が初めて、致命的な見誤りを犯したことに、

 彩夏は、全く気付いていない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る