第009話 サイコブラックの弟子<前編>
「まさか、
“こはく”のネコ部屋に入るや否や、彼女は快活な声で叫んだ。
師匠、と呼ばわれた先に居るのは、ミカを膝に乗せてまどろんでいた白井だ。
「やっぱり師匠だー。うわー、まさかここで会うなんて予想外っ!」
肩まで伸ばした茶髪を払うと、やや童顔な汐里の顔が露になった。
「なんだ、松長か」
浅い眠りを妨げられた白井は、起き抜けのネコのような不機嫌さで応じた。
この女への対応は、これくらいで良い。
「態度は相変わらずですねー。
こういう店に癒しを求めに来るような人間味があったのは意外ですが」
汐里は白井の隣に座ると、キツゴロウを膝の上に乗せて撫ではじめた。
“こはく”のネコは人慣れしているとはいえ、汐里の所作も手慣れたものだ。
長年、自宅で飼っているか、飼った経験があるのだろう。
キツゴロウは嫌がる風も無く、されるがままとなっている。
目を糸にし、温泉に浸かっているような顔をしている。
「白井さんのお知り合いですか?」
部屋に入ってきた彩夏が、二人に話しかけた。
その手にはデジタルカメラ。
南郷組の荒しが無くなったので、ブログとFacebookは再開していた。そのネタの収集だ。
「はいっ! わたし、白井師匠の弟子なんです!」
妙な事を口走りながら、汐里は名刺を取り出して彩夏に渡す。
「ディエス・イレ出版の、松長汐里と言います」
いささか突発的な名乗りに、彩夏もそつなく名刺を交換する。
「ディエス・イレ出版さんですか。
週刊サンクトゥスと、まちなか遊覧は購読させて頂いて居ります」
打てば響くような彩夏の言葉に、汐里は大袈裟に手を合わせ、
「わー、嬉しいな! サンクトゥスでは、わたしが記事を書いているんですよー」
汐里は、雑誌記者だった。
白井も、彼女の進路を風の噂では聞いていた。
まあ、適職ではあろう、とは思う。
「それでですね、今日お伺いしたのは、お仕事の事なんです」
名刺交換が終わると、汐里はまた着席。
キツゴロウを器用に構いながら、顔だけで彩夏に言う。
「県内でネコカフェって、ここを入れて二ヶ所しか無いじゃないですか?
是非、このお店を取材させて欲しいんですが」
それを聞いた彩夏の瞳が、僅かに細まる。
どちらかと言えば、サンクトゥスはビジネス誌という色合いが強い。
同社の“まちなか遊覧”の取材であれば、ネコと料理の写真が載って、それに一通りのコメントが付く形で終わるだろう。
しかしサンクトゥスの場合は、彩夏の経営姿勢や現場の実態など、コアな方面での取材が行われる筈だ。
「承知しました。是非、お受けさせて頂きます」
彩夏は、色よく返答して見せた。
「やったー! ありがとうございます!
師匠のお陰で仕事が取れたよー!」
合意が得られるや否や、汐里は態度を崩し、手放しで喜んだ。
「僕、単に横でミカを撫でてただけだけど?」
「細かい事はどうでもいいんです! 師匠ありがとー!」
彼女の中の幸福が、にわかに膨れ上がったのを、彩夏は確かに見ていた。
汐里と、取材の打ち合わせを済ませてから、彩夏は事務所へと戻った。
ネコ部屋から出た白井が、メロンソーダを飲みながら座っていた。
「取材、結局いつになるって?」
開口一番、白井が言う。
「次の金曜日に」
彩夏も、必要最低限度の返答だ。
淡々と自分のデスクへ向かうと、ノートパソコンの前に腰を下ろす。
「あいつの書いてる雑誌がサンクトゥスだったのは意外だった。
僕には、ネコカフェに居るのがおかしいみたいな事を言ってきたけど、あっちも大概だ」
彩夏は、無駄なく事務作業に入る。
諸々の決済や、書類作成など、仕事は山のようにある。
流れるようなタイプ音が、事務所の中を駆け巡る。
「松長さんとは、お親しい様ですね」
仕事の手を少しも止めず、彩夏は白井に応対した。
「大学でサークルの後輩だった。活動種目は、
松長と僕は一時期、付き合ってたけど、そのうち自然消滅して今に至る」
「
彩夏はまず、ブログの更新作業に入った。
デジカメをノートパソコンにつないで、撮りたての画像を手早くコピー&ペースト。
「しかし、師匠と言う呼称が独特でしたね。何か、由来が?」
アップロード画面へログイン。
画像をアップロードし、あらかじめ考えておいたコメントをスラスラと打ち込む。
「それが、僕にもよくわからない。他の先輩に対しては、普通に“○○先輩”だったけど」
「成る程」
今日のネコちゃんルームは、比較的静かでした。
昨日の夜に大運動会をしていたので、おねむなのかもしれません。
特にワッフルは、クッションから一歩も動きませんでした。
顔までクッションに埋もれていましたけど、息苦しくないのかといつも不思議に思います。
夜にはみんな、復活すると思います。
ネコちゃんたちと、わいわい遊びたいという方は今夜が狙い目かも?
――更新完了。
無造作に打ち捨てられたファーマフラーのような姿のワッフルと、白井の膝上で人間のような座り方(スコ座り)をしているミカの画像を使った。
一応、部屋全体を見渡す写真も追加しておこう。
ネコは皆、寝てしまっているが、本文に合った画像も欲しい。
「今も、仲はよろしいのですね」
どこか、念を押すような彩夏の問い。
白井はその機微に気付いたのかどうか。
「町中で会って、邪険にしない程度にはね」
「広義に解釈出来る話ですね」
彩加は、そのままシフト表やあれこれの書類作成にかかった。
金曜日がやってきた。
汐里はまず、ネコ部屋を一通り撮影する。
またも、前日に大運動会を繰り広げたネコ達は、今は思い思いの場所で伸びていて、動きの少ない写真しか撮れそうにないが。
次に、自分の昼食を兼ねているのか、料理の写真も一枚撮影。
燻製豚肉と白菜のペペロンチーノパスタ。
自家製バジルソースのカプレーゼ。
ジャガイモ、パプリカ、エリンギのスープ。
エスプレッソ。
本日のランチは、イタリアンをテーマにした。
動物と食品と言う、商売の上では相反する要素を持つのがネコカフェでもある。
その為、簡単なドリンクバーのみで“カフェ”の体裁を保ちつつ、ネコとの触れ合いのみに特化する事で、食品関係のトラブルを避けようとする店も多い。
その点“こはく”は(流石に数量限定となるが)彩夏の、妥協のない手作り料理にも定評があった。
ランチをほくほく顔で平らげる汐里の幸せそうな顔を眺めながら、彩夏はすでに、取材の大まかな受け答えを構築していた。
そして、今回のメイン。事務所でのインタビューの時が来た。
「えーっと。ネコちゃんたちの可愛い姿と店主手作りの本格イタリアン。とても、堪能させてもらいました!
ネコちゃんルームから大パノラマで見下ろす景色も、とてもステキでした。
県内にネコカフェは、ここ“こはく”さんを含めて二軒しかないということで、わたくしども“サンクトゥス”としても、貴重な取材をさせていただけました。
本当にありがとうございます」
いささか長い前置きから始まった。
「こうした“こはく”さんの魅力は、ぜひぜひ、当記事で書かせていただきたいと思います」
「有り難う御座います」
「とまあ、楽しんでばかりいると、わたしも上司に怒られちゃいますんで、そろそろ本題に移りますね」
汐里の顔つきが、プロのそれに変わったのを、彩夏は確かに見た。
飄々としているように見えて、メリハリは利かせる主義のようだ。
「さて、正直な所を言いますと、今回の記事は“こはく”さんを取材すると言うよりは、昨今のネコカフェの業界事情を紹介する為のものです」
「ええ、存じて居ります」
彩夏は、フラットに応えた。
汐里のした、この情報の後出しのしかたは、経営者によっては不服を覚える事もあるだろう。
しかし、彩夏は、最初から彼女の本心を察した上で、これを受けたのだ。
日頃“消費者としては知名度があるが、経営面では案外知られていない”業界。
そんな、手の届かぬ痒い所の情報をクローズアップするのが、サンクトゥスの常套手法。
その分、雑誌の質としては信頼はおけるのだが……、……。
「“こはく”さんの営業時間は、二二時までとなっていますね。
昼ごろまでかなーと思ってたら、結構遅くまで営業されていて、わたし、意外でした。
二〇一二年の動物愛護法の改正で、二〇時以降の動物の展示・販売が禁止された事で、やりにくくなった所があると思われますが」
「ネコカフェという形態においては、愛護法が適用されてしまえば苦しくなると言うのが、経営者としての本音ではあります。
現状、ネコの自由が確保された空間で、尚且つ、一歳以上のネコのみを取り扱う事で二二時までの営業が許可されて居ますが……これは経過措置です。
今後、環境省の措置次第では、ネコカフェにも改正法が適用される可能性があり、予断は許されない所だと考えます」
喋りつつも、彩夏は自分の発した言葉をリアルタイムで吟味している。
まあ、こんな所だろうと、今の所思っている。
「丁寧な説明、ありがとうございます。
わたしもにわか仕込みで勉強してきたのですが、蓮池さんに全部丸投げすればよかったですね」
人懐っこそうにはにかみ、汐里は、
「この件に関しては、やはり賛否両論があったと思われます。
愛護法は結局のところ、わたしたち人間の都合です。
ネコちゃん達の気持ちこそが、一番大事だというのが、動物を愛する人すべての本音だと思います。
それについて、蓮池さんの見解はいかがでしょうか?」
「ネコの生活サイクルは、当然ですが我々人間とは異なります。
そして、育った環境次第で、個体差も大きく出ます。
ネコは基本的に夜行性と言われますが、イエネコとして人間と共生するネコは、当然ながら人間の寝起きに合わせて生活して居ます。
私達人間も、必要に応じて昼夜の生活を逆転させるケースがあるのと同様に。
当店では、今居る八匹のネコが同じ時間に寝起き出来るよう、幼い頃から調整はしております。
私達の使命は、彼等彼女等が自然体で過ごせる様に配慮する事だと考えます。
その上で、ネコカフェと言う形態のビジネスを成立させねばなりません」
玉虫色の返答をするなら、こんな所だろう。
「なるほど。やはり、生き物を扱う業界のむずかしさ、と言うのはネコカフェも例外では無いという事ですね。
所で、それに関連して素朴な疑問があるのですが。
“こはく”さんのネコちゃんたちは、閉店後はどうなさっているのですか?」
「当店には、閉店時のネコが生活する為の控え室が御座います。
病気などの問題が無い限りは、その部屋がネコ達の生活スペースとなりますね」
「へえぇー。
てっきり、店長さんや従業員さん達が、家に連れ帰るものと思っていたので、これまた意外です」
「ネコは、自分の生活圏や行動範囲を明確に決める生き物です。
つまり、急激な環境の変化に強いストレスを覚えるのです。
その為、彼等彼女等にとっての家は、ここと言う事になります。
私も開業当初は、極力、目の届く場所に置きたかったので自宅へ連れ帰った事もありますが……
飼いネコを病院へ連れて行く事に難儀する、と言う相談もお客様から良く受けますが……これも同様の理由からです」
「なるほどー。確かに“ネコは家につく”とは言いますからね」
純真無垢な関心を露わにしてから、汐里は慇懃に頭を下げた。
「取材協力、ありがとうございました。
また一つ、わたし達の知らなかった業界の事がわかりました。
きっと、世の経営者さんたちの為になる記事が書けると思います」
そんなこんなで、サンクトゥスの取材は終わった。
彩夏としては、別段、売り上げを伸ばしたい野心は無いので、飾らない言葉をそのまま述べただけだ。
それでも、汐里は、とても幸福そうに店を後にした。
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