偽りのヒーロー<後編>

 それでも。

 それでも、サイコシルバーは。

 彩夏が未だに自分の危険性を理解しきっていないようなので、講釈を続けるしかない。

 どこか、諦めながらも。

「それですよ、蓮池さん。

 それこそが、あなたが結社に能動的な危険視を受けるに至った理由です。

 あなたは、物事を“幸福かそうでないか”でしか、処理しない」

「そのようですね」

「あなたは、自分や他人の幸福を、肉眼で数値化出来る才覚をもって生まれてきた。

 いかなるメカニズムかはわかりませんが、その精度は、あなたに深く関わった全ての人が知る所でしょう」

 時に相手の意思を無視する、サイコシルバーの“独善”と違い、彩夏のそれは、本人も知らないような“真の幸福”を正確に検知してのける。 

「そして人間とは、当たり前ですが、基本的に自分や親しい人間の幸福を追求する事で、大半の行動原理を決めている。

 俺が、自分が最も幸福を得られるように、あなたと結婚したかったように。

 けれど。

 あなたのそれは、他の人々と同じように見えて、実は大きく違っていた。

 あなたにはその自覚が無く、ごく普通に暮らしているように感じられるのでしょうが」

 彩夏は、小さく頷いた。

 だからこそ、四人のスタッフが、彩夏の為に死ぬとまで考えていた事を、ついに見抜けなかったのだ。

「失礼を承知で言わせて下さい。

 あなたは言わば“幸福実現マシーン”なんだ。

 俺達凡人は、相手の幸福とは何かを、手探りで読み取らなければならない。

 そして、大半はそれを見誤ります。

 俺があなたの、“こはく”への想いの深さを体感出来なかったように。

 人は互いを思いやるあまりに失敗を重ね、そこから擦り合わせをし、その果てに自分の周囲に残ってくれた人々と歩んでいく。

 言わば、アナログに出来ているんです。

 対するあなたは、デジタルに人の幸福を処理出来てしまう。

 そして、人間が社会動物である為に備えた機能の一つ“優しさ”も人一倍に精密なあなたは、深く関わった者全てに、最適な演算から得られた最適解を与えてしまう」

「誰もが幸福になれるのであれば、それは素晴らしい事なのでは?」

 白井が、心底、サイコシルバーの意図がわからなくて尋ねた。

「同時にそれは、関わった人間の“悩み”を奪い去る、残酷な事でもあるのですよ。

 白井さん、あなた、自分の幸せを常に実現してくれる機械を手に入れたら、それを手放せますか?」

「手放せない。

 と言うより、手放す理由が見つからない」

「そういう事です。

 結果、そこには強い“依存”が生じてしまう。

 ヒーロー結社に認定される程の、凄まじい価値観の変動がね」

 その結果が、

 サイコターコイズ。

 サイコトパーズ。

 サイコガーネット。

 サイコウォーターメロン。

 そして。

「蓮池さんは、そうして際限なくヒーロー資格者に値する“狂人”を生み続ける。

 それも、狙って共鳴者を増やしているだけなら、まだ程度は知れた。せいぜい、論じられるとしても、カルト集団止まりの問題だ。

 蓮池さんのもっとも危険な所は……全く打算も自覚も無く、ただ生きて居るだけでそうなる、という事にあるんです」

 ――そんな彩夏さんだから、皆、何があっても見捨てなかったんだ。

 誰もが、そう虚しく心の中で唱えた。

 だが、それを上回る使命感で黙殺した銀色のアンチヒーローは、口上を止めない。

「ねえ蓮池さん?

 俺があなたとの結婚で、子供を望んでいたら、自分に避妊手術をするつもりでいたでしょう?」

 彩夏は、静かにうなずいた。

「あなたは、他人を幸福へと導くと共に、自分の幸福度も高い数値を保とうとする人なんだ。

 あなたは、自己犠牲によって他者だけを幸福にする聖人などでは無い。

 そして、あなた自身は、自分の店のネコに避妊手術を施す事を不幸な事だと認識している。

 生殖機能を絶つことは不幸度の高い事だと認識しながら、ただ単に、俺への断り文句として能率が良いというだけの事で、自分が子供をつくる器官を殺そうとした。

 それはつまり。

 あなたは、子を持つのと等価の喜びを“他の事”ですでに見出していたんだ。

 だからあなたにとっての卵管とは、盲腸と等価にまで価値を落としていた。

 別段あっても良いが、無い方がいい時は切り捨ててしまえるほどに。

 その生殖の喜びとは、そちらの四人をスタッフに迎えた事。

 あなたは、人々にとって母として、姉として、時には恋人の性質も帯びつつ……けれど、それらのどの既成概念にも当てはまらない第三の存在となった。

 スタッフ達と、お客さん達と、あなた自身の幸福がそこにある以上、あなたはその生殖行為をやめる事は無い。

 あの“こはく”という閉ざされた空間の中でね」

 フン、と鼻を鳴らしたのはサイコトパーズ=松任那美まっとうなみだった。

「ならさ、なおさら放っとけよ。

 あたしらが、いつアンタらに迷惑かけたよ?

 アンタがいちいち引き合いに出した無差別殺人犯みたいに、自分から何かしたのかよ?

 ただ“こはく”に人生捧げんのが一番の道だと思ったから、自分の意思でやってきただけだ。

 嫌々でも会社の為に人生捧げてる社畜なんて、世の中ごまんといるよ?

 それにさ。

 たかだか一軒のネコカフェに、どれだけの人間が入れると思ってるわけ?

 東京ドーム一個分、サイコシリーズが増えた所で、何も出来るわけがない」

 そこへ彩夏が、

「那美ちゃん。東京ドーム一個を埋め尽くすほどのサイコシリーズが変身出来るほど、(知名度の高い)宝石の名前は無いと思う。

 後、流石にそんな人件費、私が一生分働いて逆立ちしても出せません。

 今後出るとしても、精々が二号店か三号店まででしょう」

 場違いな事を口走る。

 どうやら、そこは一応主張しておきたいポイントらしい。

「それに、ヒーロー結社も、流石にどこかでストップをかけるんじゃないですか?」

 次に話を引き継いだのは、サイコターコイズ=新堂直子しんどうすなおこだ。

「そういう“狂人”を管理している組織が、際限なくヒーロースーツを与えるとは考えづらいです。

 もし、彩夏さんと深く関わった全員がヒーロースーツを手に入れてしまえば、それこそ、警戒している相手にみすみす私兵を与えるようなものです。

 ヒーロー同士の潰し合いをさせたいのなら、その戦力を一ヶ所に集中させるような事は、私が結社の人間なら絶対にしません」

 だから、“こはく”という狭い世界の中で、平和に暮らしたいだけなんです。

 それくらいの事は見逃してください。

 そう、懇願を含めて、直子は訴えたが。

 サイコシルバーは、ただ頭を振っただけだ。

「あなたがた“今のこはくメンバー”だけならば、何の問題も無いでしょう。

 もちろん結社も、機械的にヒーロー資格者全員を認定し、スーツを与えているわけではない。時と場合によっては、認定を見送る事もある。

 それはあなたの言う通りだ、新堂さん。

 けど、今後、蓮池さんが導く全ての人間の意思が全く同じだと、あなたは確証を持って言えますか?」

 直子は、言葉に詰まった。

「それは……」

 幸福の定義は、千差万別。

 誰かの幸福が、誰かの不幸となる事もある。

 彩夏の視点は、あくまでも“こはく”という小さな世界に固定されている。

 直子達・今のスタッフと幸福が競合する相手を、そもそも招き入れようとはすまい。

 だが。

 幸福の定義は時間の経過や、外的な刺激によって、流動的に変質する事もある。

 直子自身がこの先、“こはく”の保全の為に極端な行動を起こさない自信が……一〇〇パーセントは無い。

「今日、あなた達がこうして駆け付けた事さえ、蓮池さんには予測できない事だった。

 彼女は、あなた達従業員を危険に晒さず、なおかつ、自分が危険に飛び込む事だけで白井さん救出を図ろうとしていた。

 もし彼女に、あなた達を駒として利用するだけの冷徹さがあったなら、確実に白井さんを救えたのに」

 彩夏が出来るのは、対症療法だけ。

 そして、その時点でわかっている“最も幸福な選択肢”を提示する事だけ。

 その先の先に、劇的な変化が待って居た場合、彼女には対処しきれない。

 彼女は、予言者では無いのだから。

「ヒーロー結社が真に危惧しているのは。

 いずれ蓮池さんを中心として人々が団結し、ネズミ算式に勢力を増した場合の事です。

 そこにヒーロー資格者の有無など、もはや関係ない。

 せいぜいが三号店まで? 確かに、直接的な店舗関係者は二〇人にも満たないでしょう。

 しかし、その二〇人未満を中心として、ヒーローになり得る資質の人間が蓮池さんと言う強烈な依存対象の下に集ったなら。

 そして、蓮池さん自身がその全てをコントロールできないとしたら」

 そう。ブレーンの容積など、体全体の割合からすれば極めて少ないものだ。

「ヒーロー結社が蓮池彩夏に下した評価。

 狂気属性“教祖” 危険レベル:判定保留。

 危険すぎて、結社の誰もジャッジに責任を持てなかった、という意味です」

 ――教祖とは、また。

 未だ手を戒められ、跪いたままの白井が、脳裏で皮肉に反芻した。

「あなたの性質が良い方向に働けば、あるいは、仏陀やイエスのように人類を新たな概念に導きうるかもしれない。

 でも、仏陀やイエスの築き上げた物さえも、後世では無数に枝分かれして行ったほどだ。

 もしも反対に、あなたに感化された人々が道を誤れば……理論上、国家転覆レベルの狂信集団を作りかねない。

 数軒のネコ喫茶従業員を中枢として、その客が過激派となる事でね。

 少なくとも、この日本の秩序が終わる可能性すら、あなたの中にはあるのです」

 ――えらく壮大な話に発展したなー。

 白井は、ぼんやりと感想を脳裏に浮かべた。

 だが、即時否定できないのも確かだ。

 物事の改革とは、こうした途方も無く阿呆な所から広がっていくものなのだろう。

 ヒーローの実在を知った時から、白井が肝に銘じていた事ではある。

 その上で、

「それで、サイコシルバー? 貴様は結局、何が言いたい。

 今、貴様が挙げた事実の中に、一つでも彩夏さんや“こはく”が責められるいわれはあったか?

 全てが、仮定の域を出ない言いがかりじゃないか」

 この発言に、彩夏を庇う意図は無い。

 白井には、他人からの善意をいちいち選別する、いわゆる「余計なお節介」という概念が全く理解できないのだ。

 自分にプラスの事なら、素直に受けとれば良い。

 とても単純な事なのに。

「……ひとたび大事が起きてしまえば、それでは済まされなくなります」

「仮に、貴様の言う最悪の事態が起きたとしても、だ。

 人々の幸せを第一に考えてきた彼女の、どこが悪なんだ?

 その結果、まわりまわって一部の連中が増長して、テロに走ろうが何をしようが――僕には関係ないし、彩夏さんにも関係の無い事だ。

 それで不幸に陥る奴らは、単に個々の危機感が足りなかっただけの事。

 誰しも自分の道を自分で選べる以上、責任は自分で負うものだろう?

 元より、巻き込まれる者の気持ちを全て共感する事も、人間には不可能だ。

 もしその全てを彩夏さん一人に押し付けるのであれば……それは、今の世の中で言われている“政治家のせいで自分は苦しい”という論法と、何が違う?

 だったら“こはく”から派生した次の世代の世界も、今と本質的にはそう変わりないという事では無いか?」

 もっとも、こんな暴論はどうでも良かった。

「いや、ここで貴様を責めるのは筋違いだ。

 要は貴様が言いたいのは、ヒーロー結社がそう考えているよって事だろう?」

 サイコシルバーの無機質なヘルメットが、少し俯いたように見えた。

 最後の悪あがきで抗弁を続けたように思えてその実――サイコシルバーはもう、説得を諦めていたのだ。

 これ以上、貴男が不幸にならないで。

 彩夏の懇願は、銀色のヒーローの心に、痛い程染みわたっていた。

 こうなった以上、事の重大さだけは、本人たちに知ってもらいたくて。

「ヒーロー結社が俺達を監視している以上、今回のやり取りも全て筒抜けだと考えて良いでしょう。

 俺は多分、これ以上、蓮池さんを止める任務を続ける事は出来ない」

 それが意味する事はつまり、

「今後は、蓮池さんになど何の思い入れも無いヒーローが、俺のかわりにやって来る。

 中には、結社が“爆弾”として処理してしまいたい、危険なヒーローも居るでしょう。

 蓮池さん。あなたは、恒久的に、ヒーロー結社を敵に回しているのです。

 あなたがあなたで在り続ける以上、戦いに終わりは無い。

 今後あなたがたは、ヒーローに敵対する“悪役”として処断される事となる」

 彩夏は、薄い胸に手を当てて、諦めたように瞳を閉ざして見せた。

 そこへ、

「それは、正義に属する者として許せん事だな」

 白井が宣言する。

「罪のない女性や店を脅かす輩は、それがたとえヒーローの総本山であろうと、僕が許さない」

 相変わらず、本末転倒を体現したかのような口ぶりで。

 くすり、と。

 彩夏の口許が、小さな笑みを描いた。

 けれど、そこに寂しそうな色が混ざっている事に、この場の何人が気づいたろう?

 ――大きな幸福とは、裏を返せば――。

 サイコシルバーもまた、ヘルメットの下から確かに笑った気配がした。

「ここまで説明してダメなら、完全に俺の負けですね。

 南郷組は今をもって、蓮池さんと“こはく”の事をすっぱりと諦める事にします。

 俺自身の、あなたに対する想いも、ここで」

 銀色のヒーローは、天を仰いだ。

 そこに見えるのは、無機質な鉄の梁ばかりだが。

「それにもう、今の俺に蓮池さんを止める資格は無いのですよ」

「――何?」

 怪訝に眉を顰める白井。

 全てを見通すような面差しを変えない彩夏。

「こんな言い方をすると、この場の女性陣全員から顰蹙ひんしゅくを買いそうですが。

 俺、実は、あなた以外に護りたいと思う人が出来たのです」

 ……。

 …………。

「は? 何それ!?」

「うっわ、この期に及んでそれ?」

「散々、私達を脅かしておいて、彩夏さん以外の人が好きになりました!?」

 アンチヒーローの予想通り、非難の声は、被害者である“こはく”スタッフから挙がった。

「い、いえ、正確に言えば”出来た”と言うより“気付いた”と言うか」

「うーわ、うーわ、あり得ない。最低。店への攻撃とか抜きにしても、男として最底辺」

 無機質なメットに覆われた顔が、心底申し訳なさそうな苦笑を浮かべたのを、彩夏達は確かに感じた。

「本当に申し訳ありません……。元々、蓮池さんとの恋は実らない物と覚悟していましたが……いざ、その人が好きだったと気付いてしまうと……。

 これまで、あなたのお店に与えてきた損害については、誠心誠意、謝罪と償いをさせていただきます。

 だから、どうかお許しください」

 さて、当の彩夏は、と言えば。

 やはり、涼しげで母性溢れるあの笑顔を浮かべて、小首を傾げた。

「良かった……本当に。

 貴男が正しい相手に想いを向けられる事を、私は凄く願って居ました。

 正直、肝を冷やす思いだったんですよ?」

 こちらもまた、負けず劣らず。

「思えば。

 蓮池さん。あなたは去年の時点で、俺がこの結論に至るとわかっていたのでは無いですか?」

 彩夏は、肯定も否定もしなかった。

「それでも、あなたを好きになった事実は、俺の中で大事な宝石であり続けるでしょう。

 これからも、ずっと。

 だから、無事に生き抜いて下さい」

 そうして。

 蓮池彩夏――ネコカフェ“こはく”と南郷組との確執は、ここに幕を下ろした。

 だが。

 真に平和を取り戻したわけではない。

 サイコシルバーは、去り際に、

 もう一度だけ、彩夏と白井を振り返った。




 午前は急遽きゅうきょ半休してしまい、お客様がたに迷惑をかけてしまった。

 けれど、昼過ぎからはどうにか店を再開する事ができた。

「ご利用、ありがとうございました」

 新米スタッフの明日実が、若い女性客の支払いを対応している。

 何だかんだで、この店でのアルバイト歴も長かったので、ほとんど何も教える必要が無かった。

「あの、すみません」

 帰ろうとした女性客を、明日実が突然呼び止めた。

 少し、怯えたようにして振り返った客に対し、

「確か、同じ予備校でしたよね? わたし、この前辞めた、築浪明日実って言うんですけど、知ってますか?」

「ぁ……」

 その客の声は、弱々しく掠れていて、聞き取りにくかったが。

「前原あおいさんですよね?」

 陰気そうに黒髪を伸ばした葵は、小さく頷いた。

「同門のよしみです。

 今度休みが合った時、どこか遊びにいきませんか?

 なんなら、わたしも客として来て、ここでネコちゃんたちと遊ぶのもいいですよ」

 さて、客との私語を店主の面前で堂々とやってのける豪胆さも、頼もしい限りだが。

 彩夏は優しく微笑むと、見なかった事にしてきびすを返す。

 白井の失踪や、従業員の明日実の事も差し迫った心配事ではあったけど……。

 前原葵。

 彩夏が最近、最も危うく感じていたのは、彼女のことだった。

 けれど、もう彩夏がその心配をする必要はないようだ。

 あとは、明日実をきっかけに、自然と陽の当たる場所へと出られる事だろう。

 葵をスカウトするつもりは無い。

 彼女は、店の外でこそ、真の幸福が得られると、彩夏店主は確信していたからだ。

 そうして彩夏は“こはく”で最も奥まった場所、事務所へと姿を消した。


 机を挟んで彩夏と向かい合うのは、珍しくばつの悪そうな顔をした白井である。

「酷いですね。私を餌にして、サイコシルバーを釣るなんて」

 彩夏が、メガネを外して、疲れたような面差しで言う。

「正義のヒーローにあるまじき行為です。何か、弁解はありますか」

 糾弾する言葉とは裏腹、声音には珍しく拗ねたような色が含まれていた。

「……何も無い。

 彩夏さんと“こはく”を護る為に、彩夏さんを餌にするのが最も確実で、早期決着を狙うのが最終的な被害が少ないと思った、から……その」

 語尾は口ごもりがちで、頼りないものだった。

 その論理は相変わらずとして。

 目の前の女を怒らせる事がどれだけ恐ろしい事かは、彼も身に染みていた。

 多分それは、サイコシルバーに“人間ロボット”と謗られた人格にすら備わった、原初的な危険察知能力。

「もういいです。そんなこと、わかってました。ええ。

 わたしは今回も、あなたに感謝しないといけない立場ですよ」

 彼女が頬を膨らませたように見えたのは、白井の都合の良い幻視だろうか。

 “そういうふくれっ面をしている女は、本当は言う程怒っていない”という、希望的観測が見せた、幻覚だったのだろうか。

「良いですか? 次はありませんからね」

 再びメガネをかけると、彩夏は、きっと白井を見据えた。

 挑むように。

「サイコオニキスはね、引退したんですよ。

 二十歳はたちも過ぎて魔法のステッキ持って魔女っ子だなんて名乗るのがどれだけ恥ずかしい事か、男である貴方にはわからないでしょうけど」

 どうも、怒りのポイントは、騙された事よりもそこにあるらしい。

「私の変身は今回限りです。次は何があっても助けに行きませんからね。

 軽々しく、私の変身を当てにしないで下さい」

 けれども。

 まあ、助ける側に立つ事で、ヒーローを助けるヒーローの気持ちをリアルに感じられた事は、彼女にとっては実は収穫だった。

 相手の気持ちが理解出来れば、それを受ける時の気持ちもより、リアルな質感を持とうと言うものだ。

 攻守交代。

 攻める側の心理を経験してこそ、受ける際の心構えが進化する事もあろう。

 今後は更なる高揚感を持って、助けられる事が出来るかもしれない。


 今後、ヒーローに・・・・・助けられる・・・・・事があったなら・・・・・・・


「ああ……当然だ。

 あなたに変身されると、僕の存在意義がなくなってしまうようだからね。

 それにもう、こりごりだ」

 取り調べ室と化した“こはく”事務所だったが……。

 いつしかヒーローとヒロインは、お互いに穏やかな笑みを交わしていた。




【次回予告】

 かくしてサイコブラックは“こはく”を南郷組から護り抜いた。

 だが、南郷もまた、ヒーローの断罪から彩夏を護る為にそうしていたに過ぎない。

 その庇護を自ら破った彩夏。

 束の間の平和に彼女が提案したのは、昼下がりのささやかなピクニック。

 これが最後の平和になるかも知れないと、彩夏はどこかで予感していたのかもしれない。

 

 次回・第008話「彩られた夏の日」


 ……私達はただ、皆と同じように生きてきただけ。

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