第008話 彩られた夏の日<前編>
雨がのし掛かる梅雨は気付けば霧散していて、夏がやってきた。
新緑に彩られた、夏の始まり。
雨期の間は色褪せて見えた景色。
霧雨の
こはくのネコ部屋から望む大パノラマからも、夏の到来が見てとれた。
「ミカちゃーん。ミカちゃーん、こっち来てぇ~」
猫なで声でそう言い放っているのは、
すっかり、常連客として復帰した様子である。
耳折れ種・スコティッシュフォールドのミカに媚びへつらい、自分の膝上へと招いている。
「どうしたの~? おもちゃ、あるよ~、おもちゃ~。
おやつもありますよ~? 俺のこと忘れた~?」
だが、ミカはそっぽを向いて、南郷を相手にしない。
「今まで店にされた事、ミカも覚えてんじゃないの」
那美が、聞こえよがしに呟く。
「こらっ、那美ちゃん」
「ふん!」
彩夏が咎めると、那美は今しがたミカのしたように、そっぽを向いてみせた。
まあ、本気でキレた時の那美を思えば、これくらいは可愛いものだ。
と、彩夏店主は知っている。
一応は、彼女なりのアプローチで、南郷を受け入れ直そうとしているのだろう。
過去の事で憎い、というよりは、どう接すれば良いのか戸惑っていると言った所か。
それを尻目に聴いている南郷も、理解してくれている事だろう。
ミカに振られてしょんぼりしている南郷の膝に、純白のペルシャ・ミルクが飛び乗った。
そこを寝床に定めたと言う態度で、くつろぎ出した。
「み、み、ミルクちゃん!
君は何て優しいんだ。まさしく天使だ。
その白い毛並みは、天使の羽毛に違いない」
感極まった南郷の賛辞など聞く素振りも見せず、ミルクは彼に頬ずりをした。
「ああミルクちゃん、俺たちの仲は、親子兄弟友人恋人師弟のどれよりも尊い……」
ネコの頬ずりは“所持品”に対する所有権の主張とも言われるが、彼はそれを知ってか知らずか、いとしい我が子をあやしているつもりでいる。
「南郷様? 店内でのキモい発言はつつしんでください」
と、那美。
その様子を眺めている彩夏は、くすりと一つ、微笑んだ。
南郷と、元通りの関係に戻れて幸せだ。
この姿こそが、彼の正体。
サイコシルバーなんかじゃなくて、性格に少しだけ難のある、ネコに骨抜きにされる男。
大きな流れの中で、一度はいがみ合った仲。
それを、理由が無くなってからも憎み続けるのは、不幸な事だ。
彩夏は、当たり前のようにそう考えていた。
同じ人物と同じ時間、憎しみを共有するよりは、楽しみを共有した方が生産的である、と。
それに今は。
この平和を、少しでも味わっておきたかった。
最後に何があっても、せめて、笑って思い返せる幸福を。
今のうちに、胸一杯に蓄えたかった。
そして、何があっても自分の側を
「今の所は、変わりありませんか?」
会計の時、南郷が彩夏にささやいた。
数日前まで嫌がらせの首謀者だった自分がそんな事を言えた義理も無い事は、承知の上で。
「今週一週間、何事もありませんでした。
南郷さんのお陰もあると思います」
「俺のお陰……とは、いったい何の事でしょう」
他のスタッフは全く気付いていないようだが、
南郷が、組の人間をさりげなく“こはく”の警備につけてくれている事は、彩夏だけが見抜いていた。
「まあ、私の気の
ただ、ヒーローが本当に行動を起こした時には、南郷の組員の守りなど、ほとんど意味を為さないだろうと、南郷は承知している。
彼らは結果的に、サイコブラック一人を突破出来なかったのだから。
これが、常人の限界だ。
「組として結社と衝突するわけにはいきませんが……
ここで遠慮して拒めば、彼の幸福度はかえって低下してしまう。
それに、心配しなくとも、南郷自身はちゃんと自分の身の安全を確保した上で動いてくれるだろう。
彼には今や、護るべき者がいる。
「有難う御座います」
だから、ただ慇懃に礼を述べた。
人の好意は、素直に受け取るものだ。
心苦しければ、別の形で返礼すれば良いのだ。
それが、蓮池彩夏と言う幸福測定マシーンのルーチンだった。
臨時休業を取って、ピクニックに行きましょう。
ある日彩夏は、そう言った。
意図を図りかねた白井を除いて、スタッフ四人は二つ返事で賛同した。
彼女らも、わかっているのだろう。
店主が感じている、漠然とした予感に。
いや。
ヒーローとなった者であれば、ヒーロー結社にマークされる事がどういう事かは、嫌と言うほどわかる事だ。
「ピクニックか。大人数で行動するが故に、弁当の品目も自然、多種になる事が期待できるわけだ」
約一名、この場でただ一人の男を除いて、のようだが。
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