第31話 天使に出会う
「あ~ああ」
今日も暇だった。でも、やはり、時間だけは腐るほどあった。
昨日みんみさんに会い、一瞬元気が出たが、狭い段ボールでできたテントの中にいると、何とも言えないうつうつとした気分がまた容赦なく襲って来た。惨めで絶望的な出口のない深い闇の霧の中で迷子になっている子供みたいな不安に、頭がおかしくなりそうだった。
だから、僕は今日も起きると直ぐテントの外に出て、ぶらぶらと、日課になりつつある意味のない散歩を始めていた。
テント村は相変わらず、小汚いおっさんたちの蠢きで彩られていた。相も変わらず何をしているのか、どうやって生きているのか、おっさんたちは鈍い機械のように辺りをもそもそと動き回っている。
「ん?」
その時、僕は小汚いおっさんたちの中に、何かはっきりとした異質なものを見た。僕は目を凝らしそれを注視した。最初ははっきりしない姿だったものが、頭の中でそれは次第に像を結び、形になり認識され始めた。
「あっ」
それは少女だった。しかも可憐な少女だった。
「なぜ、あんな子がこんなとこに・・」
この場に似つかわしくない、というか、ここにいてはいけない質の少女だった。
「・・・」
多分まだ十代半ばから後半くらいだろう。しかし、その少女は同世代の子とは何か違った、その少女独特のかわいらしさを持っていた。ふわふわと顔全体が丸く、目もその周辺ごと膨らむように丸く、卵豆腐のようにもろくきめの細かいあいまいな輪郭の肌。それを日本人形のような質の良い黒い髪が、その丸さにふわっと沿うように自然に流れ、その儚い曖昧な存在に輪郭を与え、現生にとどめていた。それは、どこかはっきりと掴むことのできないかわいらしさなのだが、しかし、それははっきりと人の心を打つものだった。
「ホームレス支援か何かしている人なのか・・」
僕は漠然とそんなことを思った。少女はホームレスの人たちと以前からの知り合いのように自然と会話をしている。
その少女はどこまでも、大人しく静かに沈んでいた。人間としての泥臭い生気を感じない。しかし、それでいてほのかに不思議な穏やかさと温かさを漂わせていた。その少女の醸している不思議な気品というか、無垢な美しさというか、そんな独特の雰囲気に僕は魅入られた。
と、その時、ホームレスのおっちゃんと話をしていた少女が笑った。
「ああ・・・」
僕の口から声にならない声が漏れた。その笑顔は、まるで淡い光りに輝く天使を見るようだった。僕の心は一瞬でその笑顔に溶かされていった。心の平衡がとろとろにとろけて、僕は僕の形を失っていった。
「あの子は、一体何者なんだ・・」
そんな思考だけが頭の片隅にボーっと流れていた。僕は時間も経つのも忘れて、その謎の少女に見惚れた。
「どうしたんだ。ボケーっとして」
「あっ、ああ?」
僕は突然、背後から声を掛けられ、間抜けた面の自分に返った。
「ああ、インテリさん」
振り返ると、インテリさんだった。
「どうしたんだ。ボケーっとして」
インテリさんが不思議そうな顔で僕を見ている。どうやら、かなり長いこと、呆けていたらしい。
「いや、あの・・」
僕は、まだ頭が半分呆けたまま、またあの少女を見つめた。
「ああ、あの子か」
「知ってるんですか」
「ああ」
インテリさんはなんてことないみたいに言った。
「誰なんですか」
「クリスチャンだよ」
「クリスチャン?」
僕には何のことかさっぱり分からない。
「ほら、この町の片隅に教会があったろう」
「ああ」
僕は、この町に来る途中にあったボロボロの教会を思い出した。
「あそこの娘さ」
「そうだったんですか!」
僕はもう一度、少女の横顔を見つめた。
「あそこに住んでいたのか」
「どうしたんだ?」
インテリさんが僕の顔をもう一度覗き込む。
「い、いえ、何でもありません」
「まあ、奉仕活動兼、布教活動ってとこだな。この辺にもよく来てるよ」
インテリさんも少女を見つめた。
「・・・」
僕の頭の中に、真っ白なベールに包みこまれた彼女の天使のように光り輝く美しい、祈る姿が浮かんだ。
「どうしたんだ。本当に大丈夫か」
気付くとまたインテリさんが僕の顔を覗き込んでいた。僕はまた呆けていたらしい。
「えっ、ああ、大丈夫ですよ。はははっ」
そう誤魔化しながら、僕はその視線から逃げるように、インテリさんに背を向け自分のテントへとその場を去った。そんな僕の後姿をインテリさんは首を傾げながら不思議そうに見つめていた。
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