第28話 また集ういつものメンバー

 まだ日が残った夕刻時、次の日も、僕はママの店の暖簾をくぐった。

「あの・・」

 僕には金が無かった。

「いいよ。ツケで」

 ママはそんな僕を見透かしたように呆れて言った。

「ほんとすみません。お金が出来たらすぐに払います」

 しかし、金のあてなど全くなかった。働く気力すら失っていた。それを見透かした上で、それでもママはツケにしてくれているのだろう。

「・・・」

 僕は黙って以前と同じ席に座った。恥ずかしかったが、僕はそんなママに甘えた。 

「なんだか死んじまいそうな面だな」

 ママが、僕を仁王像のようにぎろりと睨むように見下ろした。

「まだ悩んでんのかよ。まあ、この町じゃ自殺なんて珍しくないけどな」

「・・・」

 僕は黙ってうつむいていた。先に来て、飲んでいた情報屋の源さんが、物珍しそうにそんな僕を見つめる。

「そういえば、こないだも橋の下で人が死んでたよ。多分ありゃ自殺だね」

 源さんが得意げにしゃべり始めた。

「もう体が三倍ぐらいに膨れ上がっちゃってさ。見られたもんじゃなかったよ。あれは酷いね。水死体はほんと酷いよ。それに臭いの臭くないのってさ」

「・・・」

 僕は自分の体が三倍に膨れ上がって、死んでいるさまを想像した。

「そうそう、こないだもさ、そこの公園でさ、首吊り。目がさ、飛び出ちゃってさ。やだね。ああいうの見るのは」

 源さんは、そう言って顔をしかめつつ、調子に乗って更にしゃべり続ける。

「首なんかすごく伸びちゃってさ、また臭いんだよ。糞尿垂れ流すんだよね。首吊りはさ」

「・・・」

 僕は、自分が首を吊り、目が飛び出して死んで、首が伸び、糞尿を垂れ流している様を想像した。

「それにこないだも・・」

 源さんは、僕のことなどおかまいなしに、まだまだしゃべり続ける。

「まっ、食え。腹が減ってると碌なこと考えねぇんだよ」

 その時、僕の前にママの焼きそばが置かれた。

「ありがとうございます」

 僕は源さんの話を振り払うように、すきっ腹に、ママの焼きそばをかっこんだ。今日はなんとなく朝から食欲がなく一日何も食べていなかった。

「ママの焼きそばうまいっす」

 やっぱり、ママの焼きそばはうまかった。

「おいおい、泣くことねぇだろ」

 僕は、気づかずに涙を流していた。

「そうそう、こないだも・・」

 源さんの話は一人まだ続いていた。

「おうっ」

 その時、誰かに突然肩を叩かれ、驚いて僕は振り向いた。

「あっ、やっさん」

「おうっ、元気か青年」

「は、はい」

 やっさんのあのなんともいえない人好きのする明るい笑顔が僕を見下ろしていた。そんなやっさんの笑顔を見ていると、不思議と気分が明るくなっていった。

「なんだ青年。元気がないな」

 そう言って、やっさんは源さんとの間に入るように、僕の右隣りの席に座った。そこでやっと源さんは話すのをやめ、一人酒に戻った。

「どうしたんや」

「はあ」

「前からずっと、こんななんだよ」

 ママがやっさんの前にビール瓶を置いた。

「まあ、一杯」

 やっさんはビール瓶を僕に向けた。

「ありがとうございます」

「落ち込んだ時は酒だ。酒だよ」

「はい」

「酒飲んでみんな忘れちまいな」

 そう言ってやっさんは、やさしい笑顔で僕を見た。

「・・・」

 そんなやっさんのやさしさが心に染みるようにうれしかった。

「こんにちは」

 その時、また、誰かが暖簾をくぐって来た。

「あっ、ももちゃん」

 振り返ると、ももちゃんだった。

「こんにちは、もうこんばんは、かな」

 ももちゃんは、少し照れ笑いを浮かべながらそのまま僕たちの方にやって来た。

「ここいいですか」

「うん」

 ももちゃんは、学校帰りであろうその小さな体を、僕の左隣りに席に落ち着けた。

「私、焼きそば下さい」

 ももちゃんが言った。

「はいよ」

「こんばんは」

 その時、また、誰かがママの店の暖簾をくぐった。

「あっ、みんみさん」

 何気に振り返ると、みんみさんのあの美しい丸い笑顔があった。

「みんみさん・・」

 僕は、久々に見るみんみさんのその美しさにやはり見惚れた。

「みんみさん・・、素敵です」

 ガンッ

「いったぁ」

「胸を見て言うんじゃない」

 またママにお玉で殴られた。しかし、みんみさんの胸は、まるでまっ平らな砂漠に浮かぶ半球体の芸術作品のように、今日も立派過ぎるほどの存在感を誇っていた。

「久しぶり」

 みんみさんが僕を見て、小さく手を振ってくれた。

「僕のことを覚えていてくれたんだ」

 僕は感動して、全身が痺れた。

「みんみさん・・」

「こんなバカほっといていいんだよ」

 ママが冷たく言う。

「酷いなぁママ」

 僕は少し怒り口調で言った。そんな僕を見て、みんみさんは笑っていた。みんみさんのそんなとても大らかなやさしさに、僕は更に感動した。

「今日はお一人なんですか」

「うん、焼きそばテイクアウトしようと思って」

「手抜き主婦だな」

 ママが、いじわるそうに微笑んだ。

「もう、やめてよ。そういう言い方」

 それに笑顔でみんみさんが答える。

「口が悪いんですよ。ママは」

「さっきまで死にそうな面してたのに、これだもんな」

 ママが僕を見て呆れた。

「何か悩みごと」

「ええ・・」

「いいんだよ。こんな奴ほっといて。やさしくするとつけあがるから」

「はははっ」

 ママの物言いにみんみさんは笑った。

「僕は鬱かもしれません」

「お前がそんな上等な病気になるか」

「酷いなぁ。ママ。僕だって鬱になりますよ。なんにもやる気が起こらないんです。最初は一生懸命働こうと思ったんですけど、それすらがもうないんです」

「お前のはただの怠けだ」

「そんなぁ」

「酒飲む元気はあるんだろ」

「うううっ、それは」

 そんな僕とママのやり取りを見て、みんみさんは笑っていた。その笑顔がまた何ともかわいらしく、僕は堪らなく感動的に癒された。

「はいよ。お待たせ」

 手早くあっという間に、ママの焼きそばが出来上がると、ももちゃんの前に、そしてテイクアウト用の焼きそばがみんみさんに手渡された。

「それじゃ」

 みんみさんは焼きそばを受け取ると、みんなに笑顔で手を振り帰って行った。

「みんみさん・・」

 僕はみんみさんの去った入り口を見つめたまま、ため息をついた。みんみさんがそこに存在した淡い残り香に、僕はいつまでも浸っていたかった。

「ほんとに、お前は、現金な奴だな。さっきまで黙って死にそうな面してたくせに」

 そんな僕にママは呆れてため息をつく。

「あっ、インテリさん」

 そこにみんみさんと入れ替わるように、今度はインテリさんが店に入って来た。

「おっ、みんな揃ってるな」

 インテリさんは一しきり席を見渡すと、ももちゃんの隣りの席に座った。

「焼きそばおかわり」

 その時、突然、ももちゃんが口に入れるだけ思いっきり焼きそばを詰め込んだまま大声で言った。なんだか怒っているみたいだった。

「どうしたの?っていうか焼きそば食べるの早っ」

「私腹が立つとお腹が空くんです」

「えっ?」

 なんかももちゃんは怒っていた。

「えっ、なんか怒ってない・・」

「お前はほんと生粋のバカだな」

 ママが僕を睨みつけるように見る。

「?」

 僕には何が何やら分からなかった。

「ほんとにバカだよお前は」

 ママが呆れる。

「???」

 僕には訳が分からなかった。

「はははっ」

 そんな僕たちのやり取りを見て、インテリさんとやっさんは笑っていた。

「???」

 僕は増々訳が分からなかった。

「とろころで今日は早いんだな」

 ママが焼きそばを作り始めながら、ももちゃんに言った。

「はい、やっとテストが終わったんです」

「ほらな、世間はみんな忙しく自分のやるべきことをやってるんだよ」

 ママが僕を見た。

「そんなプレッシャーかけられたら、よけい落ち込むじゃないですか」

「どうしたの」

 インテリさんがママを見る。

「怠け者が、落ち込んでんだよ」

「やだなぁその言い方。僕だって悩んで・・」

「悩んでねぇで、働けよ。この町出てくんだろ」

「うううっ」

 正論だった。全くのどストレートな正論だった。

「誠さん、生活保護申請してみたらどうですか」

 ももちゃんが突然僕を見た。

「生活保護?何それ」

「お金がない人に国が支援してくれる制度です」

「えっ、そんな制度があるの」

「ありますよ。月十二万円くらいくれるはずです」

「そんなに」

 それなら、すぐにでもこの町から出られる。

「さすが法学部だね」

 僕は感心してしまった。

「いえ、これはみんな知っていることですよ」

「えっ、そうなの。ママ知ってました?」

「当たり前だろ」

「えっ」

「そんなの常識だろ」

 常識だったのか・・。僕はそれすら知らなかった。

「この町にも生活保護受けてる奴はいっぱいいるぞ」

「そうなんですか。知ってました?」

 僕はやっさんとインテリさんを見た。二人は笑っていた。源さんまでが笑っている。

「みんな知ってたんだ・・」

 僕は自分の世間知らずを知った。

「ももちゃんはやさしいな。こんなバカのために、ちゃんとアドバイスまでしてくれるんだからな」

「バカバカって、ほんと口が悪いな。ママは。っていうかなんで僕がバカなんですか」

「ほんとバカだよ」

 ママが吐き捨てるように言うと、やっさんとインテリさんが笑った。

「まあまあ、飲みな。青年」

 そんな僕にやっさんはやさしくビールをついでくれた。

「早速明日、役所に行ってみよう」

「私も一緒に行きます」

「えっ、ほんと」

「うん、テスト終わったんで、ちょっと時間あるんです。それに社会勉強になるし」

「ほんといい子だな」

 ママが僕を睨む。

「なんで、僕を睨むんですか」

「お前がバカだからだよ」

「だからなんなんですか」

 僕には訳が分からなかった。

「しかし、そんな素晴らしい制度があるなんて・・、なんて素晴らしいんだ日本」

 思わぬところから希望が湧きだし、僕は感動し、興奮した。

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