第27話 医者とヤクザ

「いらっしゃい」

 夕方になると、僕はふらふらとママの店の暖簾をくぐっていた。

「どうしたんだよ。しけた面して」

 カウンターの向こうからママが僕を見る。

「ええ、まあ・・」

 僕はそのまま、以前座った正面の席に黙って座った。

「焼きそばだな」

「はい」

 僕が注文する前に、ママはもう分かっていた。

「ほらっ」

 僕の前にビールが置かれた。

「これもだろ」

「はい、ありがとうございます」

 なんだか全てを見透かされているみたいだった。

 店には、以前源さんが座っていた席に、小汚いじいさんが座っているだけだった。白髪交じりの短髪に、丸めがね、小柄な体躯、着古してよれたズボンにジャケット、見るからに冴えないじいさんという体だった。しかし、その姿はこのカオス化した店の雰囲気に妙に馴染んでいた。

「わっ」

 ふと右奥を見ると、以前と同じく店の右端の席によっちゃんもいた。やはり上下紺色のセーラー服にそのずんぐりむっくりな巨漢を包んでいる。よっちゃんは僕を見つめ、にっこりと笑顔であの不器用な両目ウィンクを僕に送った。僕はすぐに視線を反らし、ビールを手酌でコップに注いだ。

「!」

 ビールを飲みながら、何気なく左を向いた時だった。カウンターの一番端の席にジャージを着た男が一人、静かに飲んでいることに僕は気づいた。

「・・・」

 存在感が影のようで、僕が店に入ってから全く気付かなかった。その男はなんとなく、普通の人とは違うオーラを発していた。それはどことなく薄気味悪いような怖い感じがした。

「ほらっ」

 ママの焼きそばが僕の前に置かれた。ホカホカとおいしそうな湯気が立ち上り、それは黄金色に輝いていた。僕はすぐに割り箸に手を伸ばした。

「うまい」

 やっぱりママの焼きそばはうまかった。僕は全てを忘れ、夢中で食べた。

「何悩んでんだよ」

 ママの声に僕は顔を上げた。

「・・・」

「一人で悩んでてもしょうがねぇだろう」

 ママは、タバコに火を付けると、その煙を勢いよく吐き出した。

「・・、この町から出られない・・」

「この町にずっといるあたしたちはどうなるんだよ」

「・・・」

 確かにそうだった。

「でも・・、僕は・・」

「自分は特別か?」

「いえ、そういうわけでは・・」

 ママはまたタバコを深く吸うと、ため息を吐くようにその煙を吐き出した。

「この町も昔は活気があったんだぜ」

 ママが意味ありげに僕を見た。

「今はちょっとしけてるけどな」

 そう言って、ママは少し笑った。

「昔は地方から来た労働者が、町いっぱいに溢れてな。みんな希望に胸膨らませて、目をキラキラ輝かせて、そして、一生懸命働くんだ。朝から晩まで、汗水たらしてな。金稼いで、一旗揚げるぞって。夢をそれぞれ抱えてな」

「そして、夜になると、みんなで酒を飲むんだ。朝までな。宵越しの金は持たない。稼いだ金はみんな使っちゃう。無くなったらまた稼ぐ。その繰り返し。みんな若かった。私も若かった」

 ママは昔を懐かしむように、遠くを見つめた。

「でも、楽しかったなぁ。あの頃は。働けば働くほど生活がよくなった。どんどんどんどんよくなった。みんな相変わらず貧乏だったけど、なんか希望があったんだよ。あの頃は」

「・・・」

「この国の高度成長を支えたのはこの町なんだよ。この町の労働者が一生懸命働いたから、今の日本はあるんだ。この町の労働者一人一人が一生懸命身を粉にして働いたから、この国は発展したんだ」

「・・・」

「いくら頭のいい奴が、いろいろ考えて計画したって、実際に体使う奴がいなかったら、何もできやしないんだ。城を建てたのは殿様じゃない。大工なんだよ」

 ママは僕を見下ろすように見た。

「・・・」

「それなのに、もういらなくなったからって、みんな置き去り。今じゃヤクザにいいように使われて、奴隷労働。酷いもんさ」

「おい、おい」

 その時、カウンター席の一番左端に座っていたあのジャージの男が口を開いた。口元には苦笑いが浮かんでいる。よく見ると、テカテカにオールバックにしたその下のきれいに日焼けした男の顔は、するどく苦み走ったいい男だった。しかし、その眼光は、どこかゾクッとするような、何とも冷たい凶暴さを宿していた。

「あらっ、ごめんなさい」

 ママが自分の口に手を当ておどけたようにその男に、笑顔を向ける。男も笑って、コップに残ったビールを飲み干すと、立ち上がった。

「ごちそうさん」

 男はそう言って、ジャージのポケットから裸の札束を取り出すと、その中から一万円札を何枚か抜き出してママに渡した。

「いつもいつも、ありがとうございます」

 ママが頭を下げると、男はお釣りを受け取ることもなくそのままママに背を向けた。男は僕の後ろを通り過ぎて行くので、僕も男に会釈した。だが、その男は完全に僕を無視して、ママに背中越しにさっそうと片手を上げると、そのまま店を出て行った。

「・・・」

 なんなんだ。あの男は・・。なんかやはり毛色の違う人だ。

「あの人はヤクザよ」

 男が店から出て行くと、僕のそんな表情にママが言った。

「えっ!」

 僕はもう一度、男の去って行った入り口を振り返った。当然だが、男の姿はもう暖簾の向こうに消えていた。

「この辺を仕切っている組の一つ。その親分よ」

 そうだったのか!何か雰囲気が違うとは思ったが・・。僕は生まれて初めて本物のヤクザを見た。

「まあ、でも、ほんと、酷いもんだよ。今のこの町は」

 その時、突然、あの小柄で小汚いじいさんが声を発した。

「実際、ヤクザが支配してるみたいなもんだ」

 じいさんはその人の好さそうな目で、ママを見上げた。

「荒んだよ。この町は。昔はもっと人情があった」

 じいさんはコップ酒を煽ると一人呟いた。その姿はどこか少し寂しそうに見えた。


 焼きそばも食べ終わり、僕はそろそろ帰ろうかと立ち上がった。

「あっ」

 お金がない。僕はお金がないことを思い出した。

「いいよ」

 ママが言った。

「えっ、なんで?」

「アキラさんからもらってるから」

「えっ、アキラさんって、あのヤクザの・・」

「そう」

 ママはうなづいた。

「僕もおあいそ」

 小汚いじいさんもそう言って立ち上がった。

「ああ、先生もいいのよ」

「僕は払うよ。ヤクザは嫌いでね」

 じいさんは、くしゃくしゃの小汚い千円札をポケットから出してママに渡した。そしてそのままひょうひょうと店の暖簾をくぐって去って行った。

「あの人はお医者さんだよ」

 僕がその後姿を追いかけているとママが言った。

「えっ、あの小汚い人が?」

「小汚い言うな。そこら辺の医者なんかより、何倍も何倍も立派な人なんだ」

 ママは少し真剣に怒った口調で言った。

「・・・」

 僕にはただの小汚いじいさんにしか見えなかった。

「貧しい人からは金も取らない、どんな人にも分け隔てなく診察する。誰も来たがらないこんな町で一人、みんなのために働いてくれてるんだ。ほんと、神様みたいな人だよ」

「・・・」

 そうだったのか・・。 僕はなんだかまた、この町の違った一面を見た気がした。

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