第22話 ももちゃん

 ガラガラガラッ

 その時、再び、ガラス戸が開き、そこにまた新しいお客が入って来た。それは若い女の子だった。

「あっ、あの広場で見かけた子だ」

 インテリさんと歩いていた時に見かけた、広場にいたバカでかいメガネをかけた学生だという女の子だった。

「やあ、ももちゃん」

 やっさんがその子に声を掛ける。

「あっ、お久しぶりです」

 女の子もやっさんに気付きあいさつをする。やはりここではみんな顔見知りらしい。源さんにも、その子は会釈した。そしてよっちゃんにも。

「ここ、座り」

 やっさんは自分の隣りの席を指して言った。

「はい」

 ももちゃんと呼ばれた子は、素直にやっさんの隣りに座った。

「どうや、一杯」

 やっさんがビールを勧める。

「いえ、私は」

 ももちゃんは、はっきりと断った。どうやらものすごくまじめな子らしい。

「相変わらず、勉強忙しいんだろ」

 カウンターの向こうから、ママが尋ねた。

「もう課題課題でバカみたいです」

 本当に大学行ってるんだ。ホームレスで・・。僕はももちゃんをまじまじと見た。年は僕より少し下くらいなのだろうが、背が小さく、少し童顔なのでもっと下に見える。しかし、どこか凛とした落ち着きと、内に秘めた覚悟のようなものがあり、雰囲気は大人びて見えた。

「私、焼きそばください」

「はいよ」

 ママが愛想よく答える。

「ほんとに、バイトだって忙しいのに」

 ももちゃんはため息交じりに少し怒りを込め、呟くように言った。

「今、なにやってんの」

 やっさんが尋ねる。

「ええと、家庭教師と居酒屋と新聞配達と・・」

「ほうっ、そら、すごいな」

 やっさんが目を丸くして感心する。

「またバイト増やしたんじゃないの」

 ママが鉄板の上に焼きそばの玉を落としながら、心配そうに言った。

「はいっ、だからめっちゃ眠いですよ。今日だって二時起きですよ」

「そんだけ働いて、ホームレスなんか」

「だって、学費高いんだもん」

「金借りたらええやんか。あるんやろそういうの。奨学金とかなんとか」

「借りてます。それでも足りないんですよ。もうほんと嫌になっちゃう」

「借りてんのかいな。そら大変やな」

 やっさんも驚いている。

「家庭教師で私の教えてる子なんか、ものすごくお金持ちで、大学合格したら車買ってもらうって言ってるんですよ。スポーツカー。何百万もするやつ。もう、不公平ですよ。世の中」

 ももちゃんはそのかわいい薄いピンク色の唇を尖らせた。

「ははははっ、まあ、世の中そんなもんや」

 やっさんは笑いながら言った。

「大学の同級生にも、親に全部学費出してもらって、仕送りまでしてもらって毎日遊び歩いてる子とかいるんですよ」

「ははははっ、そうか、そら、むかつくな」

「でしょ」

「そういえばあんたも学生やったな」

 やっさんが急に僕の方に振り返った。

「えっ、ええ、まあ」

 ももちゃんがその時、初めて僕の存在に気づき、僕を見た。

「この子もホームレスや」

「そうなんですか」

 ももちゃんは少し驚き、そして、僕を見る目が少し親近感をもったように見えた。

「あんたも苦労しとるな」

「え、ええ、まあ」

 しかし、僕は親に学費を出してもらい、しかも、大学に行っていない・・。僕は、やっさんの向こうから僕を見つめるももちゃんの視線から、逃げるように目を反らした。

「私も苦労したな」

 その時、みんみさんが僕の背後から僕たちの話に入って来た。

「あっ、みんみさん」

 ももちゃんが少し体をカウンター寄りに動かし、僕の向こうのみんみさんを見た。やはり、ここの人たちはみんな顔見知りらしい。

「私も看護学校行ったけど、母子家庭でしょ。大変だったわ」

「そうだったんですか」

 ももちゃんが、相槌を打つ。

「一日一食とか、ほんと根性だったわ」

 みんみさんは昔を懐かしむように言った。こんなに美しいみんみさんが、そんな苦労を・・。僕はなんだか堪らない気持ちになった。

「みんな苦労したんですね。なんだか私も勇気が出てきました」

「そう、良かった」

 みんみさんが笑顔で言った。

「俺は今でも苦労しとるけどな」

 やっさんが笑いながらそう言うと、その場は、一斉に笑いに包まれた。

「みんみさんは苦労しちゃいけません」

 その時、その笑いを突き破るように僕の叫び声が店いっぱいに響いた。全員が驚いて僕を一斉に見上げた。僕は気付くと、一人力強く立ち上がっていた。僕は、みんみさんが苦労している姿を想像したら、なんだか堪らなくなってしまった。

「お前、何言ってんだよ」

 ママが鉄板から上がる湯気の向こうから僕に突っ込む。

「みんみさんが苦労するなんて、僕は耐えられません」

「お前が耐えられないからなんなんだよ」

 ママがさらに突っ込む。

「青年だいぶ酔っぱらっとるな」

 やっさんが、僕をフォローするように言った。

「違います、僕は・・、真剣に」

 ももちゃんは「何だこいつ」といった目で僕を見ている。みんみさんはそんな僕を見上げて、おかしそうに笑っていた。

 ふと見ると、みんみさんの隣りの席に座っているみんみんさんの旦那は、我関せずといった体で、いつの間に頼んだのか、グラスに入った冷酒をちびちびやりながら、冷ややっこを静かにつまんでいる。

「・・・」

 僕はその姿に、怒りともつかない憎しみを感じた。こんな奴が、こんな奴が。みんみさんを・・。

「はいっ、お待たせ」

 ママがそんな僕を無視して、ももちゃんの前に熱々の焼きそばを置いた。

「あっ、ありがとうございます」

 ももちゃんは目を輝かせて焼きそばを見つめた。

「・・・」

 やり場のなくなった僕は力なく、自分の席にゆっくりと再び座った。

「はいっ、いつものね」

「あっ、ありがとうございます」

 そして、すぐに焼きそばの横にみそ汁が置かれた。

「やっぱり焼きそばにはみそ汁ですよね」

「そうか?」

 ママは首を傾げていた。ももちゃんはいつも頼むのだろう。

「変わってるな。君は」

 やっさんが隣りから、みそ汁と焼きそばを交互に見つめながら言った。

「そうですか」

 ももちゃんは周囲の意見などどこ吹く風で、熱々のママの焼きそばをふーふー言いながら食べ始めた。

「うん、おいしい」

 ももちゃんは、至福の表情で感嘆と感動の入り混じった声を出した。

「はい」

 すると今度は、ママがみそ汁の横に特大の徳用マヨネーズチューブを置いた。それをももちゃんはうれしそうに手に取ると、ドバドバと焼きそばの上にかけ始めた。

「ほんと分らんは今の若い子は」

 その光景を見つめながら腕を組んでママは呟いた。

「マイチューブです」

 ももちゃんは嬉しそうに言う。

「それあんたのかいな」

「はい、ママに頼んで置いてもらってるんです」

 そう言いながら、ももちゃんはマヨネーズのたっぷり絡まった焼きそばを口に入れた。

「うん、おいしい。やっぱ、焼きそばにはマヨネーズですよね」

 ももちゃんはそう言って、幸せそうな顔をやっさんに向けた。

「う、うん、まあな」

 さすがにそのマヨネーズの量にやっさんも引いていた。

「・・・」

 やっぱりなんか変わった子だ。僕はそんなももちゃんをやっさんと一緒に、ちょっと引き気味に見つめた。

「あんたも、はよ狭い部屋でもアパートに住めるようになったらな」

「そうだよ。この辺なんか安い部屋あるんだからさ」

 ママもやっさんに同調するように言った。

「その辺は源さんがなんとでもするし」

 ママがそう言うと、一人静かに飲んでいた源さんが顔を上げた。

「ああ、いくらでもあるぞ。そんな部屋」

「う~ん、でも、私、ここ気に入ってるんです。ホームレスも結構楽しいし」

 焼きそばをおいしそうに頬張りながら、ももちゃんは平然と言った。

「ほうか。ははははっ、やっぱあんたは変わっとるな」

 それを聞いて、やっさんは豪快に笑った。ママは呆れ顔だ。

「・・・」

 楽しい?僕は驚きを通り越して、頭がくらくらしていた。楽しい?ホームレスが?

 僕はももちゃんを、もう一度まじまじと見つめた。ももちゃんは焼きそばを幸せそうに食べている。

「・・・」

 しっかりしているように見えるけど、相当変わった子らしい・・。

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