第21話 みんみさん

「まっ、青年一杯」

 その時、やっさんが僕にビール瓶を持って傾けた。

「あっ、ありがとうございます」

 僕は慌ててやっさんの方に向き直り、ママを見た。ママはしょうがないわね、というように、新しいコップを僕の前に置いた。僕はそれを手に持ち、やっさんにビールを注いでもらった。

「改めて、乾杯」

 やっさんがそう言うと、僕もやっさんのコップに、自分のコップを近づけた。

「ぷはぁ~、やっぱうまい」

 一気に煽ったビールは、肉体労働で疲労した体に染み渡った。

「うまいか、青年」

 やっさんは嬉しそうに僕に訊いた。

「はい、体に染み渡ります」

「よしっ、もう一杯や」

 そう言って、やっさんはまたビールを注いでくれた。

「ありがとうございます」

 その時、僕は、食べかけの焼きそばを思い出し、また食べ始めた。

「うまい」

 やっぱりママの焼きそばはうまかった。そして、また僕は夢中でママの焼きそばを食べ始めた。

「みんみちゃん、ひさしぶり」

 やっさんが、僕越しに、ちょっと顔をずらしてみんみさんに声をかけた。

「ああ、久しぶり~」

 やっさんに気付くと、みんみさんは顔を輝かせ、嬉しそうに両手で手を振った。

「あっ、源さんもいる」

 みんみさんはその向こうの源さんにも手を振った。源さんは「やあっ」と少し照れた笑顔で手を挙げた。

「よっちゃ~ん」

 よっちゃんにも、みんみさんは愛想よく手を振った。よっちゃんは、顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに照れていた。どうやら、この店の人たちはみんな顔見知りらしかった。

「この人はやっさんの知り合いの方?」

 一通りあいさつすると、みんみさんは僕を見て、やっさんに尋ねた。

「うん、今日知り合ったんだ。仕事でね」

 みんみさんの美しい瞳が僕を捉える。僕はそれだけでドギマギしてしまった。

「へぇ~、学生さん?」

 みんみさんが、小首を傾げ、僕を覗き込むように見る。

「えっ、ええ、まあ」

 ホームレスとは言えなかった。

「あっ、私も焼きそば。久しぶりに食べたくなっちゃった」

 みんみさんは、僕の食べてる焼きそばに気付くと、ママを見た。

「ママの焼きそばはほんとおいしいもんね」

「その割には、ほんと、ご無沙汰だったじゃな~い」

 ママは少しおどけるように、少し怒った口調で言った。

「ほんとごめ~ん」

 みんみさんは顔の前で手を合わせた。みんみさんの笑顔で謝るその姿はそれだけでかわいかった。

「仕事忙しいんかい」

 やっさんがみんみさんに訊いた。

「うん、夜勤続きでね。人手が足りないのよ~」

「そうか、そりゃ大変やな」

「大変よもう、ほんと過労死しそう」

「夜勤?」

 僕は首を傾げた。

「みんみちゃんは、看護師をしているのよ」

 カウンターの向こうからママが言った。

「へぇ~」

 僕はみんみさんを見た。そして、みんみさんのナース姿を思い浮かべた。

「すばらしい」

 僕は感動した。

「何がすばらしいんだよ」

 ママがいぶかしげな顔で僕を睨む。

「まっ、もう一杯」

「あ、ありがとうございます」

 そこでまたやっさんがビールを注いでくれた。僕は、仕事終わりの心地良い疲労感と共に、だんだんいい感じで酔っ払ってきた。

「ところで、お父さんですか?」

 僕は、さっきから気になっていた、みんみさんの隣りの男性を見た。

 ガンッ

「痛ったぁ」

 ママにまた殴られた。今度はヘラだ。

「???」

 しかし、なぜ、僕は殴られたのか分からなかった。

「まったく、また洗わなきゃいけないじゃない」

 ママがぶつぶつ言いながら、新しいヘラを棚の引き出しから出した。だったら、殴らなければいいじゃないかと思ったが、それはなんか怖くて言えなかった。

「旦那よ」

 ママが怖い顔で言った。

「えっ!」

 僕はまじまじと男性とみんみさんを見比べた。

 ガンッ

「痛ったぁ~」

 また殴られた。

「そんなジロジロ見るんじゃない」

 しかし、これが見ずにいられようか。どう見ても親子、もしくは下手すると、みんみさんは童顔なだけにじいさんと孫にまで見える。

「・・・」

 いろんなショックが僕の頭の中を駆け巡った。

「旦那がいなくたってあんたには無理よ」

 再び新しいヘラを取り出すママのそんな言葉でさえ、今の僕には何も響かなかった。

「・・・」

 僕は呆然と、みんみさんの向こうの席で静かに座る初老の男性を見た。

「ふふふっ」

 みんみさんはそんな僕をおかしそうに見つめていた。

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