第5話 段ボール


 辺りはもう日が暮れ始め、薄暗くなっていた。ぽつぽつと広場に点在する街灯の明かりがほの白く辺りを照らし出す。

「リフォームしろとか言ってたな。あの海苔野郎」

 お前のだと言われた、公園に生える木の枝などに紐を括り付け張ったビニールシートだけの簡素なテントを改めて僕は見つめた。テントと呼ぶにはあまりに簡素で、というか雑で、当然、このままでは人が住めたものじゃない。

 僕は周囲を見回した。確かに隣りや周囲のテントは、段ボールやビニールシート、板切れを工夫し、それぞれ独自の材料とやり方できれいに壁や入口を形作っている。

「そうかなるほど」

 僕は海苔男の言っていたことの意味が分かり、ビニールシートの下に背負っていたリュックを置くと、とりあえず家の材料になりそうな物を探しに歩き出した。

 広場以外に広く、そしてテントの数も木の陰に隠れて見えなかったものまで以外に多かった。

「・・・」

 広場の中央では、やはりしきりに巨大な焚火が燃え続けている。日が暮れ、その紅蓮の炎が暗闇に浮かび上がるようにはっきりと形作られると、その迫力は更に増した。焚火事態何年振りかに見た僕はしばし、その炎の幻想と迫力に見入った。


 再び歩き出した僕は、すぐに広場の片隅の薄暗い通路の脇に畳んだ段ボールが積まれているのを発見した。

「やった。早速ゲット」

 僕はすかさず上から何枚か取り始めた。

「結構都合よくあるもんだな」

 その時だった。

「コラッ、何しやがる」

 すぐ背後でものすごい怒鳴り声が聞こえたと同時に振り返ると、真っ黒に日焼けした皮膚に深い皴の刻まれた白髪短髪の元テキヤみたいな爺さんがものすごい形相でこっちへ走って来てるところだった。

「うわあっ」

 僕は慌てて段ボールをほっぽりだし逃げた。どうやらあの爺さんの集めて置いておいたものらしかった。世の中そんなに都合よくは出来ていなかった。

「このやろう。ふてぇ野郎だ」

 それでも爺さんはその短い足を高速回転させ、ものすごい勢いで追いかけてくる。

「まてぇ、この野郎」

 もちろん待つわけはない。僕は必死で逃げた。


「はあ、はあ、なんだよ。段ボール一つでそんなに怒らなくていいだろ」

 広場を半周して、その外れまで走ってやっと爺さんは諦めた。

「はあ、はあ、全くなんなんだよあのジジイ」

 僕は、乱れた呼吸を整えながら、やはりここは祝い町なのだと改めて実感した。

「兄ちゃん、新入りか」

「えっ?は、はい」

 突然声を掛けられ顔を上げると、熊みたいに全身剛毛の体毛に覆われた九州男児みたいな眉の太い短髪角刈りのおっさんがすぐ傍に立っていた。

「段ボールがいるんか」

「えっ?は、はい、あの床に何もなくて」

 爺さんとのやり取りを見ていたのだろうか。

「それなら、わしのを持っていけ」

 そう言って、その人は自分のテントまで連れていくと、その中にあった段ボールを何枚か引っ張り出して渡してくれた。

「ありがとうございます」

「ここは、癖のある連中が集まっとる。気をつけなあかんで」

「は、はい」

「まあ、困ったことがあったらまた言いや」

 濃い眉毛の下の凛とした目で、おっさんは僕に言った。

「は、はい、ありがとうございます」 

 やさしい人もいるんだ。僕は少し嬉しくなった。


「あれ?」

 久々に人のやさしさに触れ、どこか暖かい気持ちで、とりあえず手に入れた段ボールを片手に自分のテントまで帰ってくると、テントの中に置いてあったリュックが無くなっていた。

「無い」

 僕は茫然とその空っぽのテントの中を何度も見回した。

「無い」

 周囲も見渡したがやはり無い。

「無い」

 何度も辺りをよく探したが、やはり無かった。

「・・・」

 これで、僕の所有物は、今着ている服とジュースすら買えない額の小銭だけの財布、差し込む鍵穴の無い部屋の鍵と充電の切れそうな携帯だけになった。

「・・・」

 これ以上悪くなりようがない状況が、どんどん悪くなっていく。さっき触れた人のやさしなど、あっという間にどこかにあっさりと吹っ飛び、僕はただ茫然とその場に突っ立つしかなかった。

 僕の頭の中には、朝からの自分の出来事が走馬灯のように再び流れ始めていた。

「荷物パクられたんだろう」

 突然声を掛けられ振り返ると、ジーパンに白いワイシャツ姿のメガネをかけた真面目そうな学生には若すぎるがサラリーマンといった感じともちょっと違う若者が立っていた。年は僕より少し上、三十前後位か。

「この辺は手癖の悪い奴が多いからな」

「は、はあ」

「俺も最初やられたよ」

 話し方は全く普通の人だった。大学とかも普通に出ていそうな感じだった。ここにこんな普通っぽい人もいるんだ。突然声を掛けられたことよりも、その事に少し僕は驚きその青年を観察すように見た。

「新入りだろ」

「は、はい」

 やっぱり分かるんだな。この辺りの世間は狭いらしい。というか雰囲気で分かるのだろうか。

「貧乏は君が悪いんじゃない」

 突然何か諭すようにその人は言った。

「え?は、はあ」

「社会が悪いんだ」

「は、はあ」

「自分を責めちゃいけないよ」

 別に責めてはいなかったが、そうなのかと思った。

「このことは覚えておいた方が良い」

「は、はあ」

 なんかちょっと訳の分からん人だった。

「まあ、ここも慣れたらいいとこだから。ほらっ」

 そう言って、その人が僕に何かを投げた。缶コーヒーだった。そして、その人はそれだけ言うと、あっさり去って行った。

「慣れたくはないな・・」

 僕は受け取ったもうすでにぬるくなっている缶コーヒーを手に呟いた。そして、僕はすきっ腹に、もらったばかりの缶コーヒーを流し込んだ。

「しかし、あんな普通に、普通の社会で生きていけそうな人もこの町にいるんだな」

 でも、ここにいるということは多分、あの人にも何か事情があるのだろうか・・。


 僕はすることも無かったので、おっさんからもらった数枚の段ボールをビニールシートの下に敷いて、横になった。テント内を全て敷くには足りなかったが、足を延ばして横になるくらいはあった。

「うああ~」

 僕は敷いた段ボールの上で思いっきり伸びをして両掌を枕に目をつぶった。

「・・・」

 おっさんにもらった段ボールは少し臭かった。

 横になっていると今まで忘れていた疲れがどっと全身を這い上がってきた。辺りはもう完全に暗くなっている。

 ぐぅ~

 お腹も減っていた。でも、僕には金が無かった。本当に全く無かった。こんなことは生まれて初めてだった。小さな子供の頃でさえ、小さなお店で何がしか買えるくらいの小銭は持っていた。何も食べずに寝ること自体、全く経験がないことだった。

「はあ~」

 僕はなんだか今まで感じたことのない種類の惨めさと不安を感じた。これからどうなってしまうのだろうか。言い知れぬ絶望感が胸の奥に重く淀んだ。

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