第4話 海苔男
着いたところは、再び広場から外れた薄暗いすえた匂いのする路地の奥にある、錆びれた廃墟寸前の雑居ビルの三階にある一室だった。
「おやっさんいないなぁ」
海苔男は、部屋に入ると、辺りをきょろきょろかんたんに見回しそう一人呟いた。
「お前ここで待て」
海苔男はそこで、僕の方に向き直ると、偉そうにそれだけ言って直ぐにどこかへ行ってしまった。
「ちょ、おいっ・・・」
僕は突然一人、訳も分からず閑散とした、それでいてきれいに片付けられた部屋に取り残された。
「・・・」
僕はしばらく立ち尽くし一通り部屋の隅々を眺めた。部屋には黒いソファーセットと、壁に棚が一つあるだけで、本当に閑散としていた。
しばらくその場に立って、誰かが来るのを待った。だが、誰も来る気配はない。部屋は本当に何もなく、そして、することもなかった。僕は疲れていた。僕は少しためらったが部屋の片隅に置かれていた黒いソファに崩れるように腰を落とした。
「ふーっ」
疲れていたこともあって、座り心地はとてもよく感じた。
しかし、それから待てど暮らせど、おやっさんと言われる人どころか、人っ子一人誰もやっては来なかった。僕はいつしか疲れと睡眠不足のために、うつらうつらしていた―――。
「おいっ」
「えっ」
ドスの利いた声で目を覚ますと、一目でそっちの人と分かるパンチパーマのおっさんがものすごい形相で目の前に立っていた。
「あっ」
「お前は誰だ」
「いや、あの、なんか眉毛に海苔の付いた人が、あの・・」
「お前は誰だ」
僕が何を言ってもヤクザの眉間の皴は深くなるばかりだった。
「いや、あの・・・」
コンクリートに詰められぇ、海に沈められぇ、お決まりのコースが真っ白な頭をよぎる。
「お前は誰だ」
しかし、目の前のヤクザの顔は、容赦なく強烈な威圧をもってそんな僕に迫ってくる。僕は全身が恐怖に震え、心の底から怯えた。
「お前は誰だ」
ヤクザの顔は遂に僕の鼻先まできた。もうだめだ。僕はそう思った。僕のかわいそうな一生が走馬灯のように頭を駆け巡り出した。
「兄ちゃん、行く当てがないのか」
と、その時だった。突如としてヤクザの背後で声がした。僕は目の前のヤクザの顔から顔半分ずらしてヤクザの背後を見た。
するとそこには人のよさそうな爺さんが一人ニコニコと立っている。僕はまったく訳も分からずその人のよさそうな爺さんを見つめた。
「あっ、おやっさん」
ヤクザも振り向く。
「おやっさん?」
この人がおやっさん?僕は改めてその爺さんを見つめた。
ヤクザは、おやっさんに対しては今までとは全く別人のように頭を下げ恐縮した態度をとった。な、何者?僕はさらにマジマジとその爺さんを見つめた。
「兄ちゃん。ここに住むか?」
ニコニコと爺さんは言った。
「はい」
この爺さんがいったい何者なのか考える間もなく、爺さんの言っていることの意味がなんなのかを理解する間もなく、僕はそう答えていた。
「いくら持ってる」
今度はヤクザが訊いて来た。
「三万円です」
僕はごまかす心のゆとりも無く、真っ正直に答えてしまった。
「出せ」
「はい」
僕は財布からなけなしの三万円を出した。これが本当に今の僕の全財産だった。これが無くなったら、僕はこれからどう生きていけばいいのか。全く、俺は。そう思い、また朝からの悲劇の連続が一から頭の中に再演されようとしていた。
「おう」
その時、あの海苔男が入って来た。「おう」じゃねぇよと思いながらも、怒る心の余裕などもちろんない。
「おいっ」
僕の三万円を奪うように手に取ったヤクザが海苔男に目で合図を送った。
「へいっ」
それだけで全てを理解した海苔男は、俺について来いといった感じで、僕をちらっと横目で見ると、やはりどこか偉そうにさっさと部屋から出て行った。
僕はとにかくこの場から離れられると、急いで海苔男の背中を、ヤクザと突如現れた謎の爺さんとを恐る恐る交互に見ながら頭を下げ下げ、追った。
「俺に感謝しろよ」
歩きざま海苔男が得意げにそんなセリフを吐いた。てめぇ~、と心の中で思ったが、もちろんそんなことは言わなかった。
海苔男は慣れた足取りで道のりをくねくねと歩いて行き、やはりさっきの町の真ん中に広がる広大な公園のような広場に再びやって来た。
広場の周辺には、林立する木々の間にビニールシートで作った簡素なテントが無数に並んでいる。その中の一つに、海苔男は僕を連れていった。
「ここがお前のだ」
「えっ」
「ここがお前のだ」
「・・・」
僕は改めてテントを見た。本当にただビニールシートが上に張ってあるだけで、壁や入口すらない。床はもちろん草と土だ。
「まあ、自分で住みやすいようにリフォームするんだな」
「・・・」
「まあ、自分で住みやすいようにリフォームするんだな」
やはり同じことを二度偉そうにそう言って、海苔男はさっさと僕の前から去って行った。
「・・・」
目の前の簡素な、簡素過ぎるテントを僕はただ見つめた。そして気付いた。自分が生きていることに。
「はあ~」
全身の力が脱力するのと同時にそんな声ともつかないため息が風船の中身が一気に漏れ出るみたいに大きく漏れた。とりあえず危機は去ったようだ。僕は今生きていることに心の底から感謝しつつ、心の底からほっとした。
「マジで殺されるかと思った。あれぜってぇ、ヤクザだよな。そしてあの爺さん・・・」
しかし、あの爺さんは何者だったのだろうか。滅茶苦茶人が良さそうだっただけに帰って怖かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。