3章
外は本格的な冬の到来を告げるために既に冷たい暗闇が僕らを包み込んでいた。体を刺すような冷たさとは対照的に、居酒屋に行くまでの俺ら2人のトークは既に温まってた。行きつけの居酒屋の暖かなオレンジ色のライトが柔らかに僕らを迎え入れ、ビールの一口目で僕らはブルペンでウォーミングアップを終えマウンドに向かう中継ぎ投手のように自分たちの舌にスイッチを入れた。お互いの仕事の進捗の話、会社の今後の話、時事ネタなど今後の仕事に役に立つ話から、中条の3年付き合っている彼女の話、好きな野球チームの選手移籍の話、芸能ニュースなどのプライベートな話まで、ざっくばらんにお互い語り合った。俺のトークは、ただの近況報告では終わらない。理詰めで考えた自分の意見を中条に向けてぶちまける。この日は滝沢が三沢さんを口説いていたことから発展し、いつの間にか自分の結婚論について語っていたらしい。
「大体さー、現代社会の制度下で結婚なんてしてもいいことなんてないんだよ。そこを皆わかってなくてさ、結婚は国民の義務じゃないのかみたいな感じで、計画性も無く馬鹿真面目に政府の犬になって、子供作ってお金ないって苦しい思いしてるじゃん。あれは良くないんだよ。」
「まー、たしかに結婚したらいろいろと大変そうだもんな。お金もかかるし、手続きもいろいろあるし、ましてや極論言ってしまえば他人と一緒に住むんだもんな。」
「そーなんだよ、俺からしてみれば子供は大して可愛くない、そんなに子供を欲しくない、って感情のカップルがあったら結婚なんてしなくていいと思うね。単純に考えると片方は苗字変えたりしなくちゃなんないんだし、お金があるほうはもし離婚したら自分で稼いだお金さえ相手と折半しないといけないんだぜ。」
「たしかにそう考えると長年使い古された制度ってだけで、あまり利益の無い制度かもしれないな。モッチーはいつも言うよな。『常識でさえまずは疑って納得してから俺は取り入れる』ってな。流石モッチーカッコいいよ。俺には真似できない。」
中条ってのはやっぱり流石な男だと関心する。俺みたいな人でも話を真面目に聞いて話に理解を示してくれる。それに人がしたい話を引き出すのがうまい。営業部の若きエースなだけある。ただ、中条は特に俺と積極的に関わろうとするから、もしかしたら彼も俺と話す時間を楽しいと思ってくれているのかもしれない。
「でも俺は結婚して子供作って幸せな家庭が欲しいなあ。だってその方が賑やかで楽しそうなんだ、俺にとっては。」
中条はそう言って少し上に顔をあげた。その眼は夢見る少年のようにまだ見ぬ明るい未来を見つめているような気がした。
「俺はそういう純粋な願望には口は出さないよ。ただ、何も物事を多面で考えずに人間は結婚して子供を作るべきだ、だからお前は悪いっていう奴が大っ嫌いなだけだよ。」
そう俺はフォローした。もちろん、中条のようにきちっと考えた上で人生の喜びを考えている人たちのことは嫌いじゃない。さも結婚が当たり前かのように押し付けてくるやつらが嫌いなんだ、それが親であっても。
その後も俺らのマシンガントークは止まらず、久しぶりに喉と頭を使った会話にお互い気分が高揚していた。そして、4杯目の生ビールを頼んだ際に、中条は俺の淡い恋心に話題を戻してきた。
「ところで、お前、三沢さんのことが好きなんだろ?飯でも誘いなよ。アプローチかけりゃいいのに。」
「35のおっさんにそんな権利ありませんよ。別に心苦しくて仕事もロクにできませんってくらい好きなわけじゃないんだからいいんだよ、淡い恋心で終わっても。」
「でも、もし自分の彼女になってくれたらそれが一番最高だろ?」
「そりゃそうだけど…」
「ならお食事にでも誘ってみたらいいじゃん、別に彼女にならなくても仲良い友達になるんだって思って行けばいいんだよ。」
「でも考えてみろ、俺が三沢さんと二人で何話すのさ。さっきの結婚がどうだこうだ俺は認めないって話したら確実に引かれるだろ?趣味の話ったって古い洋楽と野球しか話ができないんだから話が弾むはずもない。それに俺は結婚しない男だもん。」
「まあまあそう難しく考えるな。結婚の前に、まずはきちっと恋愛さ。きっとうまくいくさ。まあ一度声かけることも考えてみなって。」
「じゃあまぁ…考えてみるよ。」
そう言ってその日の三沢さんの話は終わった。
居酒屋で会計を済ませ、最寄りの駅で俺は中条と別れた。中条は、折角の冬、野球も無いんだし何か楽しめよ、と一言俺に告げ、俺と反対方向の快速列車に揺られ帰っていった。
肌に刺す冷たさは時間と共に増し、帰宅路を歩く俺をいじめる。ただ、道沿いに建つ住宅から漏れる光は何故かいつもより暖かそうにみえた。
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