4-5 答えはいつかきっと

「おじいちゃん! どうしてここに?」


 やよいが驚いて声を上げる。

 館長はゆっくりと頷いた。


「原田君から聞いていてね。今日は流星群だから、星が見えるとなっちゃあ来ないわけには行かないさ」


 やはりどこか不思議な雰囲気が漂う老人だ。


「祥三と薫ちゃんも来てると聞いていたが……」


 そう言えばマスターとこの人は親友なのだ。

 伝えておいた方が良いだろう。


「実は、マスター怪我しちゃって」


 こちらの声に館長は「そうか……」と返事する。


「歳なのに無茶したんだね」

「ええ、まぁ……」


 否定は出来ない。

 そう言えばこの人とマスターは同じ歳か。


 マスターを見ていると、実年齢よりずっと若く見える。

 けれど、本来は館長みたいなのが普通なのだ。杖を衝いて、動作も緩慢で。


「祥三は若く見えるだろう? 溌剌としてね」

「そうですね」


「それがあいつのいい所さ。昔からね。だから今日も、『怪我をして残念』ではなく、『大事が無くて良かった』と言うべきだろう」

「ですね」


 その時、不意に辺りの電気が消え、喧騒が一瞬大きくなった。

 それに続くように、屋台の電気も次々と消えてゆく。


 当たりが一面闇に染まったあたりで、スピーカーから音声が出た。


『間もなく流星郡が見えます。これより一時間、ライトを消し、観測の時間と致します。皆さん、足元に注意して、星の瞬きに目を向けましょう』


 その放送が終わると同時に、喧騒は止んだ。

 まるで暗闇が吸い込んだかのように、ざわめきが空間へ呑まれて行くのが分かった。


「いよいよね」


 いつの間にか隣にやよいが立っていた。

 その言葉に釣られるように、空に目を向けた。


 息を呑んだ。


 夜空を染める、満天の星空達。

 図書館で見ているものより、ずっと多くの星々達が、空に浮かび、煌いていた。

 そして、空を貫くように、一本の太い線が走る。


「天の川だ」


 あの日、星空中央図書館に最初に来た日、目にした天の川。

 同じものなのに、全然違う。

 ここまではっきりとは見えなかった。


 春の夜空に見える、星々の瞬き。

 自分が宇宙に居るような錯覚すら覚える。


 そして、その空にシュッと線を引くように、不意に一本の輝きが走った。

 それは閃光の様に光り、一瞬にして暗闇に溶けてゆく。


 流星群だ。


「始まった」


 まるでやよいの声を合図にするように、もう一本、星の輝き。

 また、もう一本。


 燃え尽きる星達は、刹那の煌きを夜空に残す。

 春の流星郡だった。


 一つ流れ星が流れると、どこからか小さな溜め息と感嘆の声が静かに湧いた。

 目の前の光景は、どこか非現実的で、まるで夢の中の世界にも思えた。


 黒い夜空を埋め尽くす、一面の星達。

 そこには、靄の様に輝く六等級以下の星達も存在する。


 この世界が、これほどの天体と共に在るのだと理解する瞬間だった。

 あの時、一人の老人に会わなければ、星空中央図書館に行かなければ、決して見る事は無かった光たち。


「幹君」


 館長の声はとても静かだ。

 なのに、何故かすっと、耳に入ってくる。


「星は好きか?」


 その問いは、かつて彼が一番初めにしてきたものだ。


「好きです」


 違うのは、自分の答えに含まれた意思。


「それは良かった」


 顔ははっきりと見ていない。

 だけど、館長が始めて会った時と同じように、にっこりとした笑みを浮かべている事だけは何故か分かった。


「幹君」

「はい」

「やよいを頼んだよ」


 思わぬ言葉に驚いたが、迷う理由はなかった。


「はい」




 観測会終わりの、帰り道。

 薄暗い丘に走る舗装された道を、やよいと二人で下ってゆく。


 当たりは暗く、照らしてくれるのは満天の星空と、今だ流れ続ける流星のみ。

 見神さんは館長を送るため、原田さんは先に行って車を取ってくるために、先にゴンドラを使って降りて行った。


「一緒に行きますよ。その方が早いでしょ」

「あら、ダメよ。帰りで結構込んでるし、折角これだけ綺麗な星空なんだから、堪能しないと」


 帰り際、そう言った原田さんは、そっとこちらにだけ分かるようにウインクをした。

 二人で上手くやれとでも言いたいのだろうか。

 夕方の件もあるし、ちょっとした仕返しかもしれない。


 やれやれ、どうした物か。

 微妙な沈黙の中、やよいと並んで夜道を歩いた。


 何を話せばいいだろうか。さっきまであれほど流暢に話せていたのに、意識すると途端にこれだ。

 迷っていると「ねぇ」とやよいが口を開いた。


「おじいちゃんと何話してたの?」

「えっ?」


「なんか言ってたでしょ、おじいちゃん」

「いや、別に大した話じゃない」


 まさかお前の話をしていたなどとは言えない。


「ふぅん、ま、別に良いけど」


 あまり信用していない顔だった。


「それで、あんた、これからどうするの」

「これからって?」

「これからだよ。図書館、辞めようか迷ってるんでしょ?」


 ギクリとした。


「何で……」

「見てたら分かる。何か、様子変だったし」


 思わず頭を掻いた。良く見てるな、と感心する。

 確かに、この生活を長く続けるわけにも行かない。そう思っては『いた』。


「辞めちゃうの? 図書館」

「いや」


 自分の将来について、見えない事はまだたくさんある。

 これからどうなるかも、確定的な事は言えない。


 けれども、これだけは言える。


「まだその時じゃない」

「何それ」

「分からないけど、ここで星空中央図書館から離れたら、絶対に後悔するのだけは感じてる」


 次の場所へ自分が移るべき時は、いつか必ず来る。

 でも、今はまだ、あの図書館で、答えを探していたい。

 そうしなければいけないような気がしていた。


「だからさ」


 こちらを見てきたやよいと、目が合う。


「これからもよろしく」

「うん」


 笑ったやよいの顔は、とても柔らかい表情だった。

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