4-4 今はこれくらいでいい
丘の頂上に到着して、治療を施し、ようやく一段落する。
マスターは念のためこれから病院まで行く事になった。
「私はお父さんと一緒に先に降りてるから」
「薫、お前は残ってていいんだぞ」
「老いぼれの怪我人に発言権はないの! どうせ大事をとって入院って事になるから、色々準備しないと。保険証やら寝巻きやら」
「やれやれ、厳しいな」
そう言うマスターの表情は、何だか少し嬉しそうだ。
「ありがとうございました」
薫さん達が去り、管理センターの人たちにお礼を言う頃には、時刻は午後の六時を回っていた。
既に日は沈み始めていて、茜色の日差しが丘一面を染めている。
「なんかどっと疲れた……。って、なんだか妙に人多くない?」
やよいに言われ気付く。
確かに、さっきまではこんなに人はいなかった。
それに、丘の広場に屋台の出店まで出ている。
「流星郡が見られるのは夜の十時からみたいだけど、他にも今日はここでお祭り的なイベントをするみたいね」
チラシを眺めながら、原田さんが言う。横から覗き込むと、確かに、出店も出ると書かれていた。出店の数は多く、全部回るのは割と時間が掛かりそうだ。
「四時間くらい、頑張ったら時間潰せそうね」
やよいが、上昇したテンションを抑えきれない声で言う。
「じゃあ僕はちょっとビールでも飲もうかな」
のんびりとした口調の見神さんに「良いですね」と原田さんも声を上げた。
「私も行きます。乾杯しましょう」
「えっ? い、良いんですか?」
「それ、私の台詞ですよ。乾杯して良いですか?」
「も、もちろんです!」
見神さんの声は感激で震えている。
「そ、そうだ、やよいちゃんと幹君も飲まないかい?」
「あ、じゃあお言葉に甘えて……」
と立ち上がろうとした時、思い切りやよいに小突かれた。
非難の目で見ると、そっと首を振られる。
そうか、そうだな。
「と言いたい所ですが、やっぱり止めときます」
「え? どうして?」
首を傾げる原田さんに、やよいがいたずら小僧みたいに笑みを浮かべた。
「後は若いお二人でどうぞって事ですよ。それじゃ、私達はあっちで休んでるんで。ごゆるりと楽しんで」
やよいに背中を押され、その場を後にする。
広場から少し外れた場所にあるベンチまで来ると、並んで腰掛けた。
「やるじゃんやるじゃん、見神さん。いくこさんも絶対見直してたって。『乾杯しましょう』なんてさ」
そう言うやよいは何だか興奮気味だ。
「見神さん、頼もしかったからな」
トラブルはあったけれど、これだけスムーズに収まったのは彼が的確な指示を出してくれたからに他ならない。
「これはひょっとしてひょっとするんじゃない?」
「さすがに一回振ってるから、いきなり付き合ったりは難しいだろ。でも、これで以前みたいに普通に話せるようになるんじゃないか」
「うん、そうだね」
やよいはそう言うと、柔らかい表情で静かに広場へ目を向ける。
夕焼けの中、ざわめく人々の声に包まれた心地よい喧騒が、祭りの気配と共に静かに押し寄せてくる。
「なんか、春なのに夏みたい」
「だな」
「働き出したら、こう言う風景、見られなくなるのかな」
不安そうな声に、思わず笑ってしまった。
「何で笑うのよ」
「いや、だって、働き出したら死ぬような言い方だったからさ」
「そんな事言ってない」
「顔が言ってたよ」
「嘘」
ペタペタと顔を触って確かめる。
その様子が面白くて、また笑った。
「安心しろよ。いつでも来れるよ。またこうやって、皆で」
「本当?」
「当たり前だろ」
「良かった」
「あ、そうだ」
ふと思い出して、ポケットに手を突っ込んだ。
入っていた細長い箱を取り出すと、やよいに渡す。
ラッピングされた箱を手渡されたやよいは、キョトンとしていた。
「何これ」
「就職祝い」
「開けていい?」
「ああ」
やよいは包み紙を丁寧にはがすと、箱の中身を確認する。
入っているのは、シルバーの腕時計だ。仕事でも使えるシンプルなデザインの。
結構値段がした分、いいものを選んだつもりだ。
「どうだ?」
「……いいじゃん。貧乏な癖に、奮発しちゃって」
「お前、内定出たんだったら報告しろよ。一応手伝ったんだから」
えっ? とそこで彼女は首を傾げた。
「言ってなかった?」
呆れた。こいつ本気で自覚なかったのか。
「聞いてない」
「いくこさんとかには言ったんだけど。何であんたに言ってないんだろ」
「まぁ、あんまりまともに話せてなかったからな。最近」
そう言いながら立ち上がると、やよいに向き直って手を伸ばした。
「俺らも何か食べに行こうぜ。せっかく屋台が出てるんだから。卒業祝いに何か奢るよ」
やよいはしばらくこちらの手を凝視すると、意を決したように両手で掴んできた。
「……わかった」
立ち上がって、すぐに手を離す。
まだまだ全然ぎこちない。
でも、これでいい。
今は、これくらいの距離でいい。
ビールを買い、適当に屋台を巡って食料調達をした。
時が過ぎるごとに、人の姿は増え、喧騒が増していく。
気がつけばもう午後九時半だった。
空はすっかり暗くなり、あたりは随分と賑やかだ。
「もうすぐね。今日は月、出てないみたい」
わたあめを摘みながらやよいが空を見上げる。
「なんだ。残念だな」
「何言ってんの。めちゃくちゃラッキーじゃない」
「何で」
「月が無い方が星が良く見えるんだから。ったく、図書館スタッフならそれくらい知っておきなさいよ」
つまり、今日は快晴で雲もなく、月も出ていなくて、おまけに流星群が来る。
絶好の観測会日和というわけだ。
「図書館スタッフなら知っとけって、冷静に考えたらおかしい発言だよな」
「まぁね」
笑っていると、どこからか「おーい」と言う声が聞こえて、思わず視線をやった。
人ごみの切れ間から、原田さんと見神さんが手を振っている。
やよいと頷き合うと、そちらへ向かった。
「良かった、合流できて」
原田さんがほっと息を吐く。
「会えないかと思いましたよ」
「待ってて正解だったわ。折角ビッグゲストが来たのに、二人が居ないんじゃあ意味が無いもの」
「ビッグゲスト?」
「ええ」
原田さんはにっこり笑うと、そっと指を指す。
その先に──
「久しぶりだね」
館長、諸星海星が立っていた。
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