4-3 ハプニングは突然に

 手製のお弁当は、マスターが早起きしてわざわざ作ってくれた物だ。

 クラブサンドを詰め合わせたもので、どれも美味しい。


「ちゃんとやよいちゃん用にトマトが入ってないのも用意してるからな。ほら、このタマゴサンドとか」

「馬鹿にしないでくださいー」


 そのやり取りに笑い声が響く。

 山は自然に溢れ、桜の木々は蕾を膨らませていた。

 時折緩やかに吹く風が、草木のざわめきを生んでくれる。

 今はちょうど丘の中腹だったが、この高さからでも十分に街を見渡す事が出来た。


「どう? いい眺めでしょ?」


 原田さんの問いに頷いた。


「街外れにこんな場所があるんですね。全然気付きませんでした」

「来るのに少し距離があるから仕方ないんじゃないかしら。ちなみに、頂上には広場があって、そこはもっと空が近いの。星もかなり見えると思うわ」


「図書館とどっちが見えますかね」

「こっちじゃないかしら」


「へぇ、楽しみです。それにしても、こう言う星見のイベントとかやってたんですね。ずっと住んでるくせに、今まで全然気付かなかった」

「え、あんた、この街の通称知らないの?」


 やよいの問いに首を傾げた。通称?


星降町ほしふりちょうって呼ばれてるんだけど」

「星降町?」


 初耳だ。


「この街は立地的に、星が見えやすいんですって」


 原田さんが補足してくれる。


「そうなんですか?」

「自分の住んでる街なんだから、もうちょっと興味持ちなさいよ」


 呆れた顔をされる。返す言葉も無い。

 星の降る街、か。


 全然意識していなかった。この街自体、星に由縁していたとは思いもしなかった。

 自分が星に惹かれたのは、決して偶然じゃなかったのかもしれない。

 



 食事を終えて出発の準備をしている時、事は起こった。


「あだだっ」


 突然上がったうめき声。

 視線をやると、マスターが倒れていた。


「マスター!」

「お父さん!」


 皆が慌てて駆け寄る。


「やっちまったな、こりゃあ。足を捻ったらしい」


 マスターはそう言って足を捲り上げた。

 確かに、少し腫れて、青染んでいる。幸い、骨折などではなさそうだ。

 だけど、歩くのは難しいだろう。


「どうしよう……」


 薫さんの顔が曇る。

 このあたりに建物はなく、あるのは精々手洗いくらい。

 現在位置としては丘の中腹より少し上の方だから、降りるにしても結構時間が掛かる。


「一応私、湿布と包帯は持ってきているけれど」


 すかさず原田さんが鞄から湿布を取り出した。

 このあたりの用意の良さはさすがと言うべきだろう。


「でも早く降りたほうが良いわね」

「そうですね。悪化する前に治療しないと。救急車を呼んでも良いかもしれません」


 すると、見神さんが首を振った。


「いや、登りましょう」


 その場にいる全員がギョッとした。何言ってるんだこの人は。


「登ってる場合じゃないでしょう」


 思わず咎めるような声が出たが、「いや」と見神さんは冷静に口を開いた。


「この距離からだと、降りるより頂上に行ったほうが良い」

「どうしてですか?」


 原田さんは険しい顔をしている。責める様な表情だった。

 しかし、見神さんに動じた様子はない。堂々としている。


「実は、この上には管理センターがあるんです。救急の治療であればそこでしてくれるはず。それに、頂上に行けばフォークゴンドラがありますから、安全に降りられます。救急車を呼ぶより遥かに早い」


「ゴンドラなんてあるんですか」

「丘の反対側に、だけどね。今日はピクニックがコンセプトだと思ってたから、使わないものだと思ってたけど」


 見神さんの言う事が本当なら、このまま登ったほうが確かに早い。


「じゃあ、僕と見神さんでマスターの肩を持ちましょう」

「いや」


 こちらの提案を見神さんは静かに遮る。


「幹君は僕の鞄を持っていてくれないか。僕が祥三さんを背負うよ。二人して肩を貸すだけじゃあ、足に負担がいくかもしれないし、祥三さんの体力的にもきついからね」


「でもいくら傾斜が緩やかとは言え、背負って登るのはきついでしょう」

「大丈夫だよ。こう見えても、普段から結構鍛えてるんだから。もしきつくなったら、その時は頼むよ」


 どうやら意思は固そうだ。仕方なく「分かりました」と頷いた。


「すまないね、見神君」

「大丈夫ですよ。これくらい朝飯前です。祥三さんは、万一容態が悪くなりそうだったらすぐ教えて下さい」

「わかった」


「わ、私達はどうしたら良い?」


 オロオロする薫さんに、見神さんは「落ち着いて」と静かに諭す。


「薫さん達は先に頂上に行ってセンターの人に事情を話しておいてください。担架(たんか)か何か容易してくれるかもしれない」

「じゃあ、薫ちゃんとやよいちゃん、お願いしても良いかしら」


 原田さんの言葉に、見神さんがえっ? と驚きの表情を浮かべる。


「私は見神さん達と行動します」

「原田さん、どうして……」

「こう言う時、人手は多いほうがいいでしょう? それに、二人は体力もあるし、運動神経も良いから、私が行くと帰って時間が掛かってしまいますから」


 その原田さんの表情は、どこか歯がゆさを感じているように見えた。




 先に出発したやよい達を見送り、マスターの足に湿布と包帯で応急処置を施す。


「すまんな、みんな。手間をかけて」


 しょんぼりするマスターに、原田さんが「いいえ」と優しい声を出した。


「祥三さんはみんなのムードメーカーなんですから、今日来てくださって嬉しかったですよ」

「そうですよ」


 見神さんも首肯する。

 その様子を見て、この二人が残ってくれたのは正解だったな、と感じた。

 年長者二人は精神的な支柱になってくれる。


 マスターを背負って、ゆっくりと丘を登っていく。

 その間も、見神さんは笑顔を絶やさなかった。

 彼の頼もしい姿に、安心したのはマスターだけじゃないだろう。

 原田さんの表情を見れば分かる。


「この丘は、小さい頃に親父と来たんです」


 額から汗を流しながら、見神さんは静かに話し始める。


「当時僕はまだ小さくて、登っている最中にはしゃぎすぎて、怪我をしたんです。そんな時、こうして親父が背負ってくれて、頂上まで連れて行ってくれました。こうして、親父が死んでから、その足跡を辿ってみると、どれだけ大きな人だったのかが分かります」


 見神さんの視線は、どこか遠く、過去を見つめているようにも見えた。

 きっと、かつての自分と父親の姿が映っているのだ。


「親として、子供が自分の後をついて来てくれるのは、これ以上ない嬉しさがあるだろうな」

「でも」


 マスターは続ける。


「子供が自分を超えて行くのは、もっと嬉しいもんだ」


 三十分程歩いたところで、「おーい」と声が聞こえた。

 見上げると、やよいと薫さんがタンカを持った管理センターの人を引き連れ、戻ってきていたのだ。


「これで一安心ですね」


 そう言ってあげると、見神さんはホッと一息ついた。


「よかった……」

「あの、見神さん」


 声を掛けたのは、原田さんだ。


「本当に、ありがとうございました。見神さんが居なかったら、多分、こんなにスムーズに行かなかったと思います」

「あ、いえ、僕なんかがお役に立てたのであれば嬉しいもんですよ、あははは」


 そういって笑う見神さんを見る原田さんの視線は、今まで見た事もないような、とても温かい、優しいものだった。


「私、今まで意地になってたかもしれません。余裕がなかったのかも。散々失礼な事を言ってしまって、今日もこうして助けていただいて……本当にありがとうございます」


「いえ、それを言うならこっちこそ、原田さんを困らせる事を言っちゃいましたから」

「そんな事ありません。嬉しかったですよ。見神さんの気持ち。……また、図書館に来てくださいね」

「ええ、もちろん」


 それは多分、告白を受ける、とかそう言ったロマンチックな話ではないだろう。

 見神さんもちゃんとそれは分かっている。


 二人は、ちゃんと、友達としてやり直そうとしている。それが分かった。

 望んだ形じゃないかもしれないけれど、原田さんの心を開いたのは、他ならぬ見神さん自身の活躍だ。


 見神さん、やるじゃないか。

 

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