4章 春の流星群
4-1 3月20日、流星群
『三月二十日、流星群が近付いています』
そんなニュースが流れてきたのは、季節が春を迎えようとした頃だった。
日差しはずいぶん温かくなり、鳥の声も増えた。木々には草花が生い茂り、優しい風が吹く。
朝食を済ませ、歯を磨きながらボーっとテレビを見て、ふとこれからについて考えた。
今住んでいる一軒家は、元々は実家だ。
両親が姉との同居を決意した段階で、家を引き払おうと思っていた。
それなら一人暮らしをさせてくれと無理言ってここに住んでいるのが現状。
家賃が無いので、生活費は専ら光熱費や食費のみ。
今の収入でもどうにかやって行けなくはないが、貯金の残高は順調に削れていた。
「なんだかんだ、前の勤め先は給料が良かったな」
時給に換算すると今とあまり変わらないが、それでもボーナスが出ていたのは大きい。
おまけに一日中仕事で、休みの日は疲れて眠る生活だった為、働いて得たお金はほぼ丸々残っていた。貯金は相当ある。
やろうと思えば、このまま当分はこの生活を維持する事は出来るだろう。
「でも、そう言う訳には行かないんだよなぁ」
テレビに映った流星群予報を見ながら、小さく呟いた。
この先どうするか、決めなければならない。
図書館に残るのか、それとも就職をして離れるのか。
退職当初は本当にボロボロで、精神的にも肉体的にも働けたものじゃなかった。
でも、星空中央図書館で働き、心は回復し、自分も変われた。
今なら、再び歩き出せるかもしれない。
そんな気がしていた。
「何ボーっとしてんのよ」
声をかけられ、ハッとする。
カートに返却図書を乗せたやよいがそこに立っていた。
「戻ってこないと思ったら、またサボって」
奥にある辞書コーナーの掃除をしていたのだ。そこでつい深く考えこんでしまったらしい。
「『また』って、サボった事ないんだけど。今だってサボってた訳じゃないし」
「どうだか」
ツンとしたやよいの姿がおかしく、何となく笑った。
「何笑ってるのよ」
「いや何でもない」
「言いなさいよ」
「いいから、本返しに来たんだろ? 入れるよ」
「もう」
やよいはぶつくさ言いながらも、本を手渡してくる。
彼女がこの図書館で勤めるのも、もうすぐ終わりだ。
四月から、社会人として勤め始めるのだ。
やよいが内定をもらったと言う話は、本人ではなく薫さんから耳にした話だった。
色々な人に報告しているようで、昼勤の横須賀さんや、田原さん、原田さんに、マスターまでその話を知っている。
ただ、まだこちらにはその話をして来ていなかった。
一応、心当たりはある。
その理由は──
「あっ」
本を受け取る際に手が触れ、思わずと言った様子でやよいが手を引っ込めた。本が落ち、慌てて拾う。
見ると、やよいの顔は真っ赤で、何事か言いたげに口をパクパクしていた。
「すまん」
謝ると、やよいが首を振った。
「こっちこそ、ごめん」
「大丈夫か?」
「うん、うん……ダイジョブ。私、あっちでいくこさんの手伝いしてくるから」
やよいは言うやいなや足早にその場を去った。
何か言おうと思ったが、タイミングを逃す。
あの冬の日。やよいの家で看病をした日以来、彼女との関係は少しどこかぎこちない。
上手く話せていたとしても、不意に気まずくなる瞬間がある。
何を話したら良いか分からなくなる時が来る。
さっきも上手く話せていたのに、途端にこの調子だ。
こんな調子だから、自分が就職すると言う話をしてこないのだろう。
「……はぁ、上手く行かんな」
「何かあったの? 君達二人」
本棚の陰から薫さんがヌッと姿を現した。思わず叫び声を上げそうになる。
「そんな驚くことないじゃない」
薫さんは呆れ顔だ。
「ど、どこに居たんですか」
「いや、この裏」
「どこから聞いてたんですか?」
「『何ボーッとしてんのよ』から」
最初からじゃないか。
「立ち聞きとは人が悪い」
「君達が勝手に話し始めたんでしょうが」
薫さんは呆れたように肩をすくめると、一転して興味深げに顔を寄せてきた。
「それで、やよいと何があったの?」
言うべきか言わざるべきか迷ったが、気がつけば話し始めていた。
多分、それなりに気が滅入っていたのだろう。状況を変えるためのきっかけが欲しかったのだと思う。
話を聞いた薫さんは「何それっ」と口元を押さえた。
それでもニヤついているのが分かる。何だか楽しそうだ。
「ヤバいじゃん、それ。超青春してんね」
「楽しまないで下さいよ」
「ごめんごめん」
慌てて彼女は頭を下げる。
「いやぁ、やよいって浮いた話があんまりないからさ。お姉さんなんだか嬉しくて」
「そうなんですか?」
「男子からはそれなりにアプローチされてたみたいだよ。でもあの通り、口悪いしぶっきらぼうじゃん。全部スルーしちゃったみたい。好意をどう扱えばいいかも分かんないタイプだからね、あの子は」
「まぁ、確かに」
「だからさ、ここはズバッと、幹君が大人の男性として上手くエスコートしてあげてよ。頼むよ、ほらほら」
「無茶言わないで下さいよ。……ただ、確かにこのままだと話し辛いですね。居心地も良くないし」
「何かきっかけがあると良いんだけどねぇ」
薫さんは難しい顔をした。
「あら、きっかけならあるわよ?」
振り向くと、今度は原田さんがニコニコと笑みを浮かべながら立っていた。
薫さんと言い、原田さんと言い、どうしてこう忍者の様に気配を消して寄ってくるのか。
原田さんは手に何かのポスターを持っていた。
どうやら奥の掲示板にこれを貼りに来たらしい。
「いっこさん、どこから聞いてたんですか?」と薫さん。
「『何かあったの? 君達二人』からかしら」
最初からじゃないか。
「それはともかくとして、幹君も隅に置けないわね」
「茶化さないで下さいよ。ところで、あいつは?」
「カウンターに座ってるわ。受付交代するからいくこさんは出てくれって」
「いっこさん、やよい、真っ赤な顔してたでしょ?」
「うん。驚いちゃった」
女性二人がキャッキャッとはしゃぐ。完全に面白がってる、この人達。
「それより、さっき言ってたきっかけって?」
尋ねると原田さんは「そうそう」と言ってポスターを広げた。
そこにはこう書かれている。
『ピクニックで流星群を見よう!』
「何ですか、これ」
「あら? 知らない? 近々流星群が来るって話」
「いや、それは知ってますけど……」
すると薫さんが口を開いた。
「確かこの地域一帯が一番よく見えるって話ですよね。それでイベントするって」
「そうそう。街外れの丘の頂上でやるみたい。天体観測イベントね」
「いいですね、やよい星好きだし。アウトドア派だし」
「ピクニックか……」
なるほど、と頷いてしまう。
確かに、あいつが好きそうなイベントだ。
「でも来てくれますかね、今の状況で」
「二人きりだとハードルちょっと高いかもね」
薫さんが頷く。
「そうだ」
原田さんが嬉しげに手を叩いた。
「私に名案があるわ!」
「名案?」
こちらの問いに、原田さんは頷く。
「みんなで行きましょう、ピクニック」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます