3-5 二人の部屋

「やよい、しっかりしろ!」


 大声で呼びかけるとやよいは「うぅん……」と小さくうめき声を出して目を開いた。


「寝てんだから静かにしてよ」


 随分しんどそうな声だ。

 彼女はこちらを視認すると、ぶるりと体を震わせる。


「寒いわねここ。めちゃくちゃ寒い。誰かストーブ切った?」


 ストーブはつけっぱなしだ。部屋は十分暖かい。暑いくらいだ。


「つけたまんまだよ。危ないからストーブつけて眠るなとか言いたいけど、今はどうでもいい。それより、お前大丈夫か?」

「大丈夫って何が」

「顔色が悪い」


 表情もなんだか虚ろだ。


「大袈裟。ちょっと最近寝不足だったからそのせいよ」


 やよいはそう言うと横たわったまま、こちらをじぃっと睨みつけてきた。


「あんた、人の寝顔見に来るとか変態なの?」

「何時間も出てこなかったから様子を見に来たんだよ」

「そんな心配性なキャラだったっけ」


 へらず口は相変わらずか。

 ただ、声に覇気というか、芯がない。


「幹君、どうしたの?」

「大きい声が聞こえたけれど、大丈夫かい?」


 騒ぎ声を聞いて原田さんと見神さんが顔を出した。

 そう言えば取り乱して大声で叫んでしまった。少しバツが悪い。


「何でもないです。この馬鹿がアホみたいに叫んだだけなんで」


 心配したのに随分な言い草だ。

 こっちの気も知らず、やよいはゆっくり体を起こす。

 と、頭痛がしたのか顔をしかめて頭を抑えた。


「うぅ、ぐらぐらする」


 言いながらまた横になる。


「やよいちゃん、おでこ出して」


 原田さんがずいと一歩前に出て、やよいに向かい合った。


「いいっていくこさん。大丈夫だから」

「出しなさい」

「……はい」


 やよいはしぶしぶおでこをめくった。

 原田さんは手を当て、熱を確かめた。


「熱い。やよいちゃん、最近あんまり休んでないでしょ」

「そんなこと──」

「あんまり寝てないんだよな」


 被せてやると「うっ」と言葉を詰まらせ、静かに頷いた。


 そう言えばこいつ、最近は以前と同じ位のスパンで出勤していた。

 大学の単位はほとんど取っているらしいけれど、ゼミの課題や卒業論文もあるだろうし、もちろん就職活動だってある。

 言うほど暇ではないはずだ。


「もう今日は家で休みなさい。帰りしなにちゃんと病院にも寄ること」


 原田さんはそう言うとこちらに視線を移した。


「幹君、やよいちゃんを送ってあげて」

「えっ、俺ですか」


 予想外の発言に思わず素が出た。


「ここは車のある見神さんの方が良いんじゃあ……」

「でも見神さんはやよいちゃんの家知らないから。スタッフが二人共ここを離れる訳にもいかないし、男の子の方がいざと言う時頼りになるしね」


「いやいや、やよいの家なんて俺も知りませんよ」

「ちょっと待って、それ以前に何で私がこいつに送られないといけないんですか。一人で帰れます」

「上体起こしただけでふらついて倒れた人は黙ってなさい」


 原田さんは有無を言わせない。


「見神さんはまだ片づけが残ってるし、何より、やよいちゃんは幹君なら安心でしょ」


 どうやら原田さんの中ですでに采配は決定しているらしい。


「車は運転できる?」

「一応」


「じゃあ車は準備してくるから、幹君はやよいちゃんの荷物固めておいて。見神さんはカウンターお願いします。万一お客さんが来たら教えて下さい」

「え、ええ? 僕ですか?」


 見神さんは狼狽する。

 この人もお客さんのはずだが。原田さん的に言うと、今日はスタッフ扱いらしい。

 原田さんは気にした様子も見せず、さっさと入り口から出て行ってしまった。


「……ああなるといくこさん、止まらないから」


 弱々しい声でやよいが呟く。


「仕事モードって奴か」

「スイッチ入ったんでしょうねぇ。何かの」


 見神さんは薄く笑いながら頷くと、立ち上がった。


「こうしていても埒があかないし、言われた通りカウンターに居ときますか。幹君はいつでも出れるように準備を頼むよ」

「了解です」


 やがて、五分も経たないうちに原田さんが戻ってきた。


「はい、幹君。車の鍵、高峰さんに借りたから。戻ったらちゃんと返す事。図書館の前に停めてあるから、あとお願いね」

「分かりました。ありがとうございます」


 そこで原田さんは思い出したように、ポケットから小さい紙を取り出した。


「あとこれ、やよいちゃんの家の住所。そのままカーナビに入れたら大丈夫だと思うけれど、一応地図も描いておいたから」


 手にした紙を見る。なるほど、分かりやすい。


「この辺りなら何となく分かります。杉本医院の近くなら、帰りに寄れそうですね」

「そっか、幹君もここが地元なんだっけ」


「ええ。地理は把握してます」

「それなら大丈夫ね」


 原田さんはにこりと笑うと、そっと顔を近づけてきた。

 突然の事に心臓が跳ね上がりそうになる。

 彼女は耳元でそっと囁いた。


「くれぐれも、間違いがないようにね」


 慌てて顔を離す。どぎまぎした。


「ど、どういう意味ですか」

「さぁ」


 なんだか悪戯っぽい年上の雰囲気に、この人には敵わないなと思わされた。




 杉本医院は小さい街医者だけあって、意外と患者が少ない。短時間で診察を終える事が出来た。

 簡単な解熱剤と抗生物質をもらう。

 インフルエンザではなかっただけマシか。


 病院を出て、車を走らせる。


「もう到着するから、とりあえず今日は何か暖かい物食べて寝ろよ」


 返事が返ってこない。

 チラリと一瞥すると、やよいは助手席で小さな寝息を立てていた。

 医者に行った事で安心感が出たのか、それとも一気に疲れが出たのか。


 そうこうしている間に、やよいの家に到着した。

 大きな一軒家だろうと予測していたが、到着した先は小さなアパートだった。

 間違ったかとも思ったが、地図も住所もここで相違ない。


「着いたぞ、やよ……」


 起こそうと思ったが、なんだか気が引けてそのまま背負う事にした。

 やよいの体重を背中に受け、思った以上に軽いと思った。


 意外と華奢だな、こいつ。

 それと、背中が熱い。熱が篭っている。


 空はもうすっかり暗くなっており、澄んだ夜空が一面に広がっていた。

 街中だからか、あまり星は見えない。

 いくつかの一等星がちらほら輝いているくらいだ。


 なんとか車に鍵をかけ、アパートに入った。

 三階の一番奥側にある角部屋がやよいの部屋らしい。


 ドアを開けようと思って気づく。

 やばい、こいつの家の鍵を持っていない。どうすべきか。


 考えていると背負ってきたやよいが次第にずり落ちてきた。

 一度体を跳ね上げ、背負いなおす。


 と、不意にチャリンと金属音がした。


 床を見ると見覚えのない鍵。

 どうもやよいのポケットに入っていたのが落ちたらしい。

 なんとか拾い上げ、ドアノブに差し込むと案の定、鍵が開く音がした。


「運がいいな」


 ノブに手をかけ、開こうとしたところで一瞬躊躇する。

 仮にも年頃の女子の部屋。男が無断で入るのもどうだろう。

 ここで起こすべきだろうか。


「やよい、おい、起きろ」


 背中を揺するが、まるで目覚める気配がなかった。

 こうなったら仕方がない、許してくれるだろう。そう思いながら中に入る。


 着替えが散乱していたらどうしようかと思ったが、やよいの部屋は綺麗だった。

 短い廊下にはガス式のキッチンコンロと流しが設置されており、そのままリビング兼寝室へと続く。


 カーペットに置かれたコタツ机の上には赤いノートパソコン、壁際に少し大き目のセミダブルベッド、角部屋だからベッドのすぐ横には小窓があった。


 カーテンやカバーは全てパステルカラーで統一されている。

『ザ・女子の部屋』と言った印象を受けるのは、自分があまり女性の部屋に入った事がないからだろうか。


 本が山の様に置かれているかと思ったが、意外にも本棚は壁際に大きなものが一つあるくらいだった。


 ベッドにやよいを寝かせると、上から羽毛布団を被せた。

 パジャマに着替えさせてやりたいが、そう言うわけにもいかない。


 外出用の服のまま寝ることを嫌がる人間も世の中には居るわけで、果たしてこいつはどうなんだろう、などと意味不明な気を回してしまう。


「まぁ、これでいいだろう」


 自分に出来る事はこの辺までだ。

 長居すると原田さんからどんな疑いの目を向けられるか分からないし、やよいが起きた時の事を考えても厄介そうだ。


 さっさと部屋を出ようとして、ふと部屋の中が随分と冷え切っている事に気づく。

 いくら羽毛布団をかけているとは言え、これだけ冷え切った部屋にただ寝かせて放置するのは気が引ける。


 せめてエアコンだけでもつけておこうとして、机の上にエアコンのリモコンがあったのでボタンを押した。

 無事に稼動したので四時間後に切れるようタイマーをかけておく。


 帰ろうと思ってリモコンを机に返したところで、先ほど医者からもらった薬が目に入った。

 手にとって見てみる。食後に飲むように言っていたな。


「こいつ、昼飯食べてなかったよな」


 ポラリスに行った様子はなかったし、従業員室で食べてもいなかった。


 そもそもやよいは「臭いが出るとお客さんがくつろげない」と言って、絶対に館内に食品は持ち込まない。長い勤務時間の時は必ずポラリスで食事を済ませていた。

 今日だってそうだ。


 食材とかあるのだろうか。冷蔵庫の脇にある米びつが空なのが気になった。

 いや、でも冷蔵庫とか勝手に開けるのってどうなんだ。


 職場仲間とは言え他人だし、それほど親しい間柄でもない。

 少し逡巡したが、部屋の主が寝ているのでノーカンだろうと中身を拝見した。


 果たして中には何もなかった。パスタの乾麺と、そのソースが少し。卵もない。

 病人食にパスタってどうなんだ。


「ああ、くそ。分かったよ」


 誰にでもなくそう吐き捨てると、携帯で原田さんに電話をかけた。

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