3-4 星の神話
図書館に戻ってくると原田さんがカウンターの横ですでに仕分け作業を開始していた。彼女はこちらに気付くと「あら、おかえりなさい」と笑みを浮かべる。
その視界に見神さんは一切入っていないのが何故か分かった。
「すいません、一人でやらせてしまって」
「休憩って言ったのは私なんだから。気にしないで」
「気にしますよ」
作業に入ろうとすると原田さんは「じゃあ」と開いているダンボールを指差した。
「あの箱の仕分け、お願いしてもいいかしら」
仕分けと言っても選ぶ基準があまりわからない。
「状態の悪い本は除けて。扱ってる本の続編があればもちろん取って欲しいけれど、あとは幹君の采配で良さそうな物を見繕ってくれれば大丈夫」
「自分のセンスで選ぶって事ですか?」
原田さんは頷いた。
「ここの本はほとんど私達や館長が選んでるからどうしても好みが出ちゃって。だから新しい人が仕分けをやって欲しいってずっと思ってたのよ。本の種類もぐっと広がるし」
その話を聞いてようやく合点がいく。
なるほど、だからここの本はジャンルが偏っているのだ。
「あ、あの原田さん、僕は何をすれば」
「……あぁ見神さん」
まるで存在を忘れていたみたいな、氷の様な声だった。
その冷たさに見神さんは落胆を隠しきれていない。完全に表情に出してしまっている。
「どうかしました?」
原田さんは知ってか知らずか、不思議そうに尋ねる。見神さんは力なく首を振った。
「いや、なんでもないです。……それで、何をしましょう」
「必要ない本をまとめてもらいたいんですけど」
「そ、そうですよね。どっちみち使わないのは僕が持って帰るんですもんね」
何だか言い方がもの悲しい。
「と言ってもまだ仕分け自体進んでないですし、本を選定するのにも時間が掛かりますから、お時間が有るようでしたらしばらくゆっくりしてもらって大丈夫ですよ。見神さんも一応ここの会員なんですから」
他意はないのだろうけれど、どうしてもこのタイミングだとこの場から居なくなれと言っているように聞こえてしまう。
「いえ、それならお言葉に甘えてちょっと本、見てきます……」
見神さんは逆らいきれず、トボトボと奥の方へ歩いて行った。
振られた男の宿命とは言え、なんだか気の毒だ。
「さ、私達はさっさとやっちゃいましょう。この量、多分一日かけないと終わらないわよ」
「そうですね」
原田さんの言うとおり、本の仕分けはかなりの時間を要した。
内容を確認しながらの作業となるので当然だろう。
お客さんの数が少なかった為、集中して作業に取り組めたのが唯一の救いだ。
「またすごい本の数だね」
不意に声をかけられ顔を上げると、井上夫妻が傍に立っていた。
源吾さんが積み上げられた本を見て目を丸くしている。
「ああ、すいません散らかってて。新しい本の選定作業をしているんです」
「あら、それは楽しみねぇ」
浜江さんが嬉しそうに声を弾ませる。
「もうお帰りですか?」
「ちょっとポラリスに行こうと思ってね。いや、邪魔してすまない」
「いえ、とんでもない」
「そうだ、お二人とも、なにか読んでみたい本とかございませんか?」と原田さん。
「あら、何が良いかしら。これだけあると迷っちゃうわねぇ、あなた」
「ふむ、そうだな……」
源吾さんは本をゆっくりと眺めると、箱に入っていた一際分厚い本を手に取った。
「こう言った類の本はまだあるのかね?」
それは神話だった。ギリシア神話に関する本だ。
「神話を集めた本ですか? あると思いますよ」
原田さんはまだ箱に入りっぱなしになっている書籍を流し見る。
すると浜江さんが首を傾げた。
「あなた、神話なんて好きだった?」
「いや、あまり読んだことはないな」
「ならどうして?」
すると源吾さんはゆっくりと笑みを浮かべる。
「読みたいのはギリシア神話じゃないんだ。星の、星座に関する神話だ」
思わず原田さんと顔を見合わせた。
「年寄りは夜も早くに寝てしまうから、星空を眺める事がなくてね。ここは名前の通り、たくさんの星にまつわる書籍があるだろう? いつもそれらを読んで楽しんでいるが、どうせならもっと詳しく、星にまつわるエピソードを知りたいと思ってね」
「確かにあんまり考えた事ありませんでした」
感心したように原田さんは小刻みに頷く。
「探してみますね、星の神話」
「頼んだよ」
「あらあなた、星の神話だなんて、ロマンチックな事言うじゃない。昔はそんな事考えもしなかったくせに」
「歳を取ると夢を見たくなるものさ。夢物語をね」
井上夫妻は楽しそうに会話しながら外に姿を消した。
「星の神話、ねぇ」
原田さんは嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「また一つ、ここがここらしくなっていくわ」
しばらく作業を進めているといつの間にやら陽が陰っていた。
そろそろ午後五時か。
普通の図書館なら閉館時刻だろう。
井上さん達があれから戻ってくる事はなかった。
ポラリスでゆっくりしてそのまま帰ったのだろう。
「もうすこしで終わりね」
さすがに疲れたのか原田さんがぐっと伸びをする。
「もう一息ですね、頑張りましょう」
ダンボールに入っていた書籍に神話に関する本はいくつかあったが、星の神話でまとめられている本はまだ見つかっていない。
ギリシア神話や北欧神話などは星座に密接に関係しているのでまとめているのだが、『神々』より『星』に焦点を当てている物が欲しい。
「大分進みましたねぇ」
タイミング良く見神さんが姿を現した。
顔に寝跡がついている。ひょっとしなくても眠っていたのだろう。
何をしているのだろうとは思っていたが、のんびりした人だ。
「あと一箱です」
「ああ、じゃあ僕もそろそろまとめ始めようかな。幹君、ガムテープ借りて良いかな。ダンボールに封をしたいんだけど、持ってくるの忘れちゃって」
「ああ、それなら従業員室にありますよ。取って来ましょうか?」
「頼むよ」
カウンターを抜けて従業員室へと向かう。
そこで、ふとやよいの事を思い出した。
あいつ何やってるんだ。さすがにまだ履歴書とにらめっこしているとは考えがたい。
「原田さん、あいつってもう帰りました?」
「あいつって、やよいちゃんの事?」
「ええ」
「帰ってないと思うけど……」
何だか嫌な予感がする。
思わず従業員室に駆け込んだ。
「やよい!」
壁際のソファに横たわったやよいが、青白い顔で小刻みに体を震わせていた。
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