3-3 継がれる想い
ポラリスの扉を開くと暇そうにカウンターで新聞を読んでいたマスターが出迎えてくれた。
「やぁ幹君、と……」
マスターはそっと視線を動かす。
「これは珍しいお客さんだ」
「お久しぶりです」
非常に暗い声で見神さんは挨拶する。
ここに来るまで、散々「あぁ……」だの「はぁ……」だの言葉を漏らしていた。
「半年ぶりくらいかな? 海外に行ってるって聞いたけど」
「ええ、まぁ、そうですね」
あからさまに落ち込んでいる姿に何かあったの? と視線で尋ねてくるマスター。
首を捻って答えた。
とりあえず喉が渇いていたのでアイスコーヒーを二つ頼む。
カウンターに座った見神さんは、まだため息をついていた。
「まぁまぁ、元気出して下さいよ。女性に振られただけです」
探る意味合いも込めてそう言うと、彼は更にがくりと肩を落とした。
「だけですなんて言わないでくれ。あああ、まさかあそこまで敬遠されるなんて思わなかったんだよぉ」
やっぱり振られたのか。マスターと顔を見合わせる。
「誰?」と口パクで尋ねられたので「は・ら・だ」と口パクで返しておく。
「でも、ここからどうするかじゃないですか」
「どうするって?」
意味が分からないと見神さん。
「見神さんがどうしたいかって事ですよ。諦めて新しい恋を探すのか、それとも粘り強く食らいついていきたいのか」
「そりゃあ、諦めたくはないけど……。あんな態度になっちゃって、まともな会話も出来ないし」
「まぁ、すぐに今まで通りって言うのは難しいと思いますけどね。でもあんな原田さんを見るのは初めてですよ。美人で気立てが良くて、何でもちょちょいとこなしてしまうそつない人なんだから、男性にアプローチなんて何度もされているはずだし。プラスに考えたら、それだけ意識されてるって事じゃないんですか?」
するとハッとしたように見神さんは顔を上げてこちらを見つめてくる。
「ほ、本当にそう思うかい?」
「いや、すいません。今のは適当に言いました」
やっぱりガクリとうな垂れる。
「だよねぇ……」
「でも、伝えないと始まらないですよね。さっきも言いましたけど、ここからですよ」
「幹君は厳しいなぁ」
「諦めたくないって言ったのは見神さんじゃないですか」
「そりゃそうなんだけどさ」
煮え切らない態度だ。
余計な口を挟むべきでないと思ったのか、マスターは聞いてはいる物の我関せずといった調子で片付けをしている。
「原田さんと今までは良好な関係だったんでしょう?」
「うん……多分。食事はオーケーくれるくらいだったし」
「ずっとその関係を続ける事だって出来たし、告白なんてしたらもちろん関係が変わる事も分かっていた」
「そりゃそうさ」
「でも見神さんはそのリスクを負ってでも近づきたいと思った」
「そうなんだよ……。そうなんだ」
正直、この人がどれだけ本気だったのかは分かりかねるが、少なくとも軽い気持ちではなさそうだ。
適当にアプローチ出来るタイプではない。
「アピールの仕方は一つじゃないですよ。仕事なり、会話なり、人間性なり、少しずつ主張して取り戻して行ったらいいじゃないですか。せっかく意識してもらったんだから、良くも悪くも見てくれますよ」
「うん、ありがとう」
見神さんは先ほどより明るい表情で笑った。無理した笑みではない。
「幹君はなんていうか、凄く親身に話を聞いてくれるね」
「そんな事ないですけど」
「おまけにポジティブだ」
「そうですかね」
自分で自分の事をポジティブだなんて思った事がない。
むしろ今までは暗いとすら思っていた。
少なくとも、この図書館に来た頃はそうだったはずだ。
物事を全て閉塞的に捉え、人への興味や礼儀が喪失していた。
だからこそ、そういった鬱蒼とした感情が表情に出て、初対面だったやよいに強固な態度をとらせてしまったのだろう。
今ならそれが分かる。
何でこんなに変わったのだろう。
コーヒーをゆっくりと口に運ぶ。
考えるまでもない。この図書館だ。
ここは何もかもが緩やかで、大らかで、それまでずっと感じていた、自分を閉じ込めるような窮屈さがまるでない。
ゆっくりと時間が流れている、本と星に囲まれた不思議な空間。
分からない事はたくさんあるけれど、ここが今の自分にとってなくてはならない存在になっている事だけは確かだ。
「そう言えば幹君はどうしてこの図書館に?」
唐突な質問に、思わず「えっ」と声が出た。
「別に、何と言うか流れで……。仕事を辞めてぷらぷらしていた時に館長と会ってここを教えてもらって。最初は客として来たつもりだったんですけど、何故か館長がそのまま働かないかって」
「そっか、諸星さん、相変わらずだなぁ」
見神さんは苦笑する。
「突然で、大胆で、それでいて確信がある。実はね、僕も今の仕事をする前は会社員だったんだよ。IT系の」
「へぇ」
「ノルマがきつくて、それ以上にノルマ未達成時の詰めがきつかった。結果が全てだったよ。どんな手を使っても件数を上げればよかったし、数字がなければゴミみたいな扱いだった。多分当時の僕は、死んだ魚みたいな目をしてたんだろうな。漠然と辞めたいとは思っていたけれど、次に移る気力すら奪われてた。そんな時に父が病で倒れたんだ」
「お父さんが……」
「見舞いに行った時に会ったのが諸星さん。父とは古い友人らしくて」
「それでその、お父さんは?」
彼はゆっくりと首を振った。亡くなったのだ。軽率な質問だった。
でも、彼は別段気にした風でもなく話を続けた。
「父がやっていたのが、本のバイヤーだ。どちらかと言うと価値ある本が海外に出るのを防ぐって役割が主だったけれどね。でも、それを生業に出来ていたんだから、立派なもんだなって。同じ舞台に立った今なら凄さが分かるよ」
「どうしてお父さんと同じ仕事をしようって決断したんですか?」
「諸星さんが薦めてくれたんだよ。いや、薦めたって言うより、ただ後押ししてくれた感じかな。それまで父がやっていた仕事について、興味なんてまるでなかった。バイヤーってただの転売屋だと思っていたし、むしろ浅ましい仕事だとすら思っていたんだ。
でも諸星さんは、父がやっている仕事の凄さと重要性を少ない言葉で、的確に教えてくれた。例えば出版社と書店とをつないだり、価値があるのに埋もれてしまっている本に陽の目を見る機会を与えたり……父のやっていた仕事はそう言った本が巡る流れを作る物だった。ただの転売屋とは違ったんだ。誰かがその役割を担う必要があった」
そして、見神さんは仕事を辞め、父親の後を継いだ。
「特別仲が良かったわけでも、悪かったわけでもない。実家に帰ったってそんなに話したりもしないし、世間一般的な親子だと思ってる。だから知らない事も多かった。皮肉な話だけど、父が死んでから初めてその偉大さを思い知っているよ」
薄い笑みを浮かべる見神さんは亡き父との思い出を回顧し懐かしんでいる様に見えた。
「と、ごめん。僕の事ばかり話しちゃって」
「いえ、聞いてて興味深かったです。転職の中に、それだけのドラマがあるんだなって」
「そういえば幹君の前職は一体何を?」
「接客業です。大型の店舗で販売員してました。でも、仕事柄将来性があるとは言い難い所で、仕事内容も自分のやりたい事とはすこしずれていて、より良い環境に転職するために無理やり押し切る形で退職しました。建前は」
「建前?」
見神さんは眉をひそめる。
とは言え、皆まで言わなくても彼も分かっているはずだ。
「逃げたんです。仕事から。……クレーマーや頭のおかしな人の対応なんて日常茶飯事で。胸倉掴まれたり、土下座しろだの言われたり、無茶な注文されたり。そう言った日常が嫌でした。
そして、何より人への興味がどんどん薄れて、関心が持てなくなっていたんです。仕事に嫌な事なんてつき物ですけれど、それに耐えられなくなって。恐くなって逃げたんです」
自分の内情を詳しく話すとどうしても暗い話になりがちになる。
それでも口に出したのは、きっと見神さんに親近感を覚えてしまったからだろう。
彼の人間臭さはスッと心に入ってくるものがあった。
「じゃあここで仕事をしているのは幹君にとってリハビリって訳だ」
見神さんはそっとメガネをかけなおすと柔らかい笑みを浮かべた。
「何かを感じたんだね。ここなら大事な物が見つかる気が」
まるで心を読まれている気がした。静かに頷く。
「ただ逃げただけなんて思いたくないですから。逃げた先でも、見つかるものはあるはずでしょ。それに、周りからどう思われようと、自分は前進し続けているって信じたいじゃないですか」
「今の幹君は人に関心が持てなくなってしまったようには見えない。君はきっと、物凄い勢いで前に進んでるんだ」
いい加減な言葉に思えたけれど、不思議と心に染みた。
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