3章 冬のオリオン座

3-1 冬の情景

 息を吐き出すとすっかり白く染まる季節になった。

 図書館の前をほうきで掃除する。ずいぶん落ち葉が少なくなった。


 木々は枝だけになり、もう木の葉のざわめきは聞こえない。


 この図書館に来て四ヶ月が経とうとしていた。


「やあ幹君、精が出るね」


 箒で目に付いたゴミを集めていると、声を掛けられた。いつもの時間、いつもの挨拶。

 図書館の常連、井上夫婦だ。


「こんにちは。今日も早いですね」


 すると旦那の源吾さんは静かに笑う。


「この歳になると毎日暇でね。ここは景色も良いし、空気も綺麗で、散歩にはもってこいだ。それに素敵な喫茶店もある」


 井上夫婦はほぼ皆勤賞と言っていいほど毎日図書館に顔を出す。とは言え来るのはもっぱら昼間であり、あまり星を見に来る事はない。


 夫である源吾さんは、メガネをかけた、にこやかで穏やかな物言いの人だ。

 妻である浜江さんは、いつも陽気。

 二人共仲睦まじく、揃って七十になるという。

 幼馴染で、小さい頃から家が隣同士だったという話を、原田さんから聞いたことがある。


「やよいちゃんはどう? 今日はお休みかしら?」と浜江さん。

「いや、一応来ては居るんですけど……」


 苦笑いをして建物を仰いだ。

 井上夫婦が、不思議そうに顔を見合わせる。


「掃除終わりました」


 カウンターの原田さんに声をかけるとありがとう、とお礼を言われた。


「寒いのにごめんね」

「いえ、やりたいって言ったの俺ですから」


 図書館で働き出してから、図書館前の掃除はいつもやるようにしている。

 普段、他の人がやらなさそうな仕事だと思ったからだ。

 自分なりに仕事のローテーションを作っておくことは悪い事じゃない。


「冷えたでしょう? いま落ち着いてるから、従業員室のストーブで暖まって来たら?」

「そうします」


 両手をこすりながら頷いた。

 図書館内は基本的にエアコンで空調調整をしているが、従業員室には別にストーブが設置されていた。ガス式の大きなやつで、小学校とかで良く見かける形状だ。

 このストーブを稼動させる時は、定期的に換気したりもする。


 暖房に手を当てると、冷えた体に血がめぐるのを感じ、思わずホッとため息が漏れた。

 室内にはストーブの稼動音と、お湯が沸騰する音、それにペンが走る音。


「また履歴書書いてんのか」

「うるさい」


 ペンを走らせていた片桐やよいが不機嫌そうに声を出した。

 チェックのプリーツスカートに黒いタイツ、上はフードパーカー。ラフだ。今日は休みか。


「前のはどうだったんだよ。二次面接」

「二次面接は通った。でも三次試験のディスカッションでダメ」


 やよいは少しずつではあるが面接を通過するようになってきていた。

 気持ちに余裕が出てきたのか、アルバイトにも復帰している。


 以前言ったアドバイスが良かったのかもしれないし、本人が少しずつ面接に慣れ初めて来ているのかもしれない。

 原田さんもアドバイスしたらしいが、いずれにせよ、内定に近づいている事だけは確かだ。


 だけど、後一歩のところで届かない。後一歩、きっと何かが足りていない。

 やよいは履歴書を書きながら時折ゲホゲホと咳き込んでいた。


「風邪か?」

「みたい」


「今日はもう帰って、家で休んどいた方がいいんじゃないか」

「たいしたことない。それより、履歴書書くんだから静かにして」


 人の気遣いを無にする奴だ。何か軽口を挟んでやろうかとも思ったが、邪魔するのも気が引けておとなしくその場を後にした。


「原田さん、カウンター交代しますよ」

「あら、もう良いの?」

「追い出されました」


 従業員室に視線をやり、肩をすくめる。

 原田さんは少しおかしそうに笑った。


「それじゃあ、なるべく集中させてあげましょう。この時期だもの。ピリピリしてしまうのも仕方ないわ」

「集中したいなら家でやれば良いのに、と思っちゃいますけどね」


「一人で居るのはやっぱり気が滅入るんじゃないかしら」

「ですかね」


 家で仕事するよりも職場でやったほうが捗る。そんな原理だろうか。

 原田さんは緩やかに立ち上がると、本棚の整備リストに目をやった。


「そろそろ深海図鑑の辺りも掃除しないと。今月まだ手がついてないのね」

「先月もあそこだけ飛んでましたね」


 奥側で普段誰も足を運ばないのと、微妙に蔵書数が多いのでついつい後回しになりがちになる。


「そろそろ埃がたまってるでしょうね。本の状態も気になるし。ちょっと行って来るから、幹君、あとお願いして良いかしら」

「承知しました」


 原田さんはカウンターから出て「ああ、そうだ」と足を止めた。


「今日は見神さんが来るから、よろしく」

「見神さん?」


 気になって会員の名簿を確認する。

 あった。見神翔太。歳は……二つ上か。


「その見神さんがどうかしたんですか?」

「本のバイヤーさんなのよ」

「バイヤー」


 目を丸くした。

 そういう職業の人を目の当たりにするのは初めてだ。


「館長が仕入れた本を持ってきてくれるの。来るのは久々ね」

「へぇ……」


 ここの蔵書は変わったものが多い。普通の図書館と少し違い癖が強いものばかりだ。館長が好みで集めているのだろうと思っていたが、どこから本を見つけてくるのか不思議でならなかった。この見神さんとやらが一役買っているのだろう。


「それじゃあ、あとお願いね」

「わかりました」


 奥にもぐって行ってしまった原田さんを見送る。

 心なしか、いつもより物言いがきつい気がした。

 まぁ、気のせいだろう。


 前々からこっそり作っていたエクセルファイルを開く。

 本の仕入れリストから書籍をジャンル別に検索できるようにした物で、現在はまだ作成段階だ。

 完成すれば貸し出している本の把握がしやすくなるだろう。


 ここの図書館は、目当ての本を探すには、蔵書数も少ないし、何より設備が整っていない。

 ただ、未知の変わった本に出会う事が出来る。

 少なくとも、館長のコンセプトはそんな感じだろうと思う。


 それゆえに、蔵書の癖が強く、ジャンルや内容を把握するのは中々困難だ。一覧表があるだけでも大分違う。そう思い、このエクセルを作成し始めた。

 仕入れリストに連なっている蔵書のタイトルを打ち込んでいると、カウンターに誰かが近づいてくる気配がした。


「やぁ、えっと、こんばんは」


 メガネを掛けた、いかにも優男と言う雰囲気の人が笑みを浮かべていた。

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