2-4 ゲリラ豪雨と窓掃除
図書館の天井は、手動で開くことになっている。
自動で開閉するための装置もついているが、動作させるのにかなり電力を喰うらしい。そのためいつも二階の手動レバーを使っている。
レバーを回すのには、最初は割と力が要る。だが、勢いがついて来るとレバーがひとりでに回ってくれる仕組みになっていた。早く回し過ぎると逆に回転が止まらなくなり危険なので、スピードは抑えなければならない。
天井を開くと、そこを一面分厚い窓ガラスが覆っていた。それがこの図書館最大の特徴。街外れのここだから見える絶景の夜空を、ぽっかりと切り取ってくれる。
「やっぱ思った通り。ほら、幹君も早く来なよ」
天窓の真下、一階のホールにて、薫さんがこちらに呼びかけてくる。忙しい人だ。内心そう思ったが、悪い気はしない。手を引いて道を誘導されている気分だ。
「一体何があるっていうんですか」
階段を降りてホールに出ると「あ、ちょっと待って、電気消して」と言われた。
言われるがまま、電灯のスイッチを切る。
不意に目の前にスマートフォンの画面が差し出された。
分厚い雲の真下、局所的に激しい雨が降り注いでいる様子を遠方から撮影した画像がそこには映し出されている。
「これ、ゲリラ豪雨ってやつかなって思ってさ。この画像は以前ネットで拾ったやつなんだけど、多分今ここ、こんな感じになってるよ」
薫さんはいたずらっぽい笑みを浮かべると天井を指差す。釣られる様に、空を見上げた。
「すげ……」思わず声をあげた。
落ちてくる滝を下から見上げているような感覚。広い天窓一面に、水が波紋を広げ、流れ落ちてゆく。大粒の雨が次から次へと窓に当たっては、割れてしまうのではないかと心配してしまうほど大きな音を立てていた。
波紋は次から次へと上書きされ、あっというまに消えてゆく。
「座りなよ。なんなら寝転んじゃおう」
「掃除はしてますけど、みんな土足で歩くんだから汚いですよ」
「帰ったら風呂入ったらいいよ。服は洗濯しよう」
薫さんはゴロンと豪快に寝そべる。全く躊躇ない仕草に釣られ、倣った。すぐ横に薫さんの顔がある。
分厚い雲に覆われた真っ暗な世界。雨の音は静寂をよりいっそう際立たせた。
「不思議な光景だよね」
「ええ、すごく」
「さっきまであんな気の滅入るような話してたのにさ、嘘みたい」
「本当に」
「幹君の話を聞いていて、私は就職活動から逃げたんだなって、ちょっと思った」
「それを言ったら、僕は仕事から逃げ出した人間ですから」
「じゃあ私たち、お互い逃亡者だ」
「そうですね」
薫さんは少し笑った後、そっと息を吐き出した。
「そんな私たちの願望だったり、心配だったり、やよいに重ねちゃうのはちょっと変な話なのかもね」
薫さんに視線をやる。目が合い、彼女は少し焦ったように慌てて言葉を続けた。
「あ、気に障ったらごめん。別に幹君がどうとかって意味じゃなくて。君がやよいを心配してるのはちゃんと分かってるつもりだから」
薫さんが言いたいのは、こちらを批判するような事じゃない。もっと違う話だ。
「なんつーかさ、ええと、……上手く言葉に出来ないな。何かもう、ああ分かんないや」
「口下手すぎでしょ」
思わず笑ってしまった。うるさいなぁ、と彼女はつんと唇を尖らす。
「まぁ、あいつはあいつなりの人生を歩むんだから、僕らがどうこう言っても仕方ないですよね」
「そういう事。仕方ない仕方ない。うちらに出来るのは、静かに見守って、疲れてたら話聞いてあげて、たまに楽しい事に誘ってあげるだけだよ」
「ちょうど今、薫さんが僕にしてくれているみたいに、ですか」
「幹君が楽しいって思ってくれてるんならそうだね」
そこで会話を止め、目の前の光景を静かに眺める。なんだか幻想的だ。
「ちょっと、何これ停電? 薫ちゃん、幹隆和、どこ?」
奥の方からやよいの声がして、そこで我に返った。
「やよい居たのすっかり忘れてた」
「あいつの話してたのに」
くっくと僕たちは笑う。
「て言うか、幹君フルネームで呼ばれてるんだ」
「普段はあんた、とか、ねぇ、とかで、名前を呼ばれたのは今が初めてですよ」
「何それ、変なの」
二人して寝転びながら笑っていると、視界にやよいがにゅっと飛び込んできた。
「二人共何寝転んでんのよ。しかもあんた仕事中でしょ」
こちらを指され、素直に「ごめん」と謝っておく。
「いま、あんたが初めて幹君の名前を呼んだって話をしてたの」
「何それ」
やよいがどぎまぎする。指摘されて焦ったのか少し顔が赤い。
「って言うか何で天井開けてるのよ」
「私が開けようって言ったんだ。これだけ降ってる日に開けたら掃除にもなるしメンテの一貫よ」
「でも後で拭かないと水垢がついちゃ──わ、凄っ」
天井を見上げたやよいは、その光景に黙り込んだ。
口は悪いし愛想もない。名前すらまともに呼ばれたこともないけれど、こいつが良い奴だって事くらいは分かっているつもりだ。
だから、悲しんだり辛そうな顔は見たくない。
そんな風に人を思いやるのなんていつ以来だろう。仕事をしていた頃は表面上だけの気遣いをすることはあっても、そこに気持ちなんて込めたことがなかった。
人と接しているのにまるでその感覚がリアルじゃなくて、どこか他人事で、上の空。
自分の中の感情や感覚が壊死していく気がして、それが嫌で逃げ出したはずなのに。
「ここに来る奴はみんなそうさ。何かを探して、欠落した物を埋めるため、逃げるため、それぞれが何かしら生きる理由を探している、そんな時にふらっと辿り着いてしまう場所なんだ」
ポラリスの店長がいつか言っていた言葉がふと頭の中で思い出された。
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