2-2 図書館の運営

 わたわたと去ってゆく原田さんの姿を見送り、シフト表を手に取った。少し早いが時間を記入しておこう。ついでにやよいの分も。


 やよいと原田さん、それに自分を足してスタッフは計五名。

 この図書館では早番と遅番が分けられており、早番は図書スタッフ、遅番は図書スタッフ兼プラネタリウム運営を行う(とは言え、星が見える日に天井を開閉するだけだが)。


 開館や閉館業務は慣れてしまえば大した物ではなく、利用者のピークも週末に三十名が精々と言うところ。各時間帯に二名、平日なんかは一名でも事足りてしまう。


 現在で五名と言うことは、以前は四名で運営していたのか。


 一瞬ゾッとしたが、今日みたいに利用者一名だと、やる事はもっぱら館内の清掃と本のメンテナンス、それと運営で使う資料作りだ。

 スタッフ不在の時は貸し出し申請書に名前と書籍名だけ書いてもらえれば大丈夫なので、最悪スタッフ一人でも回せてしまう。こういういい加減な運営が通るのも会員制だからだろう。


 スタッフには、パートの田原さんと横須賀さんと言う二名がおり、正直まだ挨拶程度しかした事がない。この二名は主婦の為、昼間専門のスタッフだ。


 夜間のスタッフには元々やよいがおり、その入れ替わりとして自分が入った。

 この二週間、やよいは図書館の仕事には出ず、ずっと就職活動をしていた。


「……ブラックだよなぁ」

「何が?」


 シフト表を眺めていると、いつの間にかそばにやよいがいてビクッとする。


「ブラックって?」

「いや、この図書館の運営」

「……どこが?」


 先ほどまで考えたシフトの流れを話してみる。

 昼間は田原さんと横須賀さん、それに原田さんの三人でまわすので一日一人か二人スタッフがいればよい。負担は増えるが、休みは定期的に回せる。


 だが問題は夜だ。


 この二週間、やよいが休んでいた期間は常に原田さんと一緒だった。まだ入りたての新人に、プラネタリウム運営と図書館業務を一人でさせるのは荷が重いと思ったのだろう。確かにそうだ。そこまではよい。


「そうなると、原田さんがこの二週間、休館日以外はずっと働きっぱなしになるんだよ」


 どうしてあの人があんな笑顔で働けるのかちっともわからない。

 するとやよいはぶっと噴き出した。


「んなわけないじゃん。それじゃあいくこさん辞めちゃうって」

「じゃあどうやってるんだよ。最低でもあと一人はいないとどうにもならないぞこれじゃ」


「まぁ確かに、いくこさんの作るシフトはすごいよ。マジックって言われてる絶妙な采配のシフト構成をしてるし」


「シフトって原田さんが作ってるのか?」

「何を今更。おじいちゃんが作ってるとでも思ってた?」


「全員で考えてるのかと。原田さんって何か役職でもあるの?」

「何で知らないのよ。館長代理だよ」


 やり手だとは思っていたが。衝撃の事実に驚きを隠しえない。


「館長代理って、何者だよあの人」

「なんでも昔アパレルショップの店長してたらしいけど、あんまり詳しい事は知らない。出来る人なのは確かだよ」

「へぇ……」


 詳しい経緯は気になったが、こう言うプライベートな話は本人に聞くべきだろう。

 あまり深くは追求しないでおく。


「でもこれで合点は行った。そんな人だからこんな無茶なスタッフ構成でも回せるんだな」

「無理に決まってんじゃん」

「はっ? 出来るんじゃないの?」


「なんでよ。あんたさっき自分で言ってたじゃん。夜間はあんたといくこさんと私。見習いのあんたは誰かと一緒じゃないとまだ回せない。加えて私は就職活動でほとんど入れてない。でもこの二週間あんたは通常通り休みを取れてる。私は一回も入ってない。じゃあ入るのは一人でしょ」


「じゃあやっぱり原田さんは休館日以外は働き通しなのか」

「それも違う」


 もはや完全に訳がわからない。おちょくっているのだろうか。


「回りくどいな。さっさと答えを言ってくれ」

「急かす男はモテないわよ。あ、モテてないか」

「黙れ」


 渋い顔を浮かべてやると「わかったわよ」とやよいがとりなすように言った。


「ピンチヒッターがいるの」

「ヘルプって事?」

「そう。ねぇ薫ちゃん」


 やよいが窓際に座っていた女性客に声をかけると、彼女はため息をついてパタンと本を閉じた。

 そしてカウンターの方へ近づいてくる。


「やよい、今日はお客さんとして来てるんだけど」

「いいじゃん。他に誰もいないんだしさ」

「スタッフの言葉じゃないわね。仮にもここは私立図書館って形で『運営』をしているんだからもっと自覚しなさい」


 女性はあきれたように肩をすくめる。

 長い黒髪が透き通るように艶やかで、まっすぐな視線はこちらの考えなんて見透かしたようだ。

 原田さんが母性的な女性だとすれば、彼女は頼れるお姉さんという感じか。


「高峰薫です。新人の幹君よね。よろしく」

「いえ、こちらこそ」


 頭を下げてからふと疑問に思う。高峰? どこかで聞いたような苗字だ。しかもここ最近で。


「私の事は薫って呼んで頂戴。苗字だとお父さんと被っちゃうから」

「お父さん?」


 そこでハッとする。


「ひょっとしてポラリスの……?」

「うん。店長の娘。やよいとは父親同士が友人だったのもあって、小さい頃からの付き合いなの。幼馴染ってやつ。やよいのお姉さんみたいなもん」

「自分の事良く言いすぎでしょ」


 すかさずやよいが口を挟む。しかし薫さんはフフンと不敵に笑った。


「誰かさんの代わりに図書館の仕事やってあげてるのは誰?」

「あぁ、もう、すいませんでした」

「わかればよろしい」


 笑いながらふざけあう二人の姿はなるほど、確かに姉妹みたいだ。


「ヘルプって事は、普段は喫茶店の手伝いをしてるんですか?」


 薫さんは首を振った。


「暇なとき仕込みを手伝ったりはするけどね。普段は街のちっさい商店で雇われ事務やってんだ。まぁ知り合いのお店だから勤務時間はだいぶ融通利かせてもらってるし、ちゃんと会社員していた幹君からすると、まともな仕事とは言いにくいかな。フリーターに近いかも」

「いや、そうは思わないですけど」


 外から雷の音が聞こえる。暗雲の中でくすぶった、今にもたまりきったものが弾け出ようとしている。風が強く吹き、窓を揺らした。


「そろそろ降りそう」


 やよいが窓から外を眺める。確かに、雨雲があたり一面を覆っていた。


「こりゃ今日の来客は絶望的かな」


 やよいはそっとため息をつくとそのまま館内の奥へと歩き出す。


「どこ行くんだよ」

「書籍の整理と状態チェック。こんな時くらいでしょ、思う存分出来るのは」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る