2章 秋の名月

2-1 新卒の苦悩

 半袖で居るには肌寒い季節になった。


 蝉の声はすっかりなりを潜め、青々と茂っていた木々も徐々にかさついていく。

 風が妙に乾きだし、夏がもつ独特の湿気が抜けつつあるのを感じる。

 空気が違うだけで、歩く道は随分と印象が変わった。


 図書館で働き出してそろそろ一ヶ月。 この通い路も随分と慣れてきた。

 仕事へ向かう道中眺める事が出来る稲穂も、そろそろ刈り入れの時期。

 この幽玄な光景も、もうすぐ見納めだ。


 図書館へと続く車道は、滅多に車が通らない。

 調子に乗って真ん中を歩いていると、チリンチリンと自転車が横をかすめて行った。


 真新しい黒いスーツを着た女性がサドルにまたがり、ゆっくりとスピードを落とす。


「久しぶりだな」


 見るのは二週間ぶりくらいか。声をかけると片桐やよいはこちらをジロリと睨んでくる。久々の相手にする目ではない。機嫌は悪そうだ。


 落ち着いた化粧に、黒を基調にしたスーツ。彼女が大学四回生であることを考慮すれば、行き着く答えはたった一つ。


「就職活動か。奇特だね、こんな時期まで」

「秋にもなって、まだ内定一つ獲得出来ていない私に対する嫌味?」

「そんなわけないだろ。それで、成果はどうだった?」

「うるさいな……」


 横に並ぶと、やよいは自転車から降りて一緒に歩き出した。珍しいこともあるものだ。いつもなら先に行ってしまうのに。


「なんで企業の人ってあんなに偉そうなの? 訳わかんない」

「学生は優しくすると付け上がるからな。偉そうって意味では学生も大して変わらない」


 するとやよいは詰まらなさそうにちぇっと舌打ちした。


「あんたも『あっち側』かよ」

「あっち側?」

「企業の奴等。人を選定するって言うかさ、見てくれだけに騙されるって言うかさ」

「なんだよそれ」


 思わず苦笑してしまった。そういえば学生の頃、就職活動で企業の人に対して線引きする行為はよくやっていたな、と思い出す。

 選ぶ側と、選ばれる側。しても意味のない線引き。


「例えばテレビゲームで攻撃役が早急に欲しい時、単純に強いやつを仲間にするだろ? 就職活動も似たようなもんだよ。特に、何十人、何百人も候補がいるなら、人となりや性格を全部見るなんて不可能だって」

「そりゃそうかも知んないけどさ……」


 もうちょっと自分の人間性を見てくれたっていいじゃない。直接声に出したわけではないが、やよいがそう言いたがっているのは明白だった。

 それが甘さだと気付くのは、たぶん彼女が社会に出て、仕事を始めて、現実を知ってからになるのだろう。


 寝る間を惜しんで自己PRを考えて、履歴書の文面を工夫して、企業研究して、スケジュールを調整して、限られた資金で交通費を工面して……そういう苦労をするのは当然なのだ。

 冷たい言い方になるけど、新卒であれ、中途採用であれ、就職活動ではそんな扱われ方をされるのだから仕方がない。


 だから自分を上手く適応させなければならない。


「コツとかないの」

「コツ? 何の」


「就職」

「あったら一流企業に転職してたさ」

「だよね」


「まぁ、分かる事が一つあるとしたら」

「なに」


「自分の素直な人となりを見てもらおうとかは、あんまり考えないほうが良いかも」

「なんで? 人とするもんでしょ、仕事って」


「確かにそうなんだけど、選考ってあくまで仕事の話をする場だからさ。いかに自分がその会社で活躍できるかを伝えるのが重要なんだよ。ただ、能力を裏付けるエピソードとして学生時代の経験を話すと、つい仕事にまったく関係ない話をしがちになる。アピールじゃなくて、ただの自己紹介になりがちなんだよな」


「なるほど……。で?」

「で? って、何が」

「他には? 何かないの? 役立ちそうな話」


 普段はあまり話したがらないくせに、今日は珍しく喰い気味だ。それだけ必死なんだろう。藁にでもすがりたい。ひょっとしたらそんな気持ちなのかもしれない。




 図書館に入ると、従業員室で作業用のエプロンを身に着けた。


 ここでの基本的な仕事は接客と書籍の管理、それに館内の清掃。

 痛んでいる本は補強したり、新しいものに差し替える。根本的に利用者の数が少ないので、内容としては非常に楽なものだ。


 とは言え、スタッフも少ないので、やる事は意外と多い。

 だが、前職と似たような部分もあり、あまり抵抗はなかった。


「お疲れ様です」


 カウンターへと出ると、原田さんが雑巾がけをしていた。


「あら、お疲れ様」

「今日はなんだか空いてますね」


 館内を見渡してもほとんど人の姿がない。OLらしき女性が窓際の小さなテーブル席で本を読んでいるくらいだ。


「夕方から雷雨らしいの」


 原田さんが二階の窓を指差す。窓から見える空には暗雲が広がっていた。


「夜までみっちり降るみたいだから、今日は他にお客さん来ないんじゃないかしら」

「マジですか。ついてないなぁ」


 雨の日はプラネタリウム運営をしないため閉館時間が早くなる。上がり時間が遅ければまだ雨が止むまでしのげる可能性もあったが、閉館するとなるとそれもなくなる。


「館内に傘あるから、借りて帰ったら?」

「そうします」


「そう言えば、やよいちゃんは? 一緒に来たように見えたけど」

「着替えてます。就職活動の帰りだったみたいで」


「そっか、そうよねぇ。この時期にまだ決まってないってプレッシャーだから、焦ってないと良いんだけれど」

「だいぶ参ってるみたいでしたよ」


「心配ね。あまり自分を追い込み過ぎなければ良いけれど」


 そこで原田さんはハッと時計を見上げる。退勤時間だ。


「あ、もうこんな時間なのね」

「原田さん、雨が降る前に帰ったほうが良いんじゃあ」

「久々にやよいちゃんとお話しようかと思ったけれど、そうするわ」


 彼女は手早く作業用の黒いエプロンを取ると、きれいに折りたたんでシフト表に退勤時間を書き込んだ。

 タイムカードではなく、完全に手で記入するというのがこの図書館らしいやりかただ。


「それじゃあ幹君、お先に」

「お疲れ様でした」

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