1-4 苦いコーヒーと思い出話
「祥三さん、仮にも一店舗のマスターなんだから、サボらないで下さいよ」
「仮にもとは酷いな。立派なお店だよ、ここは」
「分かったからコーヒーにカツサンド、早くおねがいします」
「やれやれ」軽く首を振ると祥三と呼ばれた老人はこちらに目を向けてきた。「そちらさんは何にする?」
急に振られ、慌ててメニューを見る。めぼしいものが見当たらず「同じものを」とだけ答えた。
「真似しないでくれます?」
「真似なんかしてないさ」
「真似でしょ」
「まぁまぁ、喧嘩しなさんな」
にらみ合っているとマスターが仲裁に入ってくれた。
「新顔さんだね」
「今日が最初で最後です」やよいがブスッとした顔で答える。
「勝手に決めないでくれないか」
「あれ? 違うの?」
「まぁ、安心しろよ。つまらない場所だったら二度と来ない」
「何それ、ムカつく」
言い合っているとマスターがクククと肩を震わせ、ヤカンに火をつけた。ボッと、勢いよく炎が噴き出す。
「二人とも仲がいいね、お似合いだ」
「どこがっ?」
やよいと声が被った。その事が何となく悔しくて、お互いまたグッと言葉に詰まる。その様子にまたマスターは笑った。
「ここはつまらない場所じゃないさ。お兄さんも、それが何となく分かってるからここにいるんだろう?」
「それは……まぁ」
「ここに来る奴はみんなそうさ。何かを探して、欠落した物を埋めるため、逃げるため、それぞれが何かしら生きる理由を探している、そんな時にふらっと辿り着いてしまう場所なんだ」
「何かを探して……」
やがてヤカンから湯気が上がり始める。頃合いを見てマスターはトーストを焼き始めた。そして、衣の着いた豚肉をトレイに乗せ、油を火にかける。作り置きじゃないのか。
「君、名前はなんていうんだい?」
「僕ですか? 幹って言います」
「じゃあ幹君、君の席はここだ」
マスターはやよいの隣を指差す。嫌そうなやよいの顔を見て、マスターはニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「私は高峰祥三。この喫茶店『ポラリス』の店長さ。館長の友人でもある」
先ほど原田さんと話していた事を思い出す。遅くなったら送ってくれる人。それは多分、この人の事だろう。
ヤカンが悲鳴を上げた。慣れた調子でマスターは素早く火を止め、コーヒーを淹れる。いい香りがしてきた。そのままポットからカップへとコーヒーを移し、目で訴えてくる。ほら、座りなよ。
抵抗はあったがやよいの横に席を移した。露骨に嫌そうな表情と舌打ちが横から飛んでくる。もう諦めよう。
「君はトマト好きかね?」
レタスとぶつ切りしたトマトをパンに挟むらしい。
「ええ、大丈夫です」
「そうか、それは良かった。夏場は特にトマトが美味いからな。食えない人が稀に居るけど、可哀想だって思うよ」
「悪かったですね、可哀想で」
不機嫌そうに頬杖をついたやよいがぷいとそっぽを向いた。こいつ、トマト嫌いなのか。
「何? こいつ、トマト嫌いなのか……とか思ってんでしょ?」勘が鋭い。
「可哀想だって思うよ」
マスターの真似をして言うと「アレは人間の食べ物じゃない」と答えが返って来た。
「やよいちゃんはからかうと面白いな」マスターはおかしそうだ。
「人を玩具と勘違いしてません?」
「そんな事ないさ」棒読みだ。
二人のやり取りを見ているだけで短い付き合いでないことは容易に想像できた。まるで親しい友達みたいだ。
「驚いただろ? こんなところに図書館なんて」
「それもそうですけど、喫茶店の方が驚きましたよ。図書館と一体化した喫茶店なんて聞いたこともないですし」
「そうだろうな」
「館長とは長い付き合いなんですか?」
「長いな。何せ幼稚園の頃からになる。もう六十年以上の付き合いだ」
「どうして私立の図書館を?」
「さぁな」マスターはおどけた調子で首をかしげる。「あいつの考えている事は未だに読めんよ。きっと趣味が高じてって言うやつだろう。あいつは昔から本が好きだったから」
「でも、それなら本屋でよかったんじゃあ……」
「本屋じゃあ星なんて見れないでしょ」やよいが口を挟む。
「図書館でも星なんて見れないだろ」
「だから作ったんじゃない。自分で」
なるほど。
「まぁ、俺たちは昔から星が大好きだったし、こう言う体系で図書館を設立したのはいわゆる道楽だろうな」
「道楽」
随分と豪勢な道楽だ。
「星ってやつは面白いもんでな、いつも同じ光を放ちながらそこにいるのに、季節によって全く違う表情が見えてくる。同じ星座でも、夜空でも、俺たちの気持ちに呼応して全く違う意味合いを持っていたりする。ロマンチックだろう?」
「なんかそういうの良いですね」
「幹君は話が分かるな。星を好きな奴に悪い奴はいない」
「果たしてそうですかね」一々この女は口を挟んでくる。
「やよいちゃんもそろそろここら辺で素直になったらどうだ?」
「何が」
「彼が悪い人間じゃないことは、とっくに気付いてるんだろう?」
「いーえ、気付いてませーん」
「意地っ張りめ」マスターは苦笑する。「すまんね、せっかく来てくれたのに」
「いや、大丈夫ですよ。特に気にもしてませんし」
するとマスターは大口を開けて笑い出した。
「強いな、君は。普通はむすっとしそうな物なのに」
「前職のおかげかもしんないですね。大きな量販店で働いていたんですけど、色んな人が来るからクレームや言いがかりも多くて。多少の悪意を飛ばされたくらいじゃなんとも思わなくなったというか」
同時に、人に対する興味も薄れた部分はある。学生時代は人との交流を一つ一つ大事にしていた。一期一会が自分の座右の銘で、久々に会った人とでも、頻繁に会う人とでも、全力で接していた。
でも、今の自分にはそういうのがない。失せてしまったのだ。興味が。
「ここで星を見れば、君もきっと変わっていくんだろうな」
「変わる?」
「人を変えていくんだよ、ここは。そういう場所さ。やよいちゃんも随分丸くなったしな」
「これで?」
「人をこれ呼ばわりしないでくれない? 祥三さん、余計な事喋りすぎ」
「はっは、すまんすまん」
マスターは笑いながら皿に盛ったカツサンドを渡してくれた。トマトのぶつ切りとレモンのスライスが大きなカツと一緒にパンに挟まれている。豪快なカツサンドだ。食欲をそそられる。
「美味そうですね」
「美味いにきまってんでしょ。さっさと食べてよ。時間ないんだから」
先に戻るのかと思っていたが、どうやら一応は待ってくれるらしい。少しは心を許してくれたのだろうか。
口にしたコーヒーは、苦味の中にコクがある気がした。
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