1-2 奇妙な図書館

 老人に教えられた、星が見えるという図書館。

 半信半疑ではあったが、特にやる事もないので足を運ぶ事にした。

 ただ……。


「どこにあるんだよ」


 道が分からなかった。


 大通りに即した道を真っ直ぐに歩くと、細い路地がある。

 両脇が塀になっており、その向こう側からは木々が飛び出て、小さなトンネルみたくなっている。


 この辺に家屋はあまりない。お店も、路地の入り口にコンビニが一件あったくらいだ。


 街とさほど離れていないのに、妙にひなびている。

 この土地には長く暮らしているが、こんな場所は初めてだった。


 通りを抜けると、そこは交差するように両側二車線の道路が走っていた。

 そして、道の向こう側には広い田畑が広がる。


 ただ、図書館らしき建物は目に入ってこない。


 老人に渡されたカードを眺めながら、騙されたのではないかと考える。

 無職の暇そうにしている男を少しからかってやった。ありえない話ではない。


「暑い……」


 秋が近づいているからと言って、まだまだ日中は日差しが強い。

 塀から飛び出ている木々の陰をたどるようにして歩いた。


 随分と長く続く塀だ。

 風が吹くと道路の向こう側の稲穂が揺らめいた。


 不意に、ちりんちりん、とベルの音がして自転車が背後から通り過ぎていった。


 若いむぎわら帽子をかぶった、白いワイシャツを着た女性だった。

 緩やかにペダルを踏んで、そこにあるらしい曲がり角で姿を消す。


 何となく気になり、後をたどった。

 女性が曲がったらしい位置まで到達すると、長く続いていた塀が途切れ、中へ入れるようになっていた。

 どうやらこのどでかい塀は、随分広い敷地を取り囲んでいるらしい。


 敷地内へと目を向ける。先ほどの小路と同じく、多くの木々が生い茂り、トンネルみたくなっている。

 濃い影が地面へ落ち、木漏れ日が揺らめく。


 木々のトンネルの向こう側に、大きな建物が見えた。

 プラネタリウムを髣髴とさせる球体状の屋根。


 なんだか妙に心惹かれ、足が勝手に中へ進む。


 施設ではなくただの私有地ではないのか、見つかったら通報されるのではないか、色々と頭の中を不安が飛び交ったが、ここまで来たらもう行くしかない。好奇心には負ける。

 建物の前まで来て分かったが、それらの懸念は杞憂だった。


『星空中央図書館』


 立てかけられた看板には、そう書かれていたからだ。




 大きなガラス戸を押して中に入ると、涼やかな風が肌を撫でた。

 冷房がしっかりと効いている。

 ここ最近は節電節電でどこへ行っても外とあまり変わらない室温だったので、珍しいなと思う。


 受付カウンターと、背の高い本棚がいくつか並んでいる。

 二階建てになっており、吹き抜けになっているためずいぶん天井が高い。

 球体状の外観と同じく、天井も丸く円形だ。随分変わった構造だと思った。


 書店のように緩やかなクラシックでも流れているかと思ったが、そういうわけでもないらしい。

 静かな館内にはわずかながら人の姿があり、ページをめくる紙の擦れる音だけが響く。


 受付カウンターでは、物静かそうな茶髪の女性が一人で本を読んでいた。他に人の姿はない。

 彼女はこちらに気付くと「こんにちは」と笑顔を浮かべて会釈した。

 釣られて頭を下げる。


「はじめての方ですね」

「あ、まぁ。よく分かりましたね」

「ええ。ここのお客さんのことは、全員知ってますから」


 その言葉をいぶかしく感じる。ただのほら吹きか、それともすごい記憶力の持ち主か。

 こちらの思考に気付いたのか、彼女は苦笑しながら口を開く。


「常連さんしか来ないんですよ、ここ。利用者が全体で三十人もいないくらい」

「……なるほど」


 そんな人数で経営が成り立つのだろうか。

 図書館だから、国から資金でも出ているのか。


「それにしても、こんな所に図書館なんてあったんですね」

「しりつ図書館なんです」

「ああ、市が運営してるんですか」


 すると彼女は首を振った。


「いいえ。個人の運営です。同じしりつでも、『私』って漢字の方ですね」

「私立図書館って事ですか」

「そう言う訳です」


 全国にいくつか私立図書館なるものが存在している事は知っていたが、自分の住んでいる、こんなちっぽけな町にそんな珍しい建物があるだなんて予測もしていなかった。

 どこかの企業が管理しているならともかく、彼女はさきほど個人運営だといっていた。

 図書館でそんな事果たして可能なのだろうか。


「入場料とかいるんですか」

「いいえ、いりません。普通の公立図書館と一緒です。図書カードで二週間、無料で本を貸し出ししてます」

「全く無料? 延滞金とかは」

「かかりません。そもそも、返却期限を過ぎた人は今までにいませんから」


 そんな事ってあるのだろうか。

 そもそも個人運営で、どうやって経営するのだ。ますます怪しい。


 眉を潜めていると「何やってんですか」とカウンター奥側にあるドアからもう一人女性がやってきた。

 黒髪でショートカット。白いワイシャツにジーンズ。

 格好から察するに先ほど自転車に乗っていた女性だとすぐ気付く。


「あら、やよいちゃん。もう来たの?」

「暑かったんで、涼もうと思って」


 やよいと言われた女性はそう言うと少し警戒心のある目でこちらを伺う。

 見た目から、どこか幼さが漂う。年下だろうか。


「新しいお客さんですか?」

「ええ、ご新規さんよ。ここの仕組みについて話してたの」

「へぇ……」


 彼女は冷ややかな目つきでこちらを見てくる。

 睨んでいると言ってもいいかもしれない。

 少なくとも歓迎はされてない。

 飛ばされてあまりいい気のする視線ではなく、少しばかりムッとする。


「新しい客が来たらいつもそんな顔するんですか?」


 多少嫌味を込めて言うと、彼女はますます顔を険しいものにした。


「すいませんね、私は元々こんな顔なんですよ」

「接客業としては、致命的だな」


 静かな図書館の空気が妙に緊張したものになる。

 相手の完全なけんか腰にこちらも身構えざるを得ない。

 茶髪の女性がうろたえた様子で視線を動かすのが分かった。


「ほ、ほら、二人とも、こんな所で喧嘩しないで、ね?」

「別にするつもりはありませんけど……」


 そんな目で見られなければな、と言った感じに睨んでやるとやよいはますます顔を強張らせた。


「私だって喧嘩するつもりなんざありませんよ。でもこのお客さん、怪しかったんでつい」

「怪しい? どこが」

「目で分かります。ここの事訝しんでる。少なくとも、あまり良い印象を抱いてない」


 何か反論しようとして言葉に詰まった。意外と鋭いとこを突いてくる。


「以前にもあなたみたいな人がいました。ここを潰そうって言う人だった。同じ目してる」


 どんな目だよ、と突っ込みたくなるのを何とか堪える。

 誤解を解くために素性を明かそうかとも思ったが、そんな義理はないと悟りやめておく。


 勝手に誤解していればいい。

 こんな場所で自分がわざわざ無職だと言う事を明かすのも馬鹿馬鹿しい話だ。


 黙っているのをますます怪しいと踏んだのか、やよいは強い口調で迫ってくる。


「司書としてこれだけは聞かせてもらいますけど、図書カードは持ってるんですか?」

「図書カード?」

「市の図書館で本借りる時に出すでしょ。あれですよ、あれ」

「んなもん持ってないけど。今から作ったら良いんじゃないの」


 するとやよいは勝ち誇ったように口の端を歪めた。

 その仕草がまた子供らしく見える。

 昔、職場で自分に嫌がらせをしてきた先輩が、丁度こんな顔をしていた。悪意のある顔だ。


「生憎と、うちは図書カードの発行は行っていません。うちを利用してくれるお客さんは最初からカードを持って来られるんです」

「持ってなかったら?」

「ご利用はいただけません。お引取り願います」


 なんだそれは。訳がわからない。

 真偽の程を知るために茶髪の女性に視線を移すと、彼女は申し訳なさそうに小さく頷いた。


「うちを利用されるお客さんは三十人もいないくらいって言ったでしょう? あれはみんなカードを持ってこられる方ばかりなんです」

「他の利用客はどこからカードを?」

「分からないの。それぞれ、色んな巡り会わせでここに来られるから」

「いわば図書カードがここにいる資格って事。そしてあんたはそれを持ってない」


 早くお引取り下さい、とばかりにやよいは入り口をあごで指す。

 初対面の相手に中々な性格の悪さだ。


 言われなくても、ここまで不愉快な思いをしているのだから別に帰っても良かった。

 だが、このまま去るのも後味が悪いし、何より納得できない。


 目つきが悪いから敵だと勝手に判断され、酷い言葉を投げかけられ、わざわざ来たにも関わらず早々に帰宅させられる。馬鹿みたいじゃないか。


 弱り果てて、何故自分がこのような状況下に置かれているのかと頭を掻いていると、不意に老人の言葉が思い出された。


『星は好きか?』


「そうだよ、別に本が見たくてここに来たわけじゃない」

「じゃあ何なんですか」


 ポケットから老人にもらったカードをカウンターに置く。


「星が見られるって言われたんだ。だからここに来た」


 置かれたカードを見て、二人とも意外そうに顔を見合わせた。


「持ってんじゃん。カード……」

「カード? これが?」


 バーコードも何も書かれていない。ただの厚紙に印刷されたものだ。作ろうと思えば誰でも作れる。


「その紙がうちの図書カードです。そして今までそのカードを持ってきた人はうちと長くお付き合いいただいてます」


 茶髪の女性が嬉しそうな笑顔を浮かべるのと同時に、やよいは悔しそうに唇を噛んだ。


「ほら、やよいちゃん。お客さんに謝りなさい。たくさん失礼な事言ったんだから」

「でもいくこさん、この人」「やよいちゃん」


 少し厳しい口調と表情で、茶髪の女性はやよいを叱る。

 やよいは目を伏せると、そのままカウンターの奥へと姿を消した。

 ドアが音を立てて閉まり、館内で本を読んでいた客が皆こちらに注目する。


「もう、意地っ張りなんだから。ごめんなさい、根は」「悪い子じゃない」


 言葉を続けると彼女は口をつぐんだ。


「こちらもわざわざ諍いの種になるような事言いましたし、お相子です」


 そこでまだ名前も名乗ってなかったと気付く。


「失礼、僕は幹って言います。幹 隆和(みき たかかず)」

「ああ、ごめんなさい。私は司書の原田です。原田いくこ。あの子は片桐やよいちゃん」

「あの子、いくつですか」

「二十一歳。大学四回生ですね」


 年齢で言えば四つ下だ。随分年下に大人げない態度を取ってしまった。

 そういう点で自分の未熟さや幼さを感じさせられ、妙に気恥ずかしさを覚える。


「二人はここに勤めてもう長いんですか?」

「私は二年くらい。やよいちゃんは、もっと昔からここに通っていて、大学入学を機に働き出したの」

「それだけ、ここに対する思い入れも強いんでしょうね」


 思い入れのある職場。それだけで羨ましくなる。


 前の会社は三年勤めた。何の思い入れもなかった。

 業績と、目標値への進捗と、チームノルマ、個人ノルマ、社内のパワハラ。

 会社の人と縁を切る事に戸惑いはなかった。


「きっと、思い出しちゃったんだと思います。以前この場所を買い取って潰すって言う話があって、その時あの子がここで受付していたから。あとでちゃんと本人から謝らせます」

「別に、もう気にしてませんよ」


 そこで、本来の目的を思い出す。


「ああ、そう言えばさっきの話なんですけど」

「さっきの? ……ごめんなさい、なんだったかしら」

「ここで星が見られるって話」


 そこで彼女は納得したように何度も頷いた。


「ええ。見られますよ、星。ここで」

「プラネタリウムでもされてるんですか」

「まぁ、自然のプラネタリウムかしら。夜になったら見られるんです」

「ここで?」


 原田さんは頷いた。


「星空中央図書館。名の通り、星空の中心にある図書館だから」

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