星空中央図書館
坂
1章 夏の大三角形
1-1 星が見える場所
その建物に行けば星が見えると言われた。
公園にある小さなベンチで座っていた時の事だ。
そこで本を読むのが日課だった。
まだ暑が残っているとは言え、空気は涼しくなり、過ごしやすくなった。
景色は少しずつ秋の気配を孕み、空は青く高くなっていった。
気付くと、横に、ヒゲを生やした白髪の老人が座っていた。
白い帽子を被って、白いポロシャツで、白いチノパンで。
アルビノ、なんて言葉が思い浮かんだ。
遺伝情報の欠損が原因でメラニンが形成されず、肌や髪が真っ白な固体の総称。
もちろんこの人はそうではないのだろうけれど。
「君、本が好きなのかね」
何の脈絡もなく、声をかけられた。
驚いたが、不快感はない。
「ええ、まぁ。それなりに」
答える義務はなかったが、無視する理由もなかったのでなんとなしに頷いた。
「こんな平日の昼間から本を読むなんて、羨ましいね」
「ま、無職なんで。仕事辞めて、暇なんですよ」
「そうか。じゃあ私と似たようなものだな」
「似て非なるものですよ。あなたは定年退職かもしれませんが、僕はただの無職。仕事も探さず、こうして本ばかり読んでいるんだから、働く気もない。ただのニートです」
仕事を辞めたのはつい最近だ。
量販店で働いており、先の見えない業界と勤務体系に嫌気が刺し、よりよい環境で働くため転職を行い自分のスキルを高めていく……と言うのが建前の一つ。
本音を言えば、人間関係の折り合いが悪く、居心地の悪さから逃げ出したと言うのが理由だ。
「どうして仕事を?」
普通初対面の人間にそんな質問をするか?
それとも初対面で、今後会う事もないからこそ聞いているのか。
少し迷ったが、ここは自分も流れに乗らせてもらう事にした。
「接客業だったんですけどね。社員同士のやりとりも、お客さんとの対話も、怖くて仕方ないんですよ。話す事に疲れたって言うか、人と話しているのに、人と話している感覚がしなくなっていって。どんどん対応がずさんになっていくのが嫌でね」
「確かに君はちょっと疲れた顔をしているかもしれないね」
「そうですかね」
「私にはそう見えるよ」
「じゃあ、そうかもしれませんね。普段あんまり見ませんから。自分の顔」
読んでいた本に栞を挟んで閉じた。
ベンチに背中を預け、空を仰ぎながらそっと溜息をつく。
「……すいません、変な話して」
その時、不意に風が吹いた。
その涼しさに、気持ちよくて目を細める。
「いい風だ。もう夏も終わりだね。君は、秋は好きかい?」
「……ええ、割と」
季節の流れは思ったよりもずっと早い。
夏に仕事を辞めたと思ったら、一週間、二週間と日々が過ぎて、もう秋か。
あの職場は、いまどうなっているのだろうか。
くそったれな職場だと思っていたし、未練があったわけでもない。
それでも気にならないわけじゃない。
自分がいなくなっても特に影響はないのだろうと考えると、何故だか寂しさに近いものがある。
社会の後ろ盾も、支えも、束縛も、何もかもなくなってしまう事に対し恐怖を覚えていた。
仕事を辞めれば、人間関係のモヤモヤした感情から逃れられると思っていた。
でも残ったのは、逃げてしまった事に対する、後悔にも近い罪悪感。
「これから、君はどうするんだい」
「分かりません。職探ししなくちゃ駄目だけど、全然やる気起きなくて」
「ご両親は?」
「結婚した姉と同居してて、こっちにはいません。今は親が元々持っていた持ち家を僕が借りてる状態ですね。家賃の心配はしなくていいし、静かなんですけど、静か過ぎて一人でいるのは少し辛いかな」
「そうか」
老人は小刻みに頷くと、立ち上がってこちらに向き直った。
「君は、なんだか私に似ているな」
「僕が似てるなら、似てる人は世の中にたくさんいますよ」
「そうかな」
老人はスッと目を細めると、ポケットから名刺入れのようなものを取り出し、一枚のカードを手渡してきた。思わず受け取る。
書かれた内容に目を通そうとすると「星は好きか?」と尋ねられた。
「えっ?」
「星だよ。夜空に浮かぶ、幾千もの星」
何の話だ。
「天体に関してはあまり興味ないですね。ただ」
「ただ?」
「夜空って言う括りにすると、星は好きです。月や、虫の鳴き声や、星空とか。落ち着きます」
「そうか。それは良かった」
老人は満足げにそう言うと、こちらに背を向けて歩いていく。
「時間があればそこに行くといい。星が見える。きっと君は気に入る」
「はあ……」
歩き去る老人の背中を見送りながら、渡されたカードに目を通す。
地図と施設名が書かれただけの簡略的なものだ。ここからそう遠くない。
『星空中央図書館』
図書館?
星の見える図書館。
聞いた事もない。
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