薔薇の都2
「薔薇の都?」
とある街のカフェ、そのカウンター席で光を溶かしたみたいな白い髪に闇色の眸の。まだ八歳頃の少年、ルーティスが眉根を寄せて看板娘のお姉さんに話しかけていた。
「えぇそうよ」と、お姉さんは困ったように微笑んで、
「フラントロス、という都市はもうないわ。何十年も昔に『薔薇の都』なんて呼ばれるようになってしまったから……」
オレンジジュースを出してあげながら、そう答えたのだった。
「参ったね、その街に用事があったのに……」
むぅと拳で頬杖をついて唸るルーティス。
「ねぇお姉さん? その街ってここから北西方面だったよね?」
「そうだけど……。まさか行く気じゃないでしょうね?」
半眼で睨むお姉さん。
「まさかぁ」
はぐらかしてもルーティス君、行く気は満々である。
そう、行かねばならないのだから。
◇◇◇
地方都市・フラントロス。現在の正式名称は『薔薇の都』。
その名前にちっとも似つかわしくない廃墟の前に、ルーティスは立っていた。時刻は夜。三日月が下弦に輝く物悲しい夜空に吹く荒涼とした風に髪とマントを躍らせながら、ルーティスは影の差した面持ちで前を見る。
――かつてこの都は普通に栄えていた都市だったんだよね……。ルーティスは早足で廃墟の中を歩きながら思い出す。
ふと目の前に影が現れる。
腐りきった肉体に少しだけ骨の見える体つきの魔物――ゾンビだった。
のみならず、さらに牙が喉の奥まで生えた大きな口だけの悪霊や骸骨が単に動いているだけの連中もいる。
「……今では、アンデッド系の巣窟ってわけだ」
囲まれたルーティス君だが、嘆息しただけだ。
あまり戦いたくはないが……。いささか仕方ないところだね? ルーティスは魔力を集中させて呪文を唱えた。
「我が手に来たれ、アブサラストの光よ。彼の者に命の祝福を」
本来は回復の魔法、しかし闇の祝福を受けた連中には毒である。ルーティスはそれを知っていて仕掛けたのだ。
ルーティスの読み通り。彼らはうめき声を上げて踞る。
ルーティスはその間をすり抜けて走る。今は彼らを倒す訳にはいかない。
アンデッドの群れを走り抜けていると、ルーティスは廃屋の影から明るさが漏れている事に気がついた。不審に感じたルーティスは路地を曲がり、光源の元へと向かう。
やがてたどり着いた光の下には。炎上する幌馬車と幾人かの遺体に喰らいつくアンデッド達だけだ。
どうやら旅人の一団が迷い込んでしまい、アンデッドにやられたらしいね、で、火を付けて追い払おうとしたが返り討ちにあったんだなぁと。ルーティスはあたりをつけた。アンデッド、特にゾンビに火が効くというのは迷信だ。相手にそんな感覚はありはしないし、何より火が効くのは腐った肉体の方だけだ。
「はっ!」
多分生存者はいないと思うが。とにかくアンデッドを追い払う必要があった。ルーティスは小さな拳を振ると、拳風を奏でてアンデッド達の気を引いた。ゾンビ達はゆらりと緩慢な動作でルーティスの方を向く。そして唸り声を上げて襲いかかる。
「白露よ集え、迷宮を築け。彼の者達を永遠の迷いに導け」
その刹那にルーティスは魔法を創り出した。次の魔法は方向感覚を狂わせる霧を発生させる呪文。この霧中では音が乱反射して幻影や奇妙な芳香が漂う為、追跡や脱出が困難になる。
ルーティスは霧の中を右往左往するアンデッド達を獲物に飛びかかる水鳥の如き素早さで。喰い散らかされていた人の元へと駆ける。
ダメだ。ルーティスはかぶりを振った。この人達はもう生き絶えている。改めて横倒しの幌馬車と散らばった梯子やらボールやらを見回して、なるほど、旅芸人の一座かと。ルーティスは判断した。
「おやすみなさい」
ルーティスは小さく呟くと、目を閉じて魔力を集中させる。
そして小さく呪文を唱えたら。彼らの遺体は全て花畑へと変わる。
ふと、うめき声がルーティスの耳に届く。ゾンビかと思ったが、違うみたいだね? ルーティスは声のした方に向かう。
そこには。身体を半分ほど喰い散らかされた中年男性が転がっていた。
「まだ息はあるね」
ルーティスは動脈に血が流れているのを確認すると。回復と解毒、鎮痛と浄化の魔法を同時にかける。貫禄からみて座長さんかな? ルーティスはそう思いながら魔法をかけ続ける。
「……み、さき……か?」
弱々しい声音が、ルーティスに聞こえてきた。
「いえ、僕は違います。旅人です」
「そう言え……ば、違うな。暖かい……白魔導士……なの……か……」
ルーティスは無言で頷く。
「なら……儂はもう……もたん。最後に、はぐれ、た……少女を……。捜してくれんかね?」
「お安いご用です」
ルーティスは静かに答えると、回復の呪文を打ち切り。“癒し”の呪文へと変える。
癒しは回復だと思われている節があるが、実は違う。癒しの魔法は時に人を殺す事もしなくてはならないのだ。
「癒されよ。永遠の旅人。永久の眠りを甘受せよ」
静かに呪文を唱え終えて。ルーティスはさらに呪文を重ねて彼の遺体を花へと変え始めた。
そしてこの人から頼まれた人を捜すために立ち上がりかけたその時に。背後から霧をかき分ける気配を感じとる。
アンデッドじゃないね? ルーティスはそう判断して振り返る。
そこには、若干赤色が入った長い黒髪の十五才程の美少女が立っていた。
「座長……」
辛そうに、ルーティスが抱えている花になりかけている中年男性の遺体を見て呟く少女。
「もしかして、この人の言っていた『みさき』さん?」
「そうよ、私はこの一座で
ルーティスの問いに、みさきは頷く。
「座長は……」
「助けられなかった……。ごめんなさい」
「いいよ、私も振り落とされてやっとたどり着いた処だから」
二人はしばらく俯いて、死者の魂を弔い続けた。
◇◇◇
フラントロス――。
かつてこの地方都市にとある疫病が蔓延し始めた。全身に紅い血の斑点が浮かび上がり、やがて死に至る病……。その様子はまるで『薔薇の花束を抱えている』ように見えた事から。この都市は『薔薇の都』と呼ばれて、病が伝染しないように街道を封鎖され孤立した。
ある日その街に、白魔導士の少年がやってくる。まだ十歳にもならない白魔導士の少年は献身的に街の人達を救った――。
「――それがこの『薔薇の都』のお話よ」
みさきはルーティスと先を目指しながら、この都市の謂れを話す。
「お姉さんお話上手いね!
ルーティスは満面の笑みで喜んだ。
「そりゃ私はクラウンだからね? 芸術一般は色んな事ができなきゃ怒られるわ。ところで貴方は?」
「僕はルーティス、ルーティス・アブサラスト。白魔導士なんだ」
「へぇ~、白魔導士さんか~。この都市に訪れた子と一緒だね!」
みさきはくすくすと笑う。
――この子がいて本当に良かった。みさきはふっと笑みを浮かべる。座長や皆の遺体を見たとき哀しかったけど、この子がちょっとずつ励ますように話しかけてくれたから。今では少し、大丈夫。みさきはそう感謝していた。
「……そう言えばみさきさんって『タカマ人』っぽい気がするんだけど?」
いきなりルーティスが尋ねてくる。
「うん、タカマ人だよー」
みさきはあっさり肯定。
「タカマ国の北の方、雪国出身なんだよ♪」
「どうしてこっちの国に来たの?」
「内乱で鉄砲の火薬代金の代わりに奴隷として売られちゃったのよー」
いやー参った参ったと朗らかに頭をかくみさき。内容はちっとも朗らかではない。
「……内乱? タカマ国で?」
眉をひそめるルーティス。
「そーだよぉ」と肩をすくめるみさき。
「私が売られた時は鉄砲が伝わってきたちょうどその時でさー。内乱が始まった頃だったの。だから天下統一して国を創る為に鉄砲と火薬が大量に必要でね、私も奴隷として売られちゃったのよー」
「……今度はタカマ国に行こうかな?」
ルーティスは厳しく眸を細めて、そう呟いた。
「ところでルーティス君?」
「はい、何ですか?」
「この薔薇の都になんの用事? 私は単に迷い込んだのだけど、貴方は何か別の用がありそうだね?」
「あー……、うん」と歯切れ悪そうにルーティス。
「……ここの亡霊達を、浄化しに来たんだ。白魔導士だからね」
そっか、みさきは小さく呟いて、
「大変だね」
と付け足した。
「……よくあることさ、こんなのは」
立ち止まったルーティスの、天を仰いだ呟きは。どこまでも物悲しそうな、まるで深い闇の底に吹く渇いた風を帯びている事に、みさきは気づく。その様子は、何か大切なものを奪われたようにも見え。荒涼とした廃墟に流れる風が、さらに彼の世界に刻み込まれた哀しみを増幅させていた。
――この子はただの少年じゃないのかも。みさきはそう直感する。
「……嫌な奴が棲んでいるね、ここ」
「へ?」
みさきの間の抜けた声の奥、その常闇の彼方を睨むルーティス。刹那、ルーティスは駆けてみさきを押し倒した。
「えっ? ちょちょっとルーティス君?!」
慌てて叫ぶみさき。しかしその声が終わる前に、ルーティスの真上を巨大な刺付き鉄球がかすめてゆく。
「鉄球騎士……。厄介だね」
起き上がって肩をすくめるルーティス。その視線の先には、鎖の付いた鉄球を振り回す甲冑が仁王立ちしていた。
再度鉄球が、ルーティスの方に向かってくる。ルーティスとみさきは互いに別々の方にかわして逃げた。
「みさきお姉さん!? 危ないよ!!」
「んん、大丈夫! 私だってちょいとばかりは戦えるからね!!」
言うが早いか、みさきはナイフを二本投げた。曲芸じみた戦闘スタイルはクラウンの基本。
しかし……。
「効果、うっすいね……」
みさきは苦虫を噛み潰す。ナイフの内一本は甲冑に当たって弾け跳んでしまった。残り一本は兜の隙間から目に当たった筈だけど……。相手は全く堪えてない。
「みさきお姉さん! あれは影の魔物だよ! 普通にナイフを投げたって効かないさ!」
ルーティスはそう叫び、魔物へ突撃する。鉄球の猛進をくぐり抜け、ルーティスは白い光を右手に集めてぶつけた。
浄化の光だった。ルーティスは甲冑の中にいた影にそれを送り込んで消し去った。
「ふぅ、嫌な奴がいるよ」
一息ついて、ルーティスはみさきの方を向いた。
「みさきお姉さん、大丈夫?」
「え、えぇなんとか……」
みさきは呟きながら、紳士的に差し出された少年の手を取ったのだった。
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