弱き者、汝の名は女なり《原著 花楽下 嘩喃さん》

 慎二から電話がかかってきた。


「もう一度会わない? ミヨちゃん」


 ……なんやねん、今頃。


 ウチは平静を装って、素っ気なく呟いた。


「別にええけど」




 何を思ってウチに電話してきよったんやろ。あんた、三年前ウチになんて言って別れたか覚えとるん?




『ミヨちゃん以外の女の子も知りたい』


 三年前に、俯いて喫茶店でそう告白した慎二。

 わかっとるで。あんたとは八歳も違うし、ウチは年上でバツイチで前の男の子供もおるコブつき女や。加えて最近まで土葬してたっていう八つ墓村みたいな、祭りの時しか活気のない過疎まっしぐらのど田舎出身やし、一人娘やさかい跡を取るために家も出られんし、じいちゃんばあちゃんは口だけは達者やけど、近いうちに確実に介護はついてくる。


 慎二、あんたはウブでウチが一人目の女やった。あんたはまだまだ若いし、他の男の子やったら遊びたい盛りや。他の女の子を知りたい気持ちも分かった。だから


『さよけ』


 ウチは広い心でそれを認めたった。

 でも、恨みがましくねちねち言葉を添えるのも忘れんかった。


『あんたとウチはめっちゃピッタリやったと思うわ。三年間、楽しかったやろ。あんた、ウチが一人目やさかい分からんやろけどな、ウチみたいに相性のエエ女そうおらんで。多少オイタしても許して迎える女なんてそうそうおらへんで。まあ、ええわ。あんたがそういうなら仕方ないこっちゃ。別れたる。後で後悔すりゃええねん』


 三年前の精一杯の虚勢。


 その夜、ウチは布団の中で泣いた。一緒に寝とるアカリがママ、どうしたん? て何回も聞いてきたけど、無視して思いっきり泣き叫んだ。



 * * *



「いくべきか、いかざるべきか」


 低く呟いて、冷たい水で洗った後の顔を洗面所の鏡で見る。ちょっと頭がスッキリしたな。

 うむ、いつ見ても別嬪や。三十路過ぎには思えんな。


 せや、待ち合わせすっぽかしたってもええねん。

 あいつが、ウチを振りよってんからに。

 待ちぼうけ食らわせたったらええねん。今更虫が良すぎるんじゃ。


 そう思いながらも、ウチはお母さんに電話をかけて娘のアカリの保育所のお迎えを頼み、前にいつ着たんかわからん勝負服を着て、いつの間にかアイラインバッチリ埋めて化粧しとった。




 ……ちゃうねん、慎二に会ってやな、『こんなエエ女振ってアホちゃうお前』って別れ際に言ってもええなぁ思たんや。

 せやせや、未練がましく復縁迫ってきよったらそう言ったんねん。鼻で笑ったんねん。ザマアミロや。いい気味じゃ。



 慎二と別れてから、ウチはシングルマザーとしてしっかり毎日を生きとった。正社員になって、ちゃんと育児して、ママ友とも遊べる時は遊んで。

 慎二がおらんでもやってけるんや。楽しくたくましく、ウチ生きていけるやん。娘がおったらそれで十分や。

 そう、思っとったのに。





 ……なんやねん、このワクワクドキドキは!?


 なに期待しとんねん。ウチ、アホちゃう?


 八も年上のババアに若い男の子が戻ってくると思っとるん?

 いや、思ってるからドキドキしてんねやろ。


 フルメイクした自分のおでこを鏡に押し付けて、うーん、と唸ったあと、ウチは家を出た。



 * * *



 待ち合わせは二駅向こうのこの辺では栄えてるスポットの商店街の外れの店。

 喫茶カテドラル。メニューのウインナーコーヒーがアホほど生クリーム乗せてあって美味いから何回か慎二と来てん。


 チリン、と音を立ててドアを開けると愛想もクソもないマスターが『久しぶりやなお前』みたいに目を見開いてウチを見た。


 慎二は奥のテーブル席におった。


 変わってへんかった。

 たくましい身体つきも、優しそうなちょっと頼りないような顔立ちも。


 ……コラ、なんやねん、きゅん、て。こいつ、ウチを振りよった男やで。胸がキュン、てなんやねん。



「ミヨちゃん、久しぶり」


 控えめに慎二が言った。


「久しぶり」


 ウチは八歳年上の女のヨユウを見せて椅子を引いて座った。


「元気そうだね、変わらないね。アカリちゃんは何歳になったの?」

「六歳。来年小学生や」

「……大きくなったね」

「ご注文は」


 マスターがカウンター向こうで面倒臭そうに声をかけた。相変わらず無愛想やな、客商売やで、ちゃんとしいや、ええ歳したおっさんが。


「ブレンドとウインナーコーヒー。それでいいよね?」


 覚えてんねんな。そのとおりや。


 マスターが豆を引き出した。うるさい音やし、今がいいタイミングやな。


「で? なんでウチに連絡してきたん?」


 三年前と同じように慎二は俯いて。そして小さい声で答えた。


「も、もう一度ミヨちゃんとエッチしたかったから」










 ――愚かなる者、汝の名は女なり。





 ……ウチはアホやったわ。


 乙女みたいに胸キュンしたり、真面目にこの男が自分と復縁を願ってくるかもなんて考えたり。


 かっこようサラリと『今更。済んだ話やで』とクールに決めるセリフと。

『そうか。やっぱりウチんとこ帰ってきたか。まあ、許したる。他の女知って、一回り成長したんやったらええわ』なんていう懐の大きい姉さん的なセリフを二つ用意しとったのに。


 オシャレしてめっちゃフルメイクで決めたウチが。

 三年前を思い出して切なくなっとったウチが。


 可哀想やろが!




 お前、十代の男子か!

 そんな本能しかないセリフ言って許せんのは二十二歳までじゃ、恥を知れ!




「はああああ!? いてまうぞワレ!」

「ち、違う。そ、それもあるけど。ミヨちゃんと今度は結婚前提に付き合いたくて」


 慎二は焦ってブンブン首を振った。


「ごめんなさい。僕が馬鹿でした。三年前、家族と友人にミヨちゃんとの関係についてゴチャゴチャ言われて。兄貴から『そんな田舎の女と結婚して将来棒に振るのか』とか。『お前、他の女知らんまま一生を終わっていいのか』とか。……ごめん、本当のことです。なんていうか、頭がぐるぐる回って言いなりになって。でも、僕が馬鹿でした。自分のことだから、自分で決めれば良かったのに。周りが何を言っても 僕のことだから、自分の意志を貫けば良かったのに。僕は次男で長男でもないし。もう、二十歳過ぎてたのに子供みたいに」


 慎二は手を伸ばしてウチの手を握った。


「ミヨちゃん。この三年間、ミヨちゃんのこと忘れられませんでした。他の女の子と付き合いたいとは思いませんでした。ミヨちゃんの言うとおりでした。お願いです。僕をミヨちゃんの旦那さんにしてください。アカリちゃんのお父さんになりたいです」


 ウチは勢いを削がれてぽかりと口を開けた。


 いきなり結婚の話を持って来よるとは誰も思わんやろが。


 でも、慎二の性格を知っとったウチは慎二が嘘を言うてへんことが分かってた。


 ……どないする?

 急展開や。


 波に乗んのか? 乗っかったらええんか?

 それやと『安い女』過ぎへんか?

 三年間ほっとかれたのに、呼び出されて告白されたからって、ホイホイプロポーズ受けるんか?




 ……アカン。

 今すぐに決められることちゃうやろ。いや、すぐ決めたらアカン。それやから1回目は失敗したんや。




「……とりあえず、あんたとはヨリ戻したるさかい。しばらく考えるわ」

「ありがとう」


 慎二はほっとしたようにくしゃりと笑った。


 ああ。慎二の笑顔や。


 その顔を見て、ウチはじん、と胸が熱くなって泣きたくなった。






 女は弱いなあ。そんでアホや。ふらふらフラフラ、気持ちが揺れて、結局男の言いなりになって。

 でもしょうがないやん。


 ウチ、やっぱり慎二が好きなんやさかい。しょうがないやん。


 でもなあ、女はそんなに弱くもない。


 それを証拠に、ウチは心のどこかが冷めていて、冷静にそんな自分を見ていた。

 三年間の重み、てやつやな。そりゃそうやろ。一度別れたんやし。何もかも元どおりにはいくかい。


 失敗しても別にええわ、なんて思いも少しあった。

 何事もやってみやな分からんのさかい。失敗したらその時はその時や。バツイチもバツニもそんなに変わらんて。開き直って、その時は次の男探したらええ。


 そんないろんな思いがウチの心の中では混在していた。




 ブレンドとウインナーコーヒーを持ったマスターがテーブルまで来ても慎二はウチの手から手を離さんかった。久しぶりの大きくて温かな慎二の手はなんだかこそばゆくてウチはじれったかった。


 ウインナーコーヒーのカップにもう片方の手を添えてみても、その温もりじゃウチには足らんかった。全然物足らんかった。


「……じゃあさっさと飲んで、店出るで」


 生クリームを啜りながら、こみ上げる欲求を押し隠し、ウチは慎二の手をぎゅっと握り返した。


 くそ、もう二度と逃がさんで。逃げたい言うても離すかい。


「ウチも三年ぶりなんやし」


 八歳年上の女のヨユウを装ったつもりやったけど。


 ウチはとうとう我慢出来んくて誘った。



「早よホテル行くで」






――弱き者、汝の名は女なり。



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