川は流れる 《原著 水円 岳さん》

 改題


 《土に還る》




「なんともはや。絶景かな」


 私は独りごちて目の前の風景に嘆息した。


 ここは近畿のある県境に位置する集落である。

 のどかな里山の春は若木色と薄桃色に染められている。

 ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ。

 響きわたるウグイスの鳴き声が何とも耳に気持ち良い。


 私は春を謳歌していた。


 高原の爽やかな空気。

 頭上から照る陽射しの温かみ。

 足下に広がる苗代の終えた水田のぬるい泥の匂い。


 私は春を謳歌していた。


「遠かったけどここまで来て良かったなァ」


 同じ職場の若い男の子から聞いた場所である。

 私が桜の写真を撮るのが趣味だという話をしたら、彼の故郷を勧めてくれたのだ。


 隠れ里の山間の桜。

 今、周りには自分しか居ない。

 静かにこの空間を独り占めである。

 なんとも贅沢ではないか。


 街中の桜なんぞは、周囲の人間が煩くて仕方がないのである。いつもアングルを決めるのに必死で、こんなにゆっくりと桜の美しさに浸るのは久しぶりだ。それに気づいた私はこれまでの自分を大いに反省した。


「ああ。あれが、墓山か」


 一本だけ周囲の木とは群を抜いて生えている大きな楠。古い木なのか葉が落ちて魚の骨のように枝がむき出しになり、なんとも殺風景である。

 それが目印だと、先ほど話した老婆との会話を思い出した。


『この辺は最近まで土葬やったさかい。近くに墓山があるよ』


 どうやら、このあたりは昔、渡来人の里だったようだ。

 百済あたりから来た刀匠たちが住んでいたのではないかと言われているらしい。

 ある大学教授が調査したところによると、この里で行われていた葬儀は古代大陸の高句麗式と似ているとか。


『黒じゃなくて白い葬衣を着て葬列を組むんやわ。棺桶運んでねえ。黒い衣を着るのは泣き女。仏さんの髪と日用品はとっといて、また別の石の墓に埋めるんやわ。この辺は二つ墓があるんよ。身体埋める墓山と、髪を入れる墓』


 墓参りはどちらに行くんですか、と私が聞くと。

 両方やねん、との言葉。

 なんとも面倒くさい話である。


『昔はねえ、よく人魂が出たんよ』


 ぞぞぞ。


 まあ、今は真っ昼間の正午である。

 怖れることはないだろう、と私は墓山に足を運んだ。


 土葬は国で禁止されてはいるが、今でも文化的に認められているところもあるのだ。

 この現代の日本でまさか最近まで土葬が行われていたとは思ってもみなかった私は、新鮮に興味深く感じた。


 あぜ道をしばらく歩くと六地蔵が見え、その向こうの丘に木の板が無数に存在しているのを認める。

 丘のふもとは若くして死んだ者の場所。頂上に行くにつれて年代があがっていくのだそうだ。

 私が今死んだら、どの辺りに墓を作るのだろうか。


 古来、日本人は土葬が主であった。

 農耕民族である我々は土と共に生き、死に、土に還るのが自然で、それが相応しかったのだろう。


『まだ若い墓もあるさかい、踏まんようにねぇ。ああ、墓場で転んじゃアカンで』


 踏まないように埋めた場所の目印として、墓標の他に木の枝を曲げて交差させた印もあるとか。


 墓山と言っても小さなただの丘だ。

 私は少し汗ばんで登りきり、頂上にて座ると、煙草を取り出し一服した。


 光を反射する水田、伸びゆくワラビ、それをつたうテントウムシ。

淡い色合いの青空に白い雲がゆうゆうと流れてゆく田舎の様を私は観察した。




「……永遠なる欲望の果てに誰もが土に戻るなら……失くすものは何もないはずさ」




 ナンチャッテ。

 わかる人にはわかるセリフを言ってみたりする。


 一人苦笑しながら、私は尻の土を払い、立ち上がろうとした。

 その時である。


 ずぼっ。

 足下がすくわれた。


 いや、ハマったのである。












 腰のポケットでスマホが震えた。

 私はゆっくりとそれを掴み出した。



『あ、パパ? 今、何してる?』


 ――父さんな。腰が抜けたんだ。


『はあ? なにそれ、どういう意味? ……まあ、いいや。ねえ、お肉が特売セールなの。今日、焼肉にしない?』


 ――いや。悪いけど、父さんな……しばらく肉は食べられそうにない……。



 



人は、土に還る。



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