第2話 峰吉の書き換え始め

 近江屋事件の後の峰吉は、自分がどこでどういう行動をしたのか、はっきり記憶がない。龍馬の死によって取り乱していたのだろう。かすかな記憶をたぐりよせて考えると、とにかくも、この事件を陸援隊へ報せようと京の北白河の彼らの駐屯地に走ったことは覚えている。


 また、近江屋主人・新助も土佐藩邸へ駆けて報せたので、近江屋へは、土佐藩士や陸援隊士らが多くやって来た。龍馬の変わり果てた姿を見て、場をはばかることなく、号泣している藩士もいた。そして、近江屋の従業員と同じく、峰吉も土佐藩士から事情聴取を受けた。


 近江屋事件から5日経た今、実家である本屋・菊屋の一室に端座たんざし、瞑目めいもくして龍馬との日々のことを考えている。峰吉はもう泣かなかった。もう涙は出ない。れるほどに泣いたからだ。そして、龍馬から託された書道具で「日本人が血を流すことで創り上げられてきた幕末史」を書き直す決意をしていたからだ。



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 明治10年(1877年)、峰吉は西南戦争から帰還した。近江屋事件を契機として親しくなった土佐藩出身の熊本鎮台司令長官・谷干城たにたてき伝手つて会計軍夫かいけいぐんぷとなり、従軍していたのだ。


 菊屋は、父の音吉が数年前に隠居し、兄の和吉かずきちが継いでいた。峰吉は、兄の手伝いとして、維新後、店の帳簿管理などをして暮らしていた。そんなとき、明治10年2月、最大規模の士族反乱である西南戦争が勃発した。

 峰吉は、薩軍さつぐん(西郷軍)に包囲された熊本城が官軍によって解放されたのちに、この城へ入り、商人であることを生かして会計軍夫として働いた。戦線に出て銃剣を振るって戦うなど、自分には無理なことは分かっている。自分に向いていることは、後方を守り、前線の将兵を支えることだと思い定めていた。谷に頼んで会計軍夫として従事することになった。


 明治10年9月24日、この大規模反乱は、西郷隆盛の鹿児島・城山での自害によって終焉を迎えた。この反乱で約7ヵ月のうちに薩軍、官軍、双方合わせて1万人以上の戦死者を出した。戦地で働いていた峰吉は、10年前に龍馬が言っていた、誰も傷つかない歴史からは程遠いことを身にしみて実感していた。


 軍務を終えて京都の実家に戻った峰吉は、

(もう、いいだろう。)

 と、心に期するものがあった。


 多くの幕末維新に関する書籍、史料、回顧録などが書架しょかに収蔵された自室で端座していた峰吉は、ついに歴史を書き直すべきときが来たと見定めた。西南戦争は、士族反乱の最後を飾ったものと言ってよい。あの維新史の巨星・西郷隆盛でも、政府軍に勝つことはできなかった。もう、どんな不平分子も、反乱などという無謀な手は考えつかないだろう。


(龍馬さんが亡くなってから10年か。長かったな。)


 峰吉が龍馬の死(慶応3年・1867年)の後、すぐに歴史を書き直さず、10年待っていたのには理由が二つある。


 一つは、幕末史の発端とも言える嘉永かえい6年(1853年)のペリー来航以降を記した書籍、史料などがすぐにまとめられて刊行されるわけがないからだ。しかも、龍馬の死後も旧幕府軍は残っているので幕末史はまだ続いている。鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、彰義隊しょうぎたい、会津の悲劇、箱館はこだて戦争など、まさに戦いの歴史だ。旧幕府軍が完全に降伏して一区切りがつく。その一区切りのあと、世の歴史家は幕末史をまとめていくだろう。それらがまとめられるのを待って幕末史の書き換えを始めようと思った。


 もう一つは、維新が成り、新政府ができたが、世の中から武士が消えたわけではない。新政府は改革をする中で、武士の不満がたまるようなことを次々にやった。それが士族反乱というかたちで各地で暴発した。峰吉は、維新後の世の中の動静を観ていたと言ってよい。熊本へ行き、西南戦争の渦中かちゅうに飛び込んだのも、間近で最後と思われる士族反乱を観るためであった。この歴史の流れをある程度観て、幕末史以降の歴史の行き着くところを知った上で書き直そうと思っていた。


(案の定、龍馬さん亡き後の世になっても、日本人同士が血で血を洗う戦いをしたわけだ。龍馬さんの言ったとおりになったな。)

 だから、この明治の世の士族反乱などで流された無数の人々の血も、幕末史を書き換えることで歴史の推移・方向を変え、流さずに済むようになると峰吉は思った。


 峰吉は、10年にわたって収集した幕末史の書籍や史料、回顧録などを時をかけて読みあさり、ペリー来航から箱館戦争の終結までの歴史を紙に書き記して1冊の本としてつづっておいた。これを文机の上に置いた。嘉永6年のペリー来航について書いた第1こうを開いた。他に歴史を書き直すために必要な大量の紙が同じく文机ふづくえの上に置いてある。この文机は、峰吉が生まれる前からこの部屋にあった調度品ちょうどひんで、峰吉は子どもの頃から、この文机で手習いなどの練習をしてきた。


 そしてついに、10年前、龍馬から託された麻の袋の中の書道具を取り出した。西南戦争のときも家族に発見されないために実家に置いたままにせず、戦地まで持っていくほど、肌身離さず所持していたのだ。


 筆、すずりすみ。まじまじと見たのは、これが初めてだと思う。何の変哲もない三点の書道具だが、どれにも龍馬の思念しねんが乗り移っているように感じられる。


 峰吉は、硯に水を垂らし、墨をり始めた。墨ならではの独特の香りが広がってくる。室内には、墨を磨る音が一定の音律で響いている。磨りながら思った。

(龍馬さんの思念か。宿っている感じもする。だが、これが何の効力もない書道具だったら、おれの10年は何だったのか。とんだ笑いぐさになるな。)


 しかし、峰吉は、そんな想いは打ち消した。龍馬を信じている。龍馬がこれらに歴史書き換えの力があると信じていた以上、自分も信じるしかない。それが龍馬を信じる者のあるべき姿だ。


 筆を手にとる。峰吉は、この筆が非常に軽く、書きやすそうで、自分の手に合っていることに驚いた。まるで、自分を待っていてくれたかのように筆の方から自分の手になじんできてくれているような感触だった。


(では、書き始めます。龍馬さん。)


 この日は、明治政府が採用した太陽暦(新暦)の日付で、1877年12月10日。龍馬が亡くなった旧暦1867年11月15日は、新暦のこの12月10日にあたる。つまり、今日は、龍馬が亡くなってから、ちょうど10年目にあたる。峰吉は、あえてこの日を選んだ。この日をもって、歴史は書き直されるのだ。峰吉は、身震いした。


 まず、ペリー来航について書くため、「嘉永6年」の「嘉」をまっさらな紙に書いた。瞬間、部屋全体が真っ白な光に包まれた。

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