峰吉の筆 ー幕末史書き換え 誰も傷つかない幕末ー

青木

第1話 龍馬との約束

みねやん、軍鶏しゃも肉、うてきてくれや。風邪かぜ引いちょるときは、軍鶏鍋が一番ぜよ。」

 近江屋おうみやの二階で坂本龍馬さかもとりょうまにそう言われたのは、もう日もとっぷり暮れた頃だった。先月から龍馬はこの近江屋に滞在し、同志との打ち合わせもここでやっていた。ここ数日、風邪を引いていたが、今夜は陸援隊りくえんたい・隊長の中岡慎太郎なかおかしんたろうと会っていた。


 峰吉みねきちは、龍馬から握らされた小銭を持って、河原町かわらまち通りを南へと向かい、肉屋で軍鶏を買った。寒さに背を丸めながら近江屋へ足を急がせる。


(寒いなあ。はよ戻って龍馬さんと中岡さんに食べてもらお。おれも、おこぼれ、分けてもらえるやろか。)

 と、近江屋の前で峰吉の足が止まった。中の異変を肌で感じた。開いたままの戸から、のれんをくぐって入ると、二階に続く階段の下に大男が倒れていた。


藤吉とうきちさん!)

 龍馬の付き人をしていた元力士だ。背中を一刀でち割られ、うつ伏せのまま絶命していた。峰吉の手から軍鶏がすべり落ちた。階段を駆け上がった。階段の踊り場に人の動く気配。龍馬だ。手すりに寄りかかりながら這って進んでいた。


「龍馬さん!どうなさはったんです!?何が!?」

 峰吉は、気が動転した。とにかくも、龍馬を腕の中に抱えた。


「峰やん・・・。わしゃ、もういかんぜよ。脳をやられたきに。中岡もやられた。悔しいのう。」


「しっかりしてください!龍馬さんは、新しい日本に必要な人です!一体、だれがこんなことを!」

 峰吉の目に涙があふれてきた。峰吉は17歳だ。龍馬に出会ってまだ1年。もっと龍馬のそばにいたかった。心から尊敬している。


「だれかぁは、わからん。・・わからんが、同じ日本人同士、なんで殺し合わないかん。ペルリ(ペリー)が来てから日本中ほたえまわった(※)が、それで数え切れんくらい人が死んだ。半平太はんぺいた以蔵いぞう土佐とさの仲間。みんな、みんな。」(※ 騒ぎまわった)

 龍馬は呼吸をするのも苦しそうな顔で、ふところに弱々しく手をやると、麻の袋を取り出した。


「峰やん。これは、わしが海援隊かいえんたいしゆう(※)ときに長崎で、ひいきにしちょるしん国人の商人からもろうたもんじゃ。」(※ やっている)

 龍馬は、峰吉に袋を渡した。峰吉が袋の中をのぞいてみると、筆、すずりすみが入っていた。


「・・・。」

 峰吉は訳も分からず、この三点の書道具を見つめていた。


「そんとき、その清国人は『これを使って書いた歴史は、その通りになる。ただし、過去の歴史しか書けん。つまり、書き直すことしかできん。』と言うとった。その清国人は、それっきり姿を現さんくなったし、半信半疑、いや大嘘こきやと思っちょったが、なんか気になって今日まで持っちょった。峰やん、これでおんしが歴史を書き直してくれ。」


「龍馬さん!気を確かに!」


「おいおい、脳をやられとるが、気は変になっちょらん。信じちょらんようやな。仕方ないわな。わしも試したことがないきに。じゃが、おまん、書いてくれんか。おんしは、本屋の伜じゃ。本もよう読んどるやろうし、文も上手く書けるやろ。」

 確かに、峰吉はこの近くの本屋・菊屋の息子だ。


 龍馬は続ける。

「峰やん、さっきも言うたが、ペルリが来てから日本人は血を流しすぎた。だから、わしは新しい日本になるにしても、血を流さずに幕府を倒す道を選んできた。じゃが、わしもこうなった。これからも、どんどん人は死んでいくじゃろう。この手習いの道具があの清国人が言うように本物なら、誰も傷つかない歴史を書いてくれ。」

 不意に、龍馬の目から涙が止めどもなく流れてきた。これまで見てきた親友や仲間たちの死が思い出されたのだろう。そして、今度は自分がかなければならない。その悔しさもあるだろう。峰吉は、そう感じた。


「わかりました。これが本物なら、おれが歴史を書き直します。誰も傷つくことのない歴史を。約束します。」

 峰吉は、決然として言った。


 龍馬は、さわやかにほほえんだ。このほほえみで、どれだけ多くの人間の心をとらえてきただろう。峰吉もそのうちの一人だ。


 そして、静かに龍馬の目は閉じられた。その目は二度と開かなかった。

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