第16話 折れた心

 俺の手が――――透けている・・・・・


 余りの驚きにエイミー達を振り返る。

 すると、エイミーとアルも薄く透明になっていた。

 自分の体を見ると、肌の出ている部分は全て透明になっている。

 は? これはいったいどういう事なんだ。なんで、透明になっているんだ。

 思わず、手を離した。すると、透明だった肌に色が戻ってきた。


「今の透明になった現象はなんなんだ? エイミーは分かるか?」


 俺の問いに、エイミーは唸る。そして、小首を傾げて考えてから、ぽつりと答えた。


「確信はない。だけど、もしかしたらこれは、変える事が出来ない・・・・・・・・・『未来』なのかもしれない」


 変える事が出来ない未来。それはどういう意味なのか。


「例えばの話をするわね。私がタイムマシンを作ったとする。まぁ、実際に作ったわけなんだけど。そこは置いておいて。仮にだけど過去に行って私のパパとママを殺した場合。そこに矛盾が発生するの。過去でパパとママを殺した場合、結果として私が生まれる事は無い。いえ、生まれるはずがない・・・・・・・・・。という事は、過去でパパとママを殺した私は消える運命になる」


 それは、俗に言うタイムパラドックスという事か。過去の出来事を変えようとしたら、未来が変わってしまう。だから、どんなに過去を変えようとしても、変える事が出来ない・・・・・・・・・

 つまり――。


「聖剣エクスグラスは、イアンの兄が手に入れる。そして、イアンに託されて、魔王に聖剣エクスグラスを折られる。これは既に変える事が出来ない。確定した未来・・・・・・だということか」


 それを意味することは……。変える事が出来ない現実。


「そういう事。私達が聖剣エクスグラスを手に入れようとした場合、『聖剣エクスグラスを手に入れたケヴィン=ブレイズ』と、『魔王に聖剣エクスグラスを折られる』という二つの結果が変わってしまう。恐らく、この結果・・が変わると、人族は魔王軍に滅ぼされてしまう」


 そういう事か。だから、俺の手が透けていたのか。


「それによって、俺達の先祖が死んでしまうから、俺達はさっきみたいに透明・・になって、消えそうになったと……」


 なんだよそれ! なんだよ……。それじゃあ、聖剣エクスグラスを手に入れる事は出来ない。イアンの決意を変える事が出来ない。

 つまり、魔王を倒す・・という事が出来なくなってしまう。

 そして、イアンは自分の命を犠牲にして、封印魔法を使うのだろう。今の世界を守る為に。だけど、そうしたら、未来は変わらない。

 聖歴九百四十年に魔王は復活して世界を、星を全て破壊しつくす。

 未来のじいさん達。父さん、母さん。村長に、カーラさん、セシル。俺の大事な故郷も、世界の全ての人達も救えないって事じゃないか。

 それってさ……。

 つまり――。

 ――今までやって来たことは、全て無駄・・だという事だろ?


「ははっ……。なんだよそれ。俺達のやってきたことは全て無駄だって事か。世界を救う為に頑張って来た俺達の努力は、無駄・・だって? ははっ……ははは」


 聖剣エクスグラスを目の前にして、その場に尻もちを付いた。

 それほど、衝撃的な事実で、頭がパンクしそうだった。

 あんなに頑張って来たのに。世界を救う為に、努力してきたのに……。

 それが全て意味が無かったなんて! 信じたくない。信じられない。でも、聖剣エクスグラスを手に入れる事が俺達には出来ない。もう、八方塞がりじゃないか。どうしようとしても魔王を倒す事が出来ないんだから……。

 

 「クソ……畜生!」


 涙が零れてきた。前世から頑張って、俺は変わるんだ。変わってみせるって、そう言って努力してきた。未来を救う為に、必死になって努力してきたんだ。世界を救う英雄になる為に! それが、この様。

 道化だ。手の平で踊る道化師だ。滑稽だった。そして、なにより変える事が出来ない事実が俺の全てを、心をぶち壊した。


「クリス……」


 後ろを、エイミーを見る事が出来なかった。自分が余りにも無力で、惨めだから。

 今の俺は滑稽だろうな。ああ、やっぱり意味なんて無かった・・・・・・・・・んだ。


「クリス、今日はもう寝ましょう」

「……ああ、そうだな」


 俺達は、アルの背中から毛布を取り出して、寝床を作り、保存食を食べた。

 そうして、寝床で毛布に全身を包ませながら、泣いた。

 見っとも無く、小さな、小さな嗚咽を漏らしながら。


 そうして、私はいつの間にか眠っていた。




 気が付くと、前世に住んでいた六畳一間の家の中心で胡坐をかいて座っていた。

 テレビある。ゲーム機も、机にノートパソコン。ベッドもある。


「ここは……」


 思わず声が出た。ただ、出てきた声はクリス=オールディスではなく、前世の俺の声だ。

 立ち上がって鏡を見た。

 ガリガリに痩せた体。ぼさぼさの髪の毛。不細工な顔。

 全て、前世の俺そのままの姿だった。


 一体何が起こったんだ。分からない。俺は電車に撥ねられて死んだはずじゃ……。

 でも、確かに今思えば、今までの出来事は夢のような出来事だ。

 電車に跳ねられたのは、俺の見ていた幻覚でずっと、クリス=オールディスという夢を見ていたのかもしれない。いや、そうに違いない。だって、あんな異世界ファンタジーなんて可笑しいだろ? 

 魔法があって、タイムマシンもある。そんな世界があるはずがない。

 これが現実。現実なんだ。


「よぉ、目が覚めたか?」


 ふと、横から声が聴こえた。なので、そこを振り返る。

 そこには――クリス=オールディスがいた。

 今までいなかったベッドの上にクリス=オールディスがいる。

 クリス=オールディスはベッドの上に座って、こっちをニヤニヤと見ている。まるで、俺を嘲笑うかのように。


「あ、ああ! クリス=オールディスか……?」

「そうだ。俺だ」


 俺の震えた声に、きっぱりと答える。やはり、クリス=オールディスなのか。じゃあ、俺は一体誰なんだ?


「俺は一体なんなんだ?」

「お前はお前だよ。当たり前だろ? 何を言っているんだ」


 俺は俺。それはどういう意味なのか。前世の俺だと言っているのか。それともクリス=オールディスと言っているのか……。分からない。頭が混乱している。


「じゃあ、あの世界も父さん、母さん。アルも……エイミーも。全て、夢だったのか?」

「夢なんかじゃないさ。あれは、本当さ」

「なら、ここは? 一体、なんなんだ?」

「ここは、そうだな。強いて言うなら、俺の心の中」


 心の中。それは、俺の心象風景ということか。なんとも、惨めな心の世界だな。


「お前は頑張ったよ。タイムマシンで未来に行って、絶望的な世界と魔王を見た。それから、世界を救う為に、剣魔の里に行った。そして、五年間だ。五年間も修行をして、志願兵になって、四魔将を一人討ち取った。聖剣エクスグラスを手に入れる為に、試練を乗り越えた」

「そうだ。俺は努力した。そして、国王から報酬も貰えたし、勇者に会う事も出来た」

「だけどよ。それは――」

「――自分一人で決めた事か?」


 心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。自分一人で決めた事? それは、…………それは。


「お前はエイミーの意見を妄信的に、信じてきただけなんじゃないか? だって、困ったら直ぐにエイミー! エイミー! って、頼ってたじゃないか。自分一人で決めたか?」

「それは……」


 その言葉に答えを返す事が出来なかった。俺は確かに、エイミーの言う事を妄信していた。

 エイミーが言うなら間違いはないだろうな。そう思って、今までやってきた。

 なら、俺が自分一人で決めた事ってなんだ? 全部、世界を救うって決めた事。それだけだ。


「違う! 世界を救う。そう願ったのは俺だ。俺が自分で決めた事だ!」

「それも、ただ、誰かに自分を見てもらいたい。認めてもらいたい。って、ただそれだけの理由じゃないか?」


 鈍器で頭を殴られたかのような衝撃がきた。


「俺は、俺は……」

「はははははははっ!!」


 クリス=オールディスは俺を見て腹を抱えて笑っている。


「世界を救う。って想いも、誰かに認められたいからだろ? ハッキリそう言っちまえよ。お前は、ただ、誰かに、認めてもらいたい! ただ、それだけの存在なんだってさぁ!」


 前世の俺は惨めだった。そして、誰にも認められなかった。親にも、社会にも、誰にも。

 だから、俺は誰かに見てもらいたいから頑張ってきたんだ。

 世界を救う。それが、――偽りの願い。だとしても。


「お前の言う通りだ。俺は、何もしていない。何も決めていない。何も願ってない。ただ、誰かに認めてもらいたかった。ただ、それだけだ」

「そうだ。それがお前の本質だ。本当の気持ちだ!」


 そうなんだろうな。俺は、前世から何も変わっていない。ちっぽけな自分。空虚な自分。何も本質は変わっていない。


「俺は空っぽだ。何にもない。転生して生まれ変わっても、それは変わってない」

「そうさ。お前はお前だ。それ以下でもそれ以上でもない」


 俺が世界を救う? そんな事。本当に思っていたか? 

 俺に、世界を救う力があるとどうして思っていた? そんな力。何一つない癖に。ただ、見栄を張ってさ……。

 俺なら出来る。そう信じてた。信じ込んでいただけなんだ。

 そうだろ? だって、あんな白くて大きな山みたいな大きさの魔王だ。それを、俺が倒す事なんて出来るわけがないじゃないか。

 馬鹿馬鹿しい。呆れる。頭がおかしいんじゃないか?


「俺は、無力だ……」

「そうだ! やっと認めたな。お前は無力だ。何一つ出来やしない。今までも、これからも! ずっと、ずっとだ!」


 その通りだ。俺一人に何の力がある? 何が出来るって?

 こんな危険な事にエイミーを巻き込んで、戦争に参加したり、さっきの試練の時もそうだ。何度も危険な目に合わせてさ。何様のつもりだ? 俺が他人様の命を守れる程、大した人間なのか?

 そんな訳ないだろ。前世じゃ、鬱病になって会社も辞めて、親にも勘当された一人身の男だぜ。

 そんな男が、異世界で転生したからって、変われると思うか?

 本質は変わらない。俺は、ただのちっぽけで、無力で、小さな、自己顕示欲の塊の惨めな存在なんだ。


「俺は、馬鹿だ。……本当に馬鹿だ!」

「はははっ! 本当に大馬鹿者さ!」


 クリス=オールディスの笑い声だけが、部屋の中に響き渡った。

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