中編
第4話 2度目の懺悔
今の状況は、本来ならば有りえない状況のはずだった。
男が好きだと言った伊月を散々馬鹿にした相手だ。そんなやつが今、散々馬鹿にした相手と同じ部類ばかりがいる場所にいる。
これは一体、どういう状況だ。
頭の理解が追いつかない。
伊月はその場で立ち止まり、座る東と目があったまま身体が固まった。向こうも同じように目を見開き、こちらを凝視していた。
「……なんで、お前が……」
程なくして聞こえてきた言葉により我に返る。
「っ、それは、こっちのセリフ…なんで、こんなところに……」
まさか、あのゲイを心底嫌っていた東が、ゲイしかいないような場所にいると誰が思うだろうか。伊月が心底驚くのも無理はないだろう。
伊月の言葉に、東は口を噤み顔を逸らすように俯いた。伊月もこれ以上何も言えず、黙り込んで東を見つめることしかできずにいた。
「ねえねえ、お兄さん、俺のことは無視?」
二人の間へ割り込んだのは、東の隣に座っていた童顔の男だ。腕を東のそれに絡め、クイクイと引いている。伊月は完全に東しか視界に入っておらず、その存在を再認識するのが遅れてしまった。
同じく隣の男の存在を忘れていた東も、一瞬はっとしたかと思えば、怪訝そうに隣へ視線をやる。
「さっきから何度も言ってるが、今はそういう気分じゃない、他へ行ってくれ。」
「えー、俺はお兄さんがいいんだけど。」
「じゃあ諦めるしかないな。」
「なーんだ、つれないやつ。」
そこまで言うとやっと諦めたのか、ツンとした猫のような態度で身を翻し去っていった。
残されたのは伊月と東の二人だけ。
静かな空間の中に、耳触りの良いBGMが流れている。
「とりあえず座ろうよ、伊月君。」
その空気を破ったのは、このバーのマスターだった。
気づいたように見回すと、周りの客からの視線がちらちらと向けられている。どうやら少し目立ってしまったようだ。この注目に居たたまれなくなり、伊月はおずおずとしながらも東の隣に腰を下ろす。
再び沈黙が二人を襲った。マスターは気を利かせているのか、他の客の相手をしてこちらには寄ってこない。薄暗い中、BGMに混じって客の微かな話し声が聞こえてくるくらいだ。
伊月は目線を隣へ向けた。東は黙りつつも、どこか居心地の悪そうな様子でテーブルに目を落としている。
まさか、な……しかし、先程隣にいた男もそうだったし、ここへ来るということは、つまりはそういうことだ。
いよいよ耐えきれなくなった佐倉は、おずおずと口を開き、ゆっくり問いかけた。
「……お前、ゲイなのか…?」
「っ……」
その一瞬だけ、空気が凍りついた気がした。
東は何も言わない。しかし瞳は先程に比べ揺れ動いているように見える。その姿が、なんだかひどく怯えているように見えた。
沈黙ということは、だ。
「やっぱり、ゲイ、なんだな。」
「……」
東は未だに何も答えない。
しかし、しばらくして、目線だけをこちらに向けた。
怯えの色は消えたが、昔のような明るく堂々とした空気は霧散している。
そしてその固く閉した口が、ようやく開かれた。そこから漏れた声は、支えを失ったように脆く、か細かった。
「はは、……自分のことを受け入れられなくて、挙げ句の果てお前に当たっちまった。」
「……」
「こんな俺を、酷いやつだと思うか?」
目の前の自嘲気味な笑みをまじまじと見つめる。
「確かに、そうかもな。」
しばらくして口をついて出たのは、肯定ともとれる言葉だった。
いつから東が同性愛だと自覚しているのかは知らないが、同じく同性愛者である伊月を、そういう理由で酷い目に合わせたという事実は変わらない。
でも、伊月は東の気持ちが少しわかるような気がした。それはきっと、自分もその時期に苦労したからためなのかもしれない。
「でも、東だって苦しかったんだろ。自分が他とは違うって思って、辛かったんだろ……って、俺の勝手な想像だけどさ。」
東の目が開かれ、今日初めて、はっきりと伊月を捉えた。
合わさった視線が真っ直ぐ東を貫く。
「まあでも、この前も言ったけど、ガキの頃の話だし、その頃のことで今のお前を責めようなんて思わないよ。……だから、お前も自分を責めなくていいよ。」
そこまではっきり言い切って、伊月は口を閉ざした。真っ直ぐ見据える先には、何かを耐えるような表情を浮かべた東がいる。
「……ありがとな。」
そして絞り出したような声で呟いた。
伊月がそっと視線を落とす。
「いや……お前の気持ち、わからなくもないからさ。俺もその頃はすごく悩んだし。」
「佐倉は、昔と変わらず優しいんだな……」
東が弱々しく微笑んだかと思うと、手元のグラスを口元へ運び、ゆっくり傾けた。
伊月自身、ここまで気弱な東をめて見た。遥か彼方の過去で見たような堂々とした様子からすれとかけ離れており、東らしくないように見える。
伊月とあんなことがある前は、明るくて情に冷めているわけでもなく、誰にでも好かれるようなタイプの人気者だ。もちろん伊月に対しても他と同じように接していた。態度が変わったのは、同性愛者だとバレてからである。
きっと東は、自分と他者意識の違いに、心の中でずっと怯えていた。しかし誰にも言えず、仮面を被り隠すしかなかった。
おそらく、今のが間違いなく本当の東の姿であり、本音なのだろう。そう思うと、不思議と頬が緩んだ。その様子を、東が怪訝に見つめる。
「なんだよ。」
「いいや、なんでもないよ。」
少し不機嫌で、しかし照れ臭さの混じる声音がどこかいじらしくて、更に目を細める。
「ただなんとなく、東だなぁって思ってさ。」
「どういう意味だよそれ。」
「さぁね?」
東の態度がいつもの調子を取り戻してきたようだ。
伊月が肩を竦めて見せると、相手は軽く溜息をつき、僅かだが穏やかな笑みを浮かべた。
10年 泉 楽羅 @M__t__
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