第3話 繰り返される予想外
伊月が東を伴って入ったのはいつものゲイバーではなく、何度か入ったことのある普通のバーだ。居酒屋でもいいかと思ったがそういうテンションでもなく、東にここでいいかと聞けば頷いたのでここにした。
二人並んでカウンター席につくと、マスターにとりあえず一杯目を注文する。東はビール、伊月は梅酒のロックにした。
注文の品が来るまで東は何も言わず黙ってテーブルを見つめている。しかし一杯目がくると、そのグラスを見つめていると思えば一気に半分飲み干した。
梅酒のグラスをゆっくり煽りながら、伊月はそれを横目で見、そして呆けた。
「大丈夫かよお前……」
「……」
東は音を立ててグラスを置くと、伊月に対し身体ごと正面を向いた。そして真剣さを思わせる目で伊月を真っ直ぐ捉える。
「あの頃のこと、謝りたかった。」
「……」
「謝って許してもらえるとは思ってない。たくさんお前に酷いことしたし、酷い言葉を浴びせた自覚はある。でも俺はお前にちゃんと謝りたい。……悪かった。」
伊月はこの間ポーカフェイスを保っていたが、内心かなり動揺していた。その証拠に、言葉以前に声が出てこない。
あのプライドの高い東が今、目の前で自分に頭を下げている。様子を見る限りでは嘘は言っていない。伊月を見る瞳も、態度も真剣そのものだ。
その事実で十分驚きなのに、更に10年前に自らが行った仕打ちを謝るなど、天と地がひっくり返るレベルだ。
「……佐倉?」
黙りこくった伊月を不思議に思ったのか、はたまた怒っていると思ったのか、おそるおそるといった様子で名前を呼ばれる。その声で我にかえり、びくっと方を揺らした。
「悪い……キャパオーバーで声出なかった。」
「……怒ってるか?」
信じられないほど気弱な声が伊月の鼓膜を揺らした。
「それはまぁ、怒ってないことはない。」
そこで一旦言葉を切る。
確かに怒りはある。謝るくらいならやらなければいいとは思う。
「でも、もういいよ。」
本当に、もういいと思った。
あまりに意外で真摯な東の姿を見て、怒る気は思ったよりあっけなく萎んだ。伊月自身も意外に思う、でもそれが伊月の紛れもない本心だった。
「遠慮しないで、一発くらい殴ってもいいんだぞ。」
あまりにもあっさりと出た許しにしばし呆けていた東だが、遠慮していると思われているのかなかなか引き下がらない。
「本当にいいんだよ、もう。10年も前のことだし、あの頃はお互い子どもだったっていうことでさ。」
水に流そう。そこまではっきりと言い切り、自分の梅酒を一口口に含む。
東はしばらく伊月を見つめていたが、やがてわかったとひとこと言い、同じように残りのビールに口をつけた。
そこからの空気は一転して穏やかなものとなった。何杯かグラスを空けながら話は進む。
お互い様子を探りながらぽつぽつと少しずつ会話を始め、酒は強いかだとか、大学はどこだとか、ぎこちなさはあるものの普通の会話が成り立っていく。
仕事の話になり何をしているかお互いに言い合った。東のさはそこそこ大きな会社の営業を担い割と忙しい日々を送っているらしい。今日伊月の会社の最寄りにいたのは、取引先の最寄りがたまたまこの駅だったようだ。
昔から容姿だけでなく頭脳明晰でもあった東だ。すごいという尊敬とやっぱりなという確信めいた思いが心に浮かんだ。
「相変わらず優秀なんだな、東は。」
「どうなんだろうな、周りは周りでできるやつらだから。」
「とか言って、社内ではデキるやつ認識されてそう。」
東の顔に苦笑にも似た柔らかな笑みが浮かぶ。つられるように伊月も微笑んだ。
さすがに恋愛の話は、昔のこともあり伊月も性癖的に話しづらいので触れることはなかった。それでもいじめられる前のように普通に話せるのが楽しいと素直に感じた。
今までの諍いがなかったことにはならないが、それでも不思議と笑い合える。
10年という日々は、お互いに思春期から大人として成長するに十分な長さなのかもしれない。
2人の間に隔たる壁がゆっくり溶けていくのを伊月はなんとなく感じていた。
あまり遅くなるのも明日に響くので、最後に連絡先を交換して飲みはお開きとなった。また会うかはわからないが、せっかくだししたいという東の申し出だ。断る理由もなく断りたいとも思わなかったので、伊月はそれを二言返事で受け入れた。
これからは過去のことでもう恐れることも苦しむことも無いだろう。まだ2人の間には少し距離があるが、きっと大丈夫。
ふわふわとした感覚が身体を纏う。酔っているのか、それとも心の浮つきか、自宅へ向かう足取りはどこか軽かった。
だから、これからもう一度驚きの事態がふりかかることになるなど、伊月には予想できるはずがなかった。
東と再開を果たしてから2週間が経過しようとしている。今日も定時プラス2時間の残業を終え、行きつけのゲイバーへ行こうと思い立った。忙しさからしばらくあそこへ行けていなかったので、今日こそ顔を出そうと意気込み店へ向かった。
「いらっしゃいませ。……おお、3週間ぶりかな?」
「はは、ちょっと忙しくて。」
ここのマスターとはすっかり顔馴染みの仲だ。マスターはアラサーのゲイで、伊月にとっては話していて楽しい相手だ。
店には他にも客が何人かいるようで、カウンターにも先客がいた。二人並んで座っているが、様子を見るとどうやら細身の男がもう一人に言い寄り誘いをかけているようだ。しかしその気じゃないのか言い寄られている方は素っ気ない返しをしている。
ゲイバーでこういうことは珍しくない。
伊月はそれを横目で見ながらいくつか離れたカウンター席へ向かう。
そして思わずもう一度視線を戻した。
何故なら言い寄られている男が東にさとあまりにも似ていたからである。
きちんとセットされている茶色がかった髪に、あらゆる人を惹きつけるような美貌。細身のスーツを着こなし、カウンター席に座っていた。
というかあれは東だ、絶対そうだ。あんな整った顔とスタイルがそのへんに何人もいるはすがない。
「東……?」
「!佐倉!?」
驚きに満ちた顔がこちらに向けられた。
もう一度言うが、ここは間違ってもゲイバーのはずだ。だが目の前には確かに、ゲイのはずがなかった東がいる。
ああ、何故俺はいつもこいつと予想外の出会いをするのか。
もはや驚きを通り越し呆れる他なかった。
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