第7話 麻倉朝美
朝陽が家のドアを開けた時、ちょうど姉である朝美が玄関の前を通りがかった。まだ心の準備が不十分だったため、その不意の出来事で心臓がドクンと早鐘を打つ。
朝美は弟である朝陽から視線を外し、その後ろにいる紫乃を見つめた。見つめられた紫乃は、遠慮がちに小さく頭を下げる。
「あの、私、東雲紫乃です。朝陽くんのお友達です」
東雲紫乃という名前を聞いた朝美は、その瞳を忙しなくパチクリさせた。それから再び朝陽を見た後に、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。
朝陽は口元を引きつらせながら、無理やりな笑みを作った。
「おかあさーん! 朝陽が家に女の子連れ込んでるよー!」
「ちょっと姉ちゃん?!」
「え、え?」
今度は紫乃が両目をパチクリさせる。そして朝美に腕を掴まれたかと思えば、そのまま家の中へと引き寄せられた。
「ねえおかあさーん! 紫乃ちゃんめっちゃ可愛いんだけど! ちょっと早くこっち来てよー!」
紫乃が視線で助け舟を求めたが、暴走した朝美を止めることができないと分かっている朝陽は、苦渋の表情をしながら視線をそらした。心の中で紫乃にごめんと謝罪する。
そうこうしているうちに、リビングの方から母親が出てきた。
「あらあらまあまあ、あなたが紫乃ちゃん? うちの朝陽と仲良くしてくれてありがとね」
「あ、はい……」
完全に萎縮してしまった紫乃は、母親に両肩を掴まれて、身体をびくりと震わせる。靴を履いたまま家の奥に連れて行かれそうになり、慌てて玄関の中で踏みとどまった。
「あ、あの、お話が……」
「あらあら、なにかしら?」
紫乃はちらりと朝陽へ視線を送る。こればかりは自分から話したほうがいいと思い、紫乃を連れてきた経緯の説明をした。
「実はホテルに泊まってたんだけど、今日までの予約しかしてないんだ。だからしばらく家に泊めてあげたくて……」
「そんなの、もちろんいいに決まってるじゃない!」
即答だった。
思春期の男の家に女の子を泊めることに抵抗を見せて欲しいと、朝陽は自分のことながらに思う。
「あ、でもお父さんがなんて言うか……」
「そんなのお父さんは関係ないわよ。だってあの人いつも九時には寝るし、なにも心配することなんてないわ。はいこの話はおしまい!」
母は一度大きく手を打ち鳴らす。その音に紫乃はまたびくりと身体を震わせた。今度は朝美が紫乃へ近寄り、質問を浴びせかける。
「ねえねえ、紫乃ちゃんっていつから朝陽と付き合ってるの?」
「へ?」
その朝美の言葉に、紫乃は驚いた表情を見せる。それから不思議そうな顔をして朝陽を見た。その瞳は、純粋な色に満ちている。
「え、紫乃と朝陽くんって付き合ってるんですか……?」
「えっ、だって朝陽が付き合ってるって言ってたけど」
「何言ってるの。僕付き合ってるなんて一言も言ってないけど」
なぜか紫乃はホッとしたような表情を見せて、それを見た朝陽が首をかしげると、すぐに曖昧な笑みを浮かべる。
その変化を朝陽が不思議に思っていると、朝美が視界に入って紫乃が隠れてしまったため、思考は途中で放り投げられた。朝美は初対面であるにもかかわらず、自分より背の低い紫乃に抱きついて、頭頂部のあたりを頬ずりし始める。
この姉と母は距離感という言葉を知らないのかもしれないと、朝陽は心の中で頭を抱えた。
半ば連れ去られるように家の中へ招待された紫乃は、リビングで新聞を読んでいた父に挨拶をして「ん、まあゆっくりしていけ」という言葉をもらった。新聞で表情を隠しているのは、もしかすると照れ隠しなのかもしれない。
それから紫乃は再び朝美に手を握られて、風呂場の方へ連行されていった。リビングを離れる時に不意に見えた紫乃の表情が穏やかだったのは、朝美が姉のように振舞ってくれて嬉しかったからなのかもしれない。
リビングにぽつんと残された朝陽は、ようやく訪れた平穏を噛みしめるように椅子へ座った。
「おい朝陽」
先ほどから黙って新聞を読んでいた父が、今は顔を上げている。どうしたのだろうと思い、朝陽は首をかしげた。
「彼女とはいつから付き合ってるんだ。もう親御さんには挨拶に行ったのか?」
「だから付き合ってないってば……」
母のついた嘘は、麻倉家に根深く刻み込まれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます