第30話 「一人称」と「三人称」①(心情と群像)

 今回は文章を構成する際の『一人称』と『三人称』についてを掘り下げていきたいと思います。


 おそらく一度でも物語を書いた事がある方、物語を読み慣れている方は、説明の必要がないほど熟知しているでしょう。

 なので今回の項目は、どちらを選んだかで「どういう表現が可能になるか」「どういう表現に適しているか」という部分に特化していく事になると思われます。


 物語を構成する際のメリットと、デメリットですね。


 これは書き手によって、得意、不得意が出てくるものでしょう。

 得意、不得意よりは「適性」と言うべきなのでしょうか。


 なんだか、あまり「才能」という言葉では表したくないですね……。

 個人的な見解ですが、これは「向いている」という事はあっても、才能がないから実力が向上しない、というものではないと考えています。


 物語の構成によって、適切な表現を選ぶ。


 そう考えていくと良いと思います。

 そして物語を書いていく上で、初めから上手く表現できなくても、回数を重ねる事で「どんな表現が適しているか」を学び、その感覚を掴めていくでしょう。

(向いていない方を選ぶと、文章での面白さ表現がとても違ってくるものです)


『どんな物語を書きたいか』によって、どちらを選ぶか、という基準になると思われます。

 それでは、その意識を軸に、その表現の選び方を掘り下げていきましょう。


 前回の項目にて


 こちらは「一人称視点の文章」「三人称視点の文章」という意味合い。

 そして「一人称視点の物語」「三人称視点の物語」という、2つの解説になるでしょう。


 そうカキカキさせていただきました。


 しかし「一人称」と「三人称」には、もう1つ意味合いがある事を思い出しました。

 抜け落ちてしまい、申し訳ない。


 それは、キャラが自分を表す際の呼び名である「一人称」と、キャラが他者を表す際の呼び名という意味の「三人称」というものです。


 つまり、物語に置いて「一人称」と「三人称」というのは、その意味合いが多岐に渡るものなんですね。

 その意味合いを整理していくと……

(解説の順番で、並び替えさせていただきます)


①視点

②文章表現

③呼び名


 この3つになるのでしょう。

 この項目では、それぞれの「一人称」と「三人称」についてを書き連ねていきたいと思います。


 どうか少しばかり、お付き合いくださいませ。


 ぺこり。


 閑話休題


 今回の項目では、まず①の「視点」についてを掘り下げていきます。

(それぞれが長くなっていきそうなので、項目を二回に分けさせていただきます。「文章表現」と「呼び名」については、次回の項目にて)


 これは――『誰の視点の物語なのか』という意味合いになります。


 おそらく実際に物語を書く際に、一番最初に決めていく分類ですね。

(だからこそ、これを最初に持ってきています)


『一人称の物語』とは――「キャラの視点に沿って」文章を表現する物語です。


『三人称の物語』とは――「第三者の視点に沿って」文章を表現する物語です。

(神の視点とも言い表しますね)


 それでは、どちらを選ぶかで、どんな表現が「向いている」のか?


■「一人称の物語」は、キャラの心情(心の声、感情)を掘り下げる事に向いています。


 こちらは基本的に、主人公の視点にて様々な物事を表現していきます。


「一人称視点の物語」とは、『主人公の視点で表現を示す』ことが決まっている物語なのです。


 文章表現の基本である『5W1H』の――「だれが(Who)」という事が、初めから決まっているのですね。


 だからこそ、文章表現の際に意識するべき事も、自然と定まってきます。


【文章力について】という項目にて、文章を構成する際に気を付けるべき事として

 ――誰が、どのセリフを話しているのか。それをはっきりと示すべき、という注意点を記しました。


 この「一人称視点の小説」では、それを読み手に示す際に、意識するべき点が出てきます。


①「一人称視点の物語」では、「地の文とは主人公視点の文章」になります


 自分の心情やセリフを表現する際は、「だれが(Who)」を示す必要はありません。

 主人公の視点だという事が初めから分かっているので、「俺は〇〇と口に出した」や「俺は〇〇だと思った」と細かく書いていくと、文章のテンポが悪くなってしまうのですね。

(この「俺は」という部分を、いちいち書く必要がなくなってくるのです)


 だからこそ「だれが(Who)」を示さない場合は、基本的にそれは「主人公の」表現になるのです。


 地の文にて「だれが(Who)」を付ける際は――「主人公以外」の事を表現する際に付けるよう、意識してください。

(可能な限りは、ですね。こちらにも例外は存在します)


 そうすれば、文章のテンポが良くなっていくでしょう。


 …………。


 うーむ、なんだかこのお堅い説明では、花咲自身でもその意味合いが分かりにくいですね。

 なんとか「分かりやすく」解説すると、こうでしょうか。


『一人称視点での地の文』は、『主人公のセリフを作る』ように書き連ねてください。


 ただその表現に、括弧がないだけです。

(そして「誰かに話しかけていない」という形が、地の文になっていきます)


 主人公の口調と、性格と、人格をそのまま地の文でも続けてください。

 文頭と文末に括弧表現(「」)がなければ、心の声という名のセリフになります。


 つまり「一人称視点の物語」とは、その文章構成が

(情景、状況の描写を説明する場合以外)


●「主人公の口に出しているセリフ」

●「主人公が口に出していないセリフ(地の文)」


 そして


●「主人公以外のキャラが口に出しているセリフ」が多くなっていくのです。


 文章表現のほとんどが「セリフ」表現なのですね。

 そう考えると、


 ――『一人称の物語』は、キャラの心情(心の声、感情)を掘り下げる事に向いている。


 この文章の意味が、より伝わりやすくなるんじゃないでしょうか。


 情景描写は、主人公が「そう感じた」から示すものです。

 状況の描写も、主人公視点から見て「そう動いた」と示すものです。

 他キャラの描写も、主人公が「それを見て、そう思った」から示すものです。


 だからこそ『一人称の物語』では――「主人公が居ない場面のこと」「主人公が考えていない事」を示す事ができません。

(エスパーとして心を読む、という能力がない限りですが)


 文章構成の九割くらいが、主人公が「話したこと」「考えていること」「感じたこと」「そう動いたという説明」になっていきます。


 つまり『一人称の物語』は、主人公の心情に「共感させたい」場合に選択するもの、という形になっていくのですね。



②主人公以外の「セリフ」を書く際には、その前後にて「誰のセリフか」を示します。


 この「誰のセリフか」を前後で示さない場合、基本的にそのセリフは「主人公のセリフ」という形に置いていくものになります。


 他キャラの描写を示す場合は「〇〇がこう言った」等もそうですが、「〇〇は〇〇の表情を浮かべた」等という形にて、他キャラが「主人公から見て」どう変化した、という表現になっていきます。


 だからこそ、モノローグとしての心の声、心情を表現する機会が多くなっていきます。

 それは地の文で心情を表す際に「誰の視点」なのか示す必要がない、という意味に切り替わるのですね。

(主人公の心情なのが分かり切っているから、わざわざ示す必要がない)


「一人称の物語」は、とにかく主人公の心情に寄り添う、共感させるように表現しましょう。


 だからこそ、主人公の思考が「現実的思考」から外れていると、共感されにくくなっていきます。

 特殊な性格や人格にする場合は、主人公の思考自体で面白さを表現する必要が出てくるのでしょうね。


 会話、やり取りにおいて、「主人公がツッコミ役を務める場合は一人称の物語」が向いています。


 逆に「主人公がボケ役に回る場合は三人称の物語」が向いています。

 ボケ役(特殊な思考)の視点というものは、共感されにくいからですね。

(ユーザーに突っ込ませるという手法にする場合は、その限りではありませんが)



■「三人称の物語」は、場面変化や、状況を俯瞰で表す事に向いています。


 キャラの人数が多い『群像劇』や、時間軸、場面変化が多い物語ですね。


 こちらはキャラの心情に寄り添う事が、一人称の物語よりも難しくなっていきます。

 地の文にて、各々の「キャラの心情」を示すことに向いていないからです。

(無理に心情を示そうとすると、文章がごちゃごちゃしていきます)


「セリフ」と「地の文」は、はっきりとその意味合いが変わります。

(一人称の物語のように、その区別が曖昧なものではありません)


「セリフ」は、キャラが「口に出している声」となり、


「地の文」は、全て『第三者視点』で表現する必要があるのです。

(ただの情景、状況の説明という場合が多く、キャラの心情に寄り添いすぎてはいけない)


 つまり、キャラの「心の声」という表現が難しくなってくるのです。

(各キャラの心情は、声にして出したセリフや、地の文での状況説明によって表現する形です。心の声自体が表現しにくい)


 読み手への説明は、「演劇を観る客」に向けてと考えていくと良いのでしょうか。

(舞台役者が言うセリフ、役者の動き、表情、音楽や背景描写によって、声に出さない心情を表す)


 そして「三人称の物語」の地の文は――全て『5W1H』を意識して構成する必要があります。


 いつ(When)、どこで(Where)、だれが(Who)、なにを(What)、なぜ(Why)、どのように(How)


 特に、この中の「だれが(Who)」を可能な限り外すべきではない、という形ですね。

 その文章で「誰の事を表現しているのか」を、読み手に伝える必要があるのです。


「だれが(Who)」を省いている場合、読み手は「これは誰のことを言っているの?」と混乱している可能性があります。


 しかし、全ての地の文に「だれが(Who)」を入れる必要はありません。

 そのキャラの説明、描写が続く場合は、同じ段落内か、連続している段落にまとめる事で、それを内包する事が出来るからです。


●例文――


 主人公がゆっくり瞼を開けると、なぜか目の前に見知らぬ美少女の顔があった。

 まるで装飾品のように鮮やかな銀色の腰まで届くほど伸びた髪、長くて細いまつげ、ぱっちりとしているのにそれでいて上品さを失わない瞳、すらっとして高い鼻、小さくて柔らかそうな口、背景が夜空だからか、とても映える白い肌……。


 ……こんな感じでしょうか。

 拙作は「一人称の小説」ですが、三人称の表現に直すと、このような形になります。


 最初の段落で「主人公が美少女を見た」という事を説明しているため、その次の段落の描写で「だれが(Who)」を示さなくても、「主人公から見た美少女の容姿」について説明している文章なんだな、と読み手に示すことが出来るからです。



「三人称の小説」は、基本的に一歩引いた「第三者」視点にて文章を書く必要があります。


 だからこそ場面、時間軸、キャラの人数が複雑であるほど、その描写を一人称よりも表現しやすくなっていきます。


「主人公がいない場面」も、物語上で無理なく表現できるのですね。


 群像劇にならなくても、その意味がかかってきます。


 各国の戦争を描く場合や、主人公が動いている裏で「こんな出来事がありました」という場面などです。

(戦闘が多いファンタジー小説では、こういった手法が必要になる場面が多くなってくるのでしょう)


【ストーリーについて③(起承転結)】の項目にて、『物事の順序を飛ばして組み立ててはいけない』と記していきました。


 場面変化というものが、ここにかかってきています。


 例えば、チーレム王国を築いた主人公のもとに、誰かが軍を率いて攻め込んできたとしましょう。


 そこで何故「軍を率いて攻め込んできたのか?」という疑問、順序の組み立てを、「三人称の物語」では無理なく表現できるのです。


 主人公は何も知らない状況でチーレム王国の内政に集中していますが、その裏では「チーレム王国を気に食わない敵国が侵攻準備を進めていた」という表現を、時間軸を同時に表現しながら組み立てられる、というものになります。


 もし「一人称の物語」の場合、閑話や幕間などで「敵国の描写」を示さない限り、主人公や読み手にとっては「いきなり攻め込んできた」という形にしかなりません。


 攻め込んできた理由も、「主人公視点で敵国の人間に訊く」しか、確かめる術がないのですね。


 ですが「三人称の物語」ならば、主人公がそれを知らなくても、読み手に「攻めてきた理由」を示すことができ、物事の順序を飛ばさずに物語を組み立てられるのです。


 状況の変化や、物事の描写を細かく示す物語ならば――「三人称の物語」の方が向いています。


 ただし、そこには『5W1H』を強く意識する必要が出てきます。

(文章力というよりも、きっと「日本語の基本」が出来ている必要があるのでしょう)


 こちらはキャラの心情に寄り添わせたいならば、キャラが「口に出しているセリフ」で表現する場面が多くなっていきます。

 地の文が「第三者視点」での表現なため、心情を細かく表現する事に向いていないからです。


 口に出していない心情を表現するには、三人称はそもそも向いていないのですね。


「物事が二転三転」したり、「主人公が複数」いたりする物語ならば――『三人称の物語』を選ぶと、ストーリーをテンポよく進められるでしょう。


 視点がごちゃごちゃする、という不安を「三人称の物語」では内包していけるからです。

 キャラの心情、キャラの動き、その全てを「第三者視点」で表現しましょう。


『自分の言動が、他人の言動が、周囲にどういった印象を与えているか』


 いつかの項目にて書き連ねたこれを、「第三者視点」にて表現できれば、物語の中で揺るぎない一本の軸として「視点を固定」できます。


「三人称の物語」とは、誰か「ひとりのキャラの心情に寄り添わない」からこそ、物語の面白さを表現できる文章構成になるのです。


 主人公の想いや心情に寄り添いたければ、「一人称の物語」を選択した方が無難だろう、という形です。



 どうでしょうか……?

 ちょっと駆け足でしたが、それぞれの違いや、どんな表現が向いているか、という事が伝えられていれば嬉しいです。


 それでは、今回はここまでとさせてください。


「一人称の物語」と「三人称の物語」――

 それぞれのメリット、デメリットを示せていれば良いのですが、よく意味が分からなかったという方には、申し訳ないです。

 もっと例文を記せていれば良かったのですが、そちらは次回の項目にて深く掘り下げさせていただきます。


 最後にひとつだけ注意点を。


「一人称の物語」か「三人称の物語」を選ぶのは、必要不可欠な選択になりますが、どちらかを選んだからといって、それだけで構成しなければいけない、という訳ではありません。


 普段は「一人称の物語」で進めていても、主人公がいない場面では「三人称の物語」として表現する。

 そんな構成の仕方もあります。その逆もしかりですね。


「閑話」や「幕間」といった、初めから違う構成だと読み手に示せていれば、選択していた人称を変えてしまっても問題ないのです。


 貴方の書く物語が「キャラの心情」や「状況の変化」を、上手く読み手に伝えられるよう、構成できることを願っております。


 次回の項目は、人称の選択による「文章表現」と「呼び名」についてになります。

(表現に関しては、今回でも少し触れてしまいましたが。掘り下げることは残っているのでしょうか……)


 当エッセイを読んでくださり、ありがとうございました!

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